midi : 幸せの予感  『sottovoce HP』様



つぶやき・・・


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1月31日 (火)
☆寒行托鉢☆
 昨日は北条仏教会によるこの地域の寒行托鉢(たくはつ)の日。玄関から門扉まで掃き清める。早朝雨が降ったのか庭は程よい湿り気があり掃きやすい。9時過ぎ我家のリキや近所の犬がいっせいに吠え出し僧侶が回り始めたことを知らせてくれる。家の中の音を消し、僧侶のチリンチリンという鈴の音を聞き逃すまいと室内で神経を尖らす。僧侶は足早にあっという間に通り過ぎるから一瞬の油断もしておれない。それが昨日は鈴の音が聞こえて家から飛び出していくと割合長いお経を唱えている。用意した托鉢のお布施の封筒を差し出すとありがたそうに押し頂いてくれて、またお経を唱えてくれる。帰り際深い編み笠をちらっとあげて挨拶してくれた。待っていてよかった。
 今から10年以上も前のことになるだろうか。やはり托鉢の日、お坊さんの後姿を見送っていると近所に新築し越してこられたご主人さんが托鉢の袋をお坊さんに手渡している姿を見かけた。私と同じことをしている。言葉も交わしたことのないご主人さんだったが、この日からその人が大好きになった。同じ組内でも無口なその人と言葉を交わすことは今でもめったにないが私の中では一方通行ではあろうが心を通わせている。
 ふとした所作で好きになったり嫌いになったりする人間の心、微妙である。
1月30日 (月)
柳澤桂子著 『生きて死ぬ智慧』-4☆
Q 『空』という状態があるということを知ることと、知らないでいることの違いは大きいですか?
A 大きいです。『空』がわかったほうがよかったです。これから歳をとってだんだん苦しくなってくるからその時それを知っているのと知らないのとでは全然違うと思う。
Q どのあたりが違いますか?
A 老いの受け入れ方、死の受け入れ方が違う。
Q 受け入れ方はどう違ってくるのでしょうか?
A 関節や腰が痛くなってきますね。それをありのままに受け入れられる。受け入れやすい。自分は歳をとってきたんだからこれを受け入れようと思うし、またそうなりたい。
Q 般若心経は柳澤さんにとってどういう存在ですか?
A 私の中に住み込んで抜けられない状態。しみわたっている。
Q 染み渡っているとどういう感じなんですか?
A つらいことがない。怒るということがない。腹がたつってこともない。いつもいい気持ちです。楽ですよ。
 4日間にわたり柳澤さんのことを書いてきたが、柳澤さんの『生きて死ぬ智慧』という本もやはり私には理解するのは難しい。が日本画家堀文子さんの美しい挿絵と、詩のような旋律の優しい文章はすきだった。柳澤さんは般若心経を理解され昇華し悟りを開かれた。テレビに出演した住職さんが言っていた。「すごいなぁ、野の花のように生きられるんですよ・・・と柳澤さんは言っている。」
“花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を訪ねる・・・良寛”
野の花のようにあるがままを生きる。そういう生き方を心がけようとは思うが私のような凡人には及びもつかないこと。非常に難しいことである。
1月29日 (日)
柳澤桂子著 『生きて死ぬ智慧』-3☆
