01月のつぶやき・・・




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01月31日 (土)
☆奇跡が何度も起きて・・・☆
奇跡だとしか思われないようなことが何度も主人に起きて今がある
昨年の5月20日
人気の殆ど無い我が家の農業用倉庫の前で作業中、はしごが倒れ、主人もいっしょに倒れ
それを発見してくれたのが可愛い犬を散歩中の人
犬がいつもは散歩で通らない我が家の倉庫の方の道に飼い主をj引っ張ってきたらしい

倒れている主人に気付き、救急車をすぐに呼んでくれて、我が家は私は入院中で留守のため区長に連絡
区長が我が家の親戚の人に連絡してくれて、親戚の者が我が息子に知らせてくれた
犬の散歩がなかったら、しかもいつもは夕方の犬の散歩だったのが、その日に限って
朝吠えて泣き止まないので仕方なく朝の散歩に出たらしい
ワンちゃんのお陰で主人は一命をとりとめた
主人の発見がもっと遅かったら、主人はもうこの世にいなかったはず

生きるか死ぬか・・・延命措置はどうするかと迫られた主人は
在宅に向けて進化を遂げている
脳挫傷、前頭葉損傷とかなり悪状態であったのが
歩きが車椅子から歩行器になり
昨日面会に行ったときはリハビリの先生に支えられて、先生に寄りかかりながらも自力で歩いていた
私は主人はなんの補助に頼らずとも、そのうち歩けるようになると信じている

老健施設に移ってから、娘が主人を外出に連れ出してくれる
そのたびに、主人の好きなものを食べさせてくれて、目を見張るような主人の進化を目の当たりにしている
娘のこれほどまでの関わりがなかったら、主人はここまで回復はしなかっただろう
命の恩人は可愛いワンちゃんだが、食べることの生きがいを主人に与えてくれているのは娘である
先日の水曜日の私達の外出での食事↓

 
 
 
 
 

主人の希望でうなぎも、石焼きビビンバもステーキも食べましたよ
美味しそうに食べる主人を見ているだけで頬が緩んでくる!
次は何食べる?(笑)

 

01月28日 (水)
☆お米の事・・・☆
義母に教わって種米から苗作りを始めたのが2006年
昨年は私入院中だったもので主人と娘の2人で籾蒔き作業
それが終わり数日後、主人が事故であんなことになったものだからお米作りはもう無理
と思っていたが、苗が育ち始めたものだから娘がお米を作りたいという

息子が地域の農業団体に頼んでくれて、あれこれ教わりながら、
自分たちでできないことは農業団体に依頼して
昨年もなんとかお米になった
収量も上出来
お米が余りそうだったので何キロか農協へ供出してみた

私が米作り初めて、はじめて農協の格付け審査を受けることになる
評価はなんと一等米

同級生の米作りしている友人にこのことを言うと
「すごい!一等・・・
死ぬまでに一度は作ってみたい」
とのこと
それくらい値打ちのある一等米
嬉しかった(笑)
一等米の評価はお米の味ウンヌンではなく見た目らしい(笑)

今年度も、すべて農業団体に頼んで米作りをすると息子が言ってくれた
そしてすでに頼んでくれているらしい
なんかホッとしている
こういうことは息子は頼りになるねぇ
我が家のことは息子の力なくしてはもう私では無理
米作りの知り合いもいないし

 
 
 
 
 
昨日のお昼ごはん・・・妹と姪と
松山日赤内のタリーズカフェにて

 

01月27日 (火)
☆我が家の事・・・☆

先日の日曜日、やっと重い腰が上がって確定申告作成完了
取りかかればほんの20分ほどで完了するくらいの年金収入だけの簡単な確定申告なのだが、
取り掛かるまでの腰の重いこと
主人の確定申告です
年金が2箇所から入り、片方の年金からは税金が引かれているものだからその税金を返してもらうための還付申告
私はパソコンで確定申告書作成し、プリンターでプリントアウトし、紙面で提出という昔ながら方式
スマホのマイナアプリから簡単にできるらしいが、最近、新しいことに取り組む意欲が欠けてしまっている情なさ

最近、いろんなことがややこしい
スマホがないと、スマホが使えないと暮らしていけないか時代だね
世界情勢も悪いし、気象も異常だし
戦後とはいえ、昭和生まれの私は生きにくい時代になった
私はもう人生終盤だからあと少しの辛抱だがこれから生きていく若い人は大変だろうなと思い
我が家のソファに寝っ転がってスマホいじっていた孫のコウキくんに
「あなたらが生きていくこれからの時代は大変だね」というと
彼はケロッとして「ちっとも大変じゃないよ」ですって!
安心したわ~~
彼らはどんな時代にも順応できるだけの力があるのだ

