寄り道(植物編) | 寄り道(国内編) | 寄り道(海外編) | HOMEへ |
四国霊場 | 西国三十三観音 | 九州西国三十三観音 | 国東六郷満山霊場 | 大島 島四国 | 伊予十三佛霊場 |
宝鬼五年(774)香川県善通寺市に生まれ、日本の真言密教を確立した弘法大師は四国各地の海辺や山などを巡歴、言語に絶する厳しい修業をした。四国遍路はその聖地巡礼として確立され今に伝わる。 八十八の札所数や順番が今の形になったのは300年前の江戸時代中期の頃とみられており、この頃から一般庶民の遍路も盛況になる。(愛媛新聞社お遍路のたびより) |
平成元年1月11日から四国霊場巡拝を始めた。きっかけは書き溜めた写経を納経するため。
お参りするにあたりわからない事ばかりだったので1番霊山寺へお尋ねの電話をする。
いろいろ親切に教えていただき最後に『お待ちしております』と優しく一言。
この一言が私の背中を大きく押してくれたことは言うまでもない。
あれから十数年、途切れることなく参拝を続け、平成18年4月1日には、12回目の結願となった。
お四国さんは私の地元のせいか落ち着いて安心してお参りできる。
@ 21番 太龍寺 22番 平等寺 A 23番 薬王寺 24番 最御ア寺 25番 津照寺 B 26番 金剛頂寺 27番 神峰寺 28番 大日寺 C 29番 国分寺 30番 善楽寺 31番 竹林寺 32番 禅師峰寺
般若心経の写経を何百巻も書いていた頃、観音経に興味を持つ。
般若心経に比べてなじみのないお経で(実際には法要などでよく耳にしている)難しそうだった。
観音経を写経してみる。般若心経の実に8倍の文字数、2000文字を超えていた。
ありがたいお経という以外意味もわからない。一巻を延々と何時間も書き写した。
私を西国観音巡礼に足を向けさせたのはその写経がきっかけだったとおもう。
来世救済を祈る如来。
悟りへと向かっている菩薩。
観世音菩薩は悟りへ向かってはいるが悩める私達を救うため、
また現世利益を与えてくださるということで私にとっても身近な存在になっていった。
困ったことがあるとき、助けてほしいとき、寝床に入り目をつぶって
『南無観世音菩薩、南無観世音菩薩』と何度も心の中で唱え、おすがりしている。
布団の中からお願いするのは不謹慎だろうか?
2001年5月3日より2002年6月15日の結願まで愛媛と西国を6回に渡り行き来した。
走行距離、5260キロ。掛かった費用二人で約40万円。
時間もお金も費やしたが私にとって心に残る巡礼だった。
近々一番札所の青岸渡寺へお礼参りに行こうと思っている。
そのときは西国巡礼のときのような節約の旅ではなく、
南紀勝浦の『ホテル浦島』などへ泊まってゆっくりしてみたいものだ。このコーナーに順不同ではあるが載せてみたい。
@ 8番 長谷寺 9番 南円堂 お参りの寄り道 雪の室生寺 散華(さんげ)
・・・散華とは仏様を供養する際に、花の変わりに撒き散らす五色の紙製の花弁です。
西国では2000年4月から参拝者に配布されるようになりました。花弁はハスの花びらをかたどり、文字は観音経の一部を抜粋しています。(拡大写真でご覧になれます)
九州西国霊場は713年(和銅六年)に宇佐の仁聞(にんもん)菩薩と法蓮(ほうれん)上人により開創された。
英彦山(ひこさん)の霊泉寺から始まり大宰府の観世音寺で結願となる。延べ1100km.の行程。
2004年5月2日から私の九州西国のお参りが始まった。
これから結願まで九州には度々足を運ぶことになるだろう。
国東半島は『み仏の里』と呼ばれ、どこに行ってもみ仏にめぐりあえる霊地です。 なかでも六郷満山(ろくごうまんざん)の名で知られる信仰歴史は1280年前、宇佐八幡神の化身とされる仁聞菩薩という聖僧により開創されたと伝えられています。国東仏教発祥の地宇佐神宮と、六郷満山にちなむ三十三ヶ所の霊場に参拝し、み仏とご縁を結び御慈悲をいただきます。昔の華やかさは現代見られませんが、土くさく素朴のなかにも、国東ならではの別趣の信仰と風格に接することができると思います。 (国東六郷満山霊場巡り宝印帳より) |
かねてから国東の羅漢や摩崖仏を訪ねたいと思っていた。
国東にも霊場巡りがあることを知り 「せっかく国東を訪れるのだったら三十三ヶ寺巡りも兼ねて」 と、
安易な気持ちで巡礼行を決めた。
四国霊場のようなはっきりした標識が出ていないお寺もあり、ざっとした地図片手の道中はきびしかった。
あるお寺では 「カーナビには六郷満山が載っているようですよ」 といとも簡単に言われる。
カーナビがついてないと六郷満山のお参りは難しいということだろうか?