 8年前、柳澤さん60歳のとき寝たきりになり物が飲み込めない状態になり、中心静脈栄養で生命に必要な栄養を補給する。痛みと心臓の苦しみで一秒が長い。明日なんてとても考えられない。過剰医療をやめて欲しいと『尊厳死』を希望。家族特にお嬢さんがそんな柳澤さんを見て悲しがり泣き叫ぶのをみて、命を自分のものだと思っちゃいけないと普段から思っていながら、まだ自分のものだと思っていて、これだけ般若心経を読んでもまだ自我は捨てられてない、これではいけない。命はみんなのもの。仕方ないので過剰医療を受け入れようと決心する。その頃うつ病の治療薬の成分に痛みを抑えるものが含まれているということを聞きこれを服用。1週間後から効果が現れはじめ、やがて車椅子を使い散歩もできるようになった。そんなある日自我を捨てる空の感覚を身をもって体験することになる。あるご婦人に「大変ですね」と声をかけられ、その日に限って「憐れまれているんだ」と嫌な気持ちになる。車椅子を止めてそのことを考えていたら、もし自分がいなかったらこういう嫌な気持ちもおこらない。自分がいたから嫌な気持ちはある。この気持ちは自分で作り出したんだ。ということにはっと気づく。自分がいなければということは自我をなくせばいいんだ、頭だけではなく身体を通してはじめて自我をなくすということがどういうことなのか入り口だけどそういう感じをつかみかけた。これが柳澤さんの自我を捨てるということを身をもって知った瞬間である。模索中の答え、柳澤さんの場合は自我を捨てるということになろうがそれは考え続ける、いつも気にし続けることによって突然答えがわかるということなのだろうか。
 明日はNHKのインタビューに答える柳澤さんの言葉を書いてみたい。
1月28日 (土)
柳澤桂子著 『生きて死ぬ智慧』-2☆
 昨年、NHKの朝の番組で柳澤桂子さんの現代訳般若心経『生きて死ぬ智慧』が取り上げられた。インタビューを受ける柳澤さんの静かに深く澄んだきれいな瞳と淡々とした語り口から繰り出される言葉に魅せられて録画しておいたこの番組をもう5回は繰り返し見ただろうか。
 柳澤さんは30歳のとき原因不明の病になる。37年に及ぶ闘病生活を送り、今も薬の服用が欠かせない。全身を襲う痛み、しびれ、だんだん症状は悪化し歩くことすら難しくなった。希望を見出せない日々の中次第に宗教の世界に近づいていく。科学者である柳澤さんは宗教というものは科学で説明できるという。科学が遅れているから神秘的にみえるだけでいずれわかってくるという。
 般若心経の教え、欲を捨て、自我を捨て空(くう)になる。自我を捨てるとは頭では考えていても身体がわからない。『自我を捨てる』とはどういうことなのか、般若心経の核心となる『空』という概念をどう理解すればいいのか、長い時期考えた。ある雨の日ぼんやりと窓から外を見ていた。木もあった。雨がザーザー降っている。外の風景が柳澤さんの目に『粒子』として写った。雨が降っているので木の周りにはH2Oが沢山でている。自分も木も粒子の塊。別々のものと思っていたのは私達の錯覚で、じつは木も人もその間の酸素もすべて粒子でできていて、つながって一つである。だから宇宙全体も一つである。人も私もあなたもない。それが『空』のせかい。自分はない、そうすると欲もないし憎しみもない、それが般若心経の世界だと科学者らしく『粒子』という言葉で『空』を理解することができた。自分はない、したがって自我もない。『粒子』という言葉によって『空』を理解したかにみえた柳澤さんはこの後またある出来事に遭遇する。・・・明日に続く。
1月27日 (金)
柳澤桂子著 『生きて死ぬ智慧』-1
  この本、ご存知だろうか?数ヶ月前、娘と本屋に立ち寄ったとき、娘が店頭に並べられたこの本を手にとって、買いたそうにしていたので驚いた。地味な本が若い人に興味を持たせ、本を手に取らせるという現象に驚いたのだ。
 10年前の私の母の死以後、私達と共にお経を唱える機会が多かったので当時20歳を過ぎたばかりの娘も般若心経を自然と唱えるようになった。年配の人でも般若心経を知らない人も多い中、お経をそらで唱えるうら若き娘に当時は敬服したものである。その娘もお経を唱えながら実のところ意味はわかっていない。私もわかっていない。寂聴の般若心経、など般若心経についてわかりやすく解説した本は沢山出ているがわかりやすいといっても、やっぱりわからない。