先日、娘と大学生のノブキちゃんが2人で韓国旅行に行った
ノブキちゃんがスマホでさっさといろいろなことしてくれたそう
今どきの子どもは、私が考えている以上に優れているのだ

↓24日の土曜日・・・娘と2人で松山市浅海のアイビーで食事
私はビールと肉肉しいハンバーグ・・・
 
昨年の5月20日のこと
私が悪性リンパ腫治療で入院中の病院へ主人が救急車で運ばれてきた
私の病室へ主治医が入ってきて、私に主人のことを告げた
脳神経外科の先生から私の主治医に連絡が入ったらしい
生きるか死ぬかの重体
主人はICU
はしごから落下
左前頭葉損傷 もしものとき延命はどうするか、話し合っておいてくださいと外科医
あの日から8ヶ月が経った今
主人は何度も危機をのりこえ奇跡のような回復をしています
子どもたちの応援、孫の応援、日赤のリハビリの先生方の献身 これらなくして今の主人はない
これらがなかったら、主人は今頃は命あっても特別養護老人ホームを終の棲家としているだろう

今はリハビリのある老健施設で在宅に向けての訓練受けながら前向きに生活しています
私もこういうことに関しては初めて知ることばかりで新しい知識をつけながら四苦八苦中です
これらのことに関してはおいおい書いていきたいとおもいます
人生何が起こるかわからないですね
昨年の5月20日・・・主人76歳の最後の日・・・あの日がなかったら・・・
あのまま主人とこの世の別れがあったとしたら、私は耐えられなかっただろう
生きていてくれてありがとう・・・感謝のことばを主人にはっきり言ってますよ(笑)

下の写真は主人が落ちたはしご
孫たちの励まし・・・これが一番功を奏したかも
今の主人は、この写真の頃とは格段に蘇っていますよ
脳の損傷は一生治りませんが、
主人との会話でイラッとすることがあってもこの人は脳がおかしいんだからと堪えることができます(爆)

ノブキちゃんが大学生になり放った第一号のホームランボール・・・じいちゃんへのプレゼント
コウキきんの励ましはなにより力強い
いい孫たちに囲まれ幸せな主人です
息子のお嫁さんからは
「お母さんもお父さんもも、本当にいい子どもたちに恵まれていますね」と言ってもらった
こういうことが起こらなかったらこれほど立派な子や孫に囲まれていること
気が付かなかったと思う
人生において起こる出来事はすべて意味がある

 
 
 
 

01月23日 (金)
☆入院中は読書三昧・・・☆
昨日は病院
抗がん治療の退院後、月に一度の定期検診
ガン再発の早期発見ってところでしょうかねぇ
炎症反応も正常値に戻り、血小板の数値が低いくらい
血小板については先生は抗がん剤の影響がまだ残っているのかなぁとおっしゃったが・・・
女医さんの説明では血小板の数値が5万を切ってなかったら低くても大丈夫と言っていた
5万をきれば血小板減少症という病気らしい

入院中は読書三昧
これだけの本を読みました
浅田次郎さんの本、よかったです
『母の待つ里』は映画化、テレビドラマ化されましたね
私は退院後テレビドラマでみましたが、いいドラマでした

入院中、時間がいっぱいある時ではないとなかなかじっくり本を開くということは最近ないものだから
ベッド上で読書は至福の時間でした
テレビの料理番組もよく見ていました
主婦ですから、退院したらあれこれ作って主人に食べさせたいと思いましたよ
NHKの料理本まで取り寄せました

これらの本は病室から『楽天ブックス』でネット注文
便利な時代になったものです

一番のお気に入りの本はランチ酒、面白かった
自分運転でないときは、必ずランチ酒・・・たいていはビールを注文します
私は父に似て、昼から酒を飲む女(爆)
外出時の食事で昼間からアルコールを注文する父が嫌だったのにいつのまにか私も昼から酒を飲む人になっていた

香りの本も興味があった
香りのノート・・・トップノートはどんな香りがいい?・・・息子から香水のプレゼントがあったときいろいろ香りについて知ったものだからよけいに面白かった

これらの本を読み直したいと思いますが、自宅にいると自分のしたいことが多くて読書まで行き着かない
そのうち、また入院ということにでもなったら読み返してみましょう(笑)


 
 
 

01月22日 (木)
☆ユウキくんとのライン・・・☆

先週の水曜日のこと
娘と主人と私でドライブ中
娘が聞いた
「おとうさん、人生最後の食事は何が食べたい?」と
主人は一つに絞れずいろいろなものが食べたいという
私はこれと言って特別こだわって人生最後に食べたいものはない
30年前に胆管がんで亡くなった母は病室で私に塩鮭と白いご飯が食べたいと言った(叶わなかったが)
大腸ガンだった父は、えんどう豆ご飯が食べたいと言った
これは病室で少量ではあったがこっそりと食べさせた