容易に巡礼できないことは百も承知していたはずだったが・・・
2004.5.1〜5.3までの九州旅行だったが1日目は小倉、門司方面へ行ったため国東霊場巡りは正味1日半。
13ヶ寺のお参りとなる。
@ 13番 両子寺 8番 長安寺 9番 天念寺 A 2番 富貴寺 5番 胎蔵寺 宇佐神宮 B 19番 福昌寺 1番 報恩寺 6番 知恩寺 7番 妙覚寺 C 10番 無動寺 11番 応暦寺 12番 弥勒寺
えひめ大島准四国創設由来 大島准四国八十八ヶ所納経帳より 大島は吉海町、宮窪町の二町より成り周囲40キロあまり、白砂青松に富んだ美しい風景に恵まれたところなり。 この島に文化四年(1807)毛利玄得、池田重太、金剛院玄空の三人に依り准四国として開説された。毛利家は備後三原より当地に来り本庄の地に居を構えたり、玄得幼くして出家、名の高龍寺に於いて修業に励んでいたが実家の医業を継ぐ決心をし還俗す、しかし一度仏門に入りその後の還俗した罪の恐さに日夜苦悩八十八の霊場建立の願を起こす。本四国を数度巡拝、地理地形を参考として、大島准四国を開設せり、この意に賛同したのが、庄屋池田重太、修験者金剛院玄空の二人、此の人達が力を合わせて現在の基礎を作れリ。 |
旧暦3月20日開設。以来この日の前後一日ずつをとって3日間を縁日としている。
ちなみに旧暦3月21日は弘法大師の命日にあたる。
下の表は2007年までの島四国の縁日。
島全体がお遍路さんを心よりおもてなししてくれる。
2004年 5月7・8・9日 2005年 4月27・28・29日 2006年 4月16・17・18日 2007年 5月5・6・7日(200年祭開催)
@ 1 2 3 72 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88番
平成7年10月2日母が亡くなった。病院へかかったときは末期のガンでわずか60日あまりの入院であっという間にこの世を去る。67歳。思いがけない母の死に親族一同悲しみに包まれた。誰からともなく母のために伊予十三佛さんにお参りしようという話が出て、亡くなったその年から年に一度母の供養のための伊予十三佛まいりが始まった。2004年10月のお参りで10回目になる。伊予十三佛の意味は次のように載っていた。 『十三仏とは、亡者の死後供養(法事)を行なう際に、本尊とする仏・菩薩をいう。十三仏は、死者を守護する仏として信仰されている。鎌倉時代末期ごろよりは、それまでの中国からの十仏中心の信仰から、日本独自の七回忌・十三回忌・三十三回忌が加えられ、15世紀になって、十三仏の法要が深まっていくようになった。』 ≪十三佛≫ 不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・ 観世音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来・阿シュク如来・大日如来・虚空蔵菩薩 以下のページで十三佛の意味を詳しく載せているので是非読んでいただきたい。(御朱印帳より抜粋) 伊予十三佛さんでは納経のおり、お土産を頂く。各お寺趣向を凝らしていてお参りの楽しみの一つでもある。 |
寄り道(植物編) | 寄り道(国内編) | 寄り道(海外編) | 寄り道(お参り編)TOP | HOMEへ |