 そのわかりにくい般若心経を柳澤さんの言葉で現代風に訳したのが『生きて死ぬ智慧』。生命科学者である柳澤さんは痛みの伴う苦しい長い闘病生活中、「宗教しかない」と考えが及びあらゆる宗教の本を読みはじめ、その中で特に心引かれたのが『般若心経』。そこには欲や自我を捨て空の状態になることで悟りを開くことができると書いてあった。欲を捨てるということはわかる。が自我を捨てるということがわからない。ここまでは柳澤さんは私と、いや私達と一緒である。そこから柳澤さんは悟りの世界に入っていく。…長くなりそうなので明日に続く
1月26日 (木)
☆カルチャーショック☆
 おばさん3人組、行ってきました、ご近所のSさんたくへ。3人3様それぞれカルチャーショックを受けてやや呆然と帰ってまいりました〜〜〜。
 建物は北欧風。玄関から続く自然な色合いのテラコッタのタイル。真っ白い壁。高い天井。「オ〜ッ!雑誌の世界ジャン!」。テラコッタタイルの足元はぽかぽか床暖房。もうここから驚嘆がおさまらない。ものめずらしくってあれもこれも聞いてみたかったけど、時間が足りなかった。可愛いもの好きとはなんとなく感じていたけど、海外のオークションで落札したアンティークなクマさんやその他沢山の縫いぐるみが住人の一部分のように飾られている。白いタイルのキッチン。シンクも真っ白い陶器。カラフルな小物が生活感をかもし出す。アラビア窯のカップで頂くコーヒー。まあ、とにかく見ることもおしゃべりすることも楽しかった。手品まで見せていただいて、Sさん、夢のような時間をありがとう!一番大事な報告忘れてた。住人はご夫婦と3匹のワンちゃんと、ふわふわの可愛いうさちゃんの6人家族でした〜〜。
1月25日 (水)
☆善通寺☆
 香川県にある四国八十八ヶ所霊場75番札所善通寺。先週の土曜日行ってきた。
 “境内に佇むと幼名を真魚(まお)といわれていた頃の利発そうな幼い空海が駆け抜けていくような気がして・・・”という昔読んだ本の一節が頭をよぎり、ここを訪れるたび広い境内を見渡し、居るはずのない幼い真魚の姿をついつい探す習慣がついてしまった。空海生誕の地として全国から参拝者の絶えないお寺。真魚の育った善通寺は私の大好きなお寺である。空海生誕1200年。境内の立派な2本の大楠がその長い歴史を物語っている。
 先日は善通寺の御影堂(大師堂)地下にある戒壇めぐりをしてきた。長野県善光寺、西国三十三観音霊場33番札所谷汲山華厳寺、中国三十三観音特別霊場摩尼寺、これらのお寺の戒壇めぐりを体験しているが、いづれもご本尊様とつながるのはお錠前と言われるものであった。しかし善通寺の戒壇めぐりはちょっと趣が違っていた。闇の中を左手で手探りで伝っていくと中間あたりに広間があり、センサーで人の気配を感知すると薄明かりがつき、お大師様や四国霊場のご本尊様をお祭りした祭壇が現れる。そこでお大師様のお声とやらで短い説法を聞く。仕掛けが現代的で面白い。戒壇めぐりの料金500円を支払うと、お大師様が産湯をつかった産湯堂や貴重な品を展示した資料館も合わせて拝観できる。善通寺へ行かれたときは是非戒壇めぐりを・・・お勧めである。
1月24日 (火)
☆昼食会☆
 ノリコ姫の提案で昨日はHさん宅で昼食会。ノリコ姫がお料理を持参してきた。カニと白菜のスープ、おにぎり、きんぴらごぼう、メイン料理はえび肉団子の錦糸卵&ほうれん草添え、特製のからし醤油で頂く。Hさんは先日ラーメン屋で出されたという梅肉をのせた大根サラダを見よう見まねでしてくれた。12時から始まった昼食会は3時間半。女が3人寄ればなんとかというけど、次から次と話題がでてそのつど盛り上がるから時間がいくらあっても足りない。
 明日はこのメンバーで近所のお若いSさん宅へ押しかけて行くのだが、「おとなしくしていようね。」と打ち合わせしておいた。守れるかなぁ〜!