娘が最後に食べたいもの・・・これがね~私の作る卵の入った味噌汁だって!(笑)

そういえば卵入りの味噌汁、私自身が好きなものだから・・・よく作ったなぁ

昨日はミスタードーナツ 娘と一緒
ミスドも何十年ぶりかに入った
店内がおしゃれになっていて・・・

お客さんの多いこと

 

昨年の8月20日
ユウキくんにラインした

『昨日抗がん剤治療12回目が終わったよ 11回目12回目は抗がん剤の量は減らしたみたい
今日から7日間毎日血球上げる注射して8月末までには退院するよ
長い治療だったけど、やり遂げた感はあるね
四国遍路を回り終え、結願した日のようなやり遂げた気持ちだよ
平成元年、第一回、初めて四国遍路したときの結願寺88番大窪寺で味わったなんとも言えない爽やかな感じといっしょだよ
別物なのにそんな気がした
今朝は爽やかな朝を迎えています
今朝の3時半、東の空に三日月と明けの明星
そのとなりにオリオン座
素敵だったよ~ユウキに送ろうと何枚も写したけど、なかなか難しかった(笑)』
 

ユウキくんからの返事
『抗がん剤治療生活お疲れ様でした!
アメリカにいるときにばあちゃんの文章をよくブログでみたから、LINEでブログのような文章が来ると懐かしく感じるよ』


先日、久々のつぶやき書いたとき、『嬉しい朝です。久しぶりのブログ、とても感動しました』とYさん
ユウキくんからも2回くらいばあちゃんブログ書かんの?と聞かれた(笑)
おともだちからも聞かれた
小学校の同級生のAくんからのLINEでも、『また寄り道書いて下さい。Tくんの奥さん楽しみにしているみたいですよ』
なんともありがたいですね~~



01月21日 (水)
☆あの一日がなかったら・・・☆
災害とか事故とかで・・・大切な人を亡くした方はその一日をこんなふうに思うかもわからない
そんな思いがけない衝撃に見舞われた一日が私の入院中に起こった
このことはおいおい書いていきたい

私の抗がん剤治療は他の人に比べて比較的副作用も少なく淡々と終わった
と思っていたが
自分で記録した莫大なメモを改めて読み返してみると困難をよく乗り越えたなと思う
先生、看護師、理学療法士、栄養士、薬剤師・・・家族、友人、それに病院内の地域連携係の人
多くの人が真剣に私に向かい合い関わってくれた結果が治療の功を奏したと思う
悪性リンパ腫ステージ4と告げられたとき、怖いともなんとも思わなかった
まあ、好きなことしてまわりのひとに大事にされて比較的恵まれた人生だったのだから悔いはない
先日ガン患者の家族のケアというのをテレビで見た
がん患者本人よりも家族のほうが心のダメージが大きいということを始めて知った

 
 
 

01月20日 (火)
☆ホジキンリンパ腫という病気・・・☆
私の覚書ですから読み飛ばしてください(笑)
 
 
 
 
 

少し病気のことを書きます
悪性リンパ腫と診断されましたが、悪性リンパ腫は数十種類の病名があり
私はその中の古典的ホジキンリンパ腫ということでした
英語の名前表示がなんともおしゃれでしょう(爆)
非ホジキンリンパ腫というのもあるらしいです
日本人の殆どが非ホジキンリンパ腫らしく、古典的ホジキンリンパ腫は日本人ではわずか5%弱
私の入院中もホジキンリンパ腫の治療を受けていたのは私一人でした

2022年12月、腹部のエコーで腹部内のリンパがいっぱい腫れているという診断を受け
可溶性インターロイキン『SIL-2R』の数値が1000弱
2000超えたら悪性リンパ腫です
経過観察で2年が経ったころ急激に数値が上がり悪性リンパ腫に移行してしまった
2024年の12月に骨髄の採取もしましたが、骨髄の中にこのときは異常はなかった
わずか半年の間に体重が15キロ以上減少
寝汗も出てました
がまさか、自分がこんな病気になっているとは考えもしませんでした

2025年1月の血液内科の外来で悪性リンパ腫の疑いあり
と診断され、」それから1月下旬腹腔鏡手術でリンパの細胞採取し検査
その結果正式に自分の病気がわかったわけです
2025年2月半ばPET-CT撮影
体の中のリンパがあちこちいっぱい腫れていて、それが骨髄までということでステージ4と診断を受けた

2月25日に入院
6クール12回の抗がん剤治療をすることが決定
正直このころは自宅での生活が限界に近く、入院して病室のベッドに横たわったときはほっとした
入院した夜、安堵ゆえか38度超えの発熱
別室でコロナとインフルエンザの検査したが陰性で
翌26日は平熱になり予定通り1回目の抗がん剤治療を5時間かけて実施
抗がん剤治療後、好中球が減り(490) 500以下になれば無菌室入
14日目に無菌室入室 2週間ほど滞在した
面会もガラス越し
看護師、先生、掃除の人、・・・あらゆる人の出入りが入念な出入り
とにかく菌を持ち込まない環境のもとで治療を受けました

1回目の抗がん剤治療後2週間目くらいから髪の毛が抜け始めました

 
 
 
 
 
私の担当医は科の中で一番上の先生でしたが、口数も少なく私の耳も遠いものだから6ヶ月の入院中、コミニュケーションはあんまり取れませんでしたね(笑)
入院した当時、若い女医さんもサブでわたしについていてくれて、私が聞くとその先生が血液検査の細かいことを教えてくれていたので部長先生とのコミニュケーション不足はそれほど影響はなかったのですが、若い女医さんが私が無菌室入室中、転勤になり千葉へ行ってしまって、これは私にとって大変困ったことになりました
その先生・・・長濱先生とおっしゃいますが連絡が取れるのなら寛解したと一番に報告したかった方です

150日以上の入院中入れ替わり立ち替わり3人の研修医が私につきました
2人の看護学生さんもつきました
私は入院中、将来のお医者さんの卵と、看護師さんの卵になるひとにできるかぎりの協力をしましたよ(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 4種類の抗がん剤使用
 その中のアドセトリスという治療薬が光にあたって体の中に入ると血管痛が起こるので点滴の管を遮光する工夫がされている
看護士さんも一苦労です
 
 
 
 
 
 
 


01月18日 (日)
☆今年もよろしくお願いします・・・☆
 

昨年は悪性リンパ腫の治療で翻弄されました
さて、今年はどんな年になることやら

闘病中孫からいただいたお守りです

1年前のちょうど今頃、
血液検査で「可溶性インターロイキン」という検査項目の数値が2000を超え
悪性リンパ腫が疑われ、1月下旬腹腔鏡手術で腹部内のリンパの細胞を取る手術を受けました
その結果悪性リンパ腫のなかの『ホジキンリンパ腫』ということがわかり
PET=CTで画像診断 横隔膜を隔てて上下のリンパ腫が腫れていたらステージ3
それに加え私の場合は骨髄にも転移がありステージ4 高齢であるゆえに5年生存率30%と告知され
6ヶ月の間に12回という抗がん剤治療をすることになりました

抗がん剤治療は昨年の8月末で12回終了
10月半ばPET=CTを撮りリンパ腫を調べました
その結果『寛解』

昨年の一年の半分を病室で過ごし、そんな生活を綴らなければとおもいつつの最近の日々でしたが
パソコンに向かう気力が失せてしまって(笑)

でも、一昨日一年ぶりに久々に会う友人からの言葉にとても感動したものだから
それを書くために今日はパソコンに向かっています

昨年の私が入院すると決まっていないとき、まだ私がガンと判明していないとき
彼女が私に「写経ってなんなん?」と聞いてきました
75歳にもなって写経がなにかわからず聞いてくる彼女にびっくりしたものです
写経を知らない人がいるんだと(笑)

彼女は私の入院中、病気治癒を祈って鶴を折ってくれていて退院後ですが千羽鶴をいただきました
その彼女が一昨日私に言ったんです
写経を毎日書いたと・・・
え?写経ってなに?と彼女は一年前私に聞いたよね
毎日、般若心経を書いた・・・筆ペンで
感動というより衝撃のほうが強かった
私のために写経を・・・写経が何たるかも知らなかった彼女が・・・
彼女は言った・・・お経の意味が理解できたと!

硯はあるの?と聞いたらあるという
次に彼女に会うとき細字用の筆と和紙の写経用紙をプレゼントしようと思う
半紙に写経を書く人が多いが
和紙の写経用紙だと墨の滲みがなく字が格段と上手に見える(笑)
硯でゆっくり墨をするときもお経を唱えながら墨をするんよ、私は・・・と彼女に話しておいた

私が悪性リンパ腫と診断されてから
それはそれは多くの人の激励と応援があったこと、何百回感動したことか

昨年の2月25日、入院初日・・・担当の看護師さんに「私、頑張るわ」と言えば
その看護師さんが私に言った言葉 「頑張らなくていいですよ、私達が頑張ります」
あの日から、いろいろあったなぁ~