 ノリコ姫もHさんもお料理上手だけど、いつか私がお料理持参していくことになったら何を作って行ったらいいのかちょっと考えてしまう。得意料理の見当がつかない。同居人に「私の得意料理なんだと思う?」と聞いてもどうせ「なんでもおいしいよ。」と当たらず障らずの答えしか返ってこないに決まっているから聞くだけ無駄よね。
1月23日 (月)
☆占い☆
 占いって面白いね。大好きよ。とってもよく当たる(と、私は思ったんだけど)性格判断の占いをT先生がメールで送って下さった。生年月日と性別の入力で占う。もちろん無料。私の性格、おかしいくらいよく当たってて同居人に“どこか傷つきやすい繊細なムードのある可憐な女性です。・・・”と読み聞かせ始めた途端、「出だしからまったく違う」と異論が出た。そうよね、自分では繊細で可憐だと思っていても同居人の目には正反対の豪放磊落な女と目に映ってるみたい。娘も「その部分はちょっと違うような・・・」と遠慮気味に言ってたし・・・。まあ、繊細で可憐な・・・という部分は横に置いといて、他は驚くほど当たっていた。同居人も私の生んだ子供達も、亡くなった父や母も占ってみたが面白いくらい性格当たっている。T先生も当たっている。一度試してみてね!
占いモンキー
1月22日 (日)
☆お参り=ペルー☆
 昨日も早朝から家を出て香川県の霊場を16ヶ寺参拝してきた。香川県の難所は71番弥谷寺(いやだにじ)。階段が300段以上ある。苦しい階段を一段ずつ上りながら「ペルー。ペルー。」と自分に言い聞かせると今回は苦しさが半減。階段の下りなど飛ぶように下りた。先週の14日、徳島の霊場を雨の中お参りして夜遅く家へたどり着くと知人からのペルーのお誘いの手紙が郵便受けに入っていた。あれからたった1週間なのに私の気持ちはコロッと切り替わり、四国霊場の参拝道はペルーへ行くための自分を鍛える格好の場所と早変わりした。同居人が「そうか、それなら来年の5月にペルーに行くか?」といきなり言い出すのでびっくり。「来年の5月?もうすぐジャン!」ヨーク考えてみると同居人の定年退職もその頃迎える。「ハヨ、痩せんといかん!」と私が言うと同居人のほうが驚いてペルーと痩せるのとどんな関係があるのかと聞く。私の単純な脳細胞は・・・お参り=痩せる=足がラクになる=ペルー行き・・・という数式がすっかり出来上がってしまった。
1月21日 (土)
☆ライブドア☆
 特捜の強制捜査が入って数日。まだ黒とは確定してないが限りなく黒に近いグレー。心配している。というのも、ホリエモンという強烈なキャラクターがテレビ画面に登場してから、まるでアメリカ映画のサクセスストーリーを見ているようで痛快だったりはらはらしたり。これが映画じゃなく現実というところが実体がある。しかしホリエモンのライブドアという会社は実に実体の見えにくい構造。あの手この手でのし上がった人間がラストシーンで破滅を迎えるというのは映画の中だけでいい。もし、ライブドアの方向性に間違いがあったのなら、方向を修正して新たに出直して欲しい。わが子とほぼ同年代のホリエモンを案ずる。株価という得体の知れないものに現代人は群がりすぎるのではないだろうか。“砂上の楼閣”という言葉を思い出しながらドキドキしながらこの事態を見守っている。
1月20日 (金)
☆火のよ〜じん☆
 玄関の前に年季の入った拍子木がちょこんと置かれてあった。昨夜はわたしの地区の火番が回ってきた。夜11時から同居人が拍子木を持って車で地区内を一周見回りしてきた。
 同居人が単身赴任で留守が長かったのでその時は私が火番に回っていた。カチンコを鳴らしながら「火のよ〜じん」とか細い声で歩いて回った。大きい声が出したかったのだが、だ〜れも見ていなくてもなかなか照れくさいもの。それになにぶん深夜に近い時間。シーンと静まり返った真っ暗な田舎の路地裏はおっかなびっくり。ときたま灯りのついている家があるとほっとした。自分が火番で回った夜に火事があっては大変と、一応丁寧に見回しながら歩いた。長い拍子木の重さが腕に応えた。
 火番は私の地区のローカルな冬の行事である。
1月19日 (木)
☆旅行のおさそい☆
 先日知人から“ペルー12日間の旅”のお誘いの手紙が来た。ご主人さんは体力不足でペルーへは行くことができないので、連れがあるほうがいいからよかったら一緒にどうですか・・・という案内。こういうお誘いはすごく嬉しくて、毎日時間のたっぷりある私は「行く」と即答したかったんだけど、行き先が同居人がとっても行きたいペルー。定年になったら行こうと約束している場所。一足お先に・・・というわけにもいかず、泣く泣くお断りした。
 彼女夫婦は世界遺産がお好きなようでかなり海外へ行かれている様子。チベット、インドなど、同居人が聞いたらこれまたうらやましがるようなところへもすでに行っている。メールでチベット、インドなどの旅行の注意点など教わったが、チベットでは高山病、インドでは42度の暑さで倒れ、エジプトでは風邪と失神、いづれもご主人さんに起こった身体の異変。チベットやインドなど話聞くだけで今の私には無理。同居人の定年退職までには世界の秘境に挑戦できるよう私も太った身体を少しシェイプして足に負担を少なくする努力をしなければと、自分に言い聞かせた。
 3月、ペルーから帰国後の彼女の報告を楽しみにしている。
 ペルーに何があるって?かの有名なアンデス山脈に抱かれたインカ帝国の首都クスコ、ナスカの地上絵、マチュピチュの遺跡などため息が出そうなほどの皆さんおなじみの世界遺産の宝庫なのである。古代遺跡のスケールはやはり自分の目で見ないと映像では伝わりにくい。たとえば、エジプトのピラミッドも映像だとこじんまりとしているが実際は近づくにつれスモッグの中から姿を見せ始めるピラミッドは「オーッ」と思わず驚嘆の声が出るくらいの怪物的大きさなのだ。“百聞は一見に如かず”を実感する瞬間である。
1月18日 (水)
☆本☆
 昨日はトールペイント。12月はお休みしたから昨日は2ヶ月振り。だいぶん絵になってきた。筆遣いなどはまったくダメだがまあ第一作目だから私自身期待もしてない。taekoちゃんは、そのうち面白くなるよ・・・と言ってくれるがそうなればいいなと思う。トールは終わった後のtaekoちゃんとのおしゃべりと食事が楽しみで行っているようなもの。昨日の昼食、白水台のグリーンカーメル。おしゃれな服装でおしゃれなランチを楽しむ人が沢山いて、雰囲気よかった。
 その帰り、久々に図書館に寄る。昨年一月の松山市合併後初めて本を借りたので北条市の図書カードから松山市の図書カードに替わった。借りた本はシドニーシェルダンの“億万ドルの舞台”。2004年9月発行の割合新しい本。シドニーシェルダン読むの何年ぶりだろう。多分9年ぶりぐらい。そしてもう一冊、横山秀夫の“深追い”。横山秀夫の文章がすばらしく横山秀夫のような文章が書きたいという人の言葉に興味があり借りた。横山秀夫原作、映画“半落ち”は見たがやはり本で読んだほうがもっといいかも。
 私は三島由紀夫の“豊饒の海”を読んだ後、三島由紀夫にかぶれた。こんな文体の文章が書きたいと思った。人それぞれ、感銘を受ける本があるものだ。その三島由紀夫の“豊饒の海”全4巻。今は私の手元にない。読みたいと言う人がいて貸し出し中。その後いろいろな人に回っているようで本が手元に戻る頃はぼろぼろかも。“豊饒の海”がよれよれになってオマケにページの間にお菓子のくずなどはさまって返ってきたら私はきっとガッカリする。やっぱり貸さなければよかったと今、後悔している。私は決してケチではないけれど本に関しては普通よりちょっと神経質かも。丁寧に本を扱ってくれていることを祈るばかり・・・
1月17日 (火)
☆阪神大震災☆
 今日で11年目を迎える阪神大震災。あの日の早朝ここらあたりでも大きな揺れを感じた。私は15日に8日間のエジプト旅行から帰ったばかりで頭の中はエジプトボケしていた。16日の朝も17日の朝も奇妙なミイラの夢を見た。エジプト考古学博物館に眠るミイラが夢に出てきた。そんな夢うつつの時、地震はおきた。時間が経つにつれテレビニュースは震災のすさまじい様相を映し出した。15日に別れたばかりのエジプト旅行で一緒だった若い神戸の新婚さんのことが頭をよぎった。カイロ最後の夜、ナイル川ディナークルーズで同席した本当に美しい新婚カップル。どうしているのだろう・・・あの日から阪神大震災の1月17日が来るたびにいつも神戸の彼女達のことを思い出す。
1月16日 (月)
☆蝋梅(ロウバイ)☆
 花の少ないこの時期ひときわ目をひく蝋梅の花。我家の蝋梅もいま真っ盛り。先週まで固い蕾が枝に可愛く居並んでいたがここ数日の暖かさで一斉に花開きだした。花芯まで黄色いのは素心蝋梅という品種らしい。我家の蝋梅はいつのまにか大木になったが塀の隅の目立たないところにあるので、ちょっと可哀相。枝を手折って玄関のいり口に無造作に投げ入れした。その蝋梅の匂いのいいこと。玄関を開けると甘い香りが仄かに漂ってくる。花言葉は慈愛。この蝋細工のような美しい花を楽しんでもらいたいと我家を訪問した女性に押し付けがましく枝を手折って渡しているのだが、「これって蕾がポロポロ落ちるんでしょう?」という人もいたりして、すべての人に歓迎はされてないようだ。「蕾が落ちないようにそっと触ってね。落ちた蕾はマメに拾ったらいいじゃない。」 
 久しぶりにマクロレンズをつけて花の撮影をした。これは片手で撮影した写真。青空をバックに撮りたかったから左手で青空に向け枝を支え、右手だけでカメラを持ちシャッターをきった。コンパクトデジカメならまだしも、さすが一眼レフはこういう動作は無理がある。
1月15日 (日)
☆冬の雨の中・・・☆
 昨日は早朝から留守をしていた。夜の10時前帰宅。パソコン開けてメールチェックをするとなんとウィルスバスターで選別された迷惑メールが一挙にダダダッとどっと30通。うんざりと言うよりもこれほど大量だとかえってすごいなぁ。パソコンあけたついでに昨日撮影した186枚のデジカメ写真をパソコンに取り込んだ。
 昨日の行き先はお四国参りで徳島まで。一番札所霊山寺からお参りを始めた。今回は霊山寺から車で10分ほど離れた一番札所奥の院“種蒔大師”へはじめてお参り。そこで般若心経の原本といわれている美しい梵字で書かれたお経を頂く。当然写し。梵字で書かれた般若心経の原本はインドでも東南アジアでも中国でもなく日本の法隆寺に残されている。そのサンスクリット語で書かれたお経を孫悟空で有名な中国の玄奘(三蔵法師)が漢字に訳した276文字の般若心経が一般に出回っている。一日中雨の中のお参りとなったがこの雨がよかった。巡礼者は極端に少なく、境内は閑静で冬の雨が伽藍に白い糸のようにまっすぐにふりそそぎモノトーンの不思議な世界をかもしだしていた。12番焼山寺には雪も残り、山すそから立ち上る霧にすっぱりと覆われ、風景これもまさに一期一会・・・そんな体感をした一日だった。
1月14日 (土)
☆美容室☆
 27年くらい前から同じ美容室へ通いつめている。先生も私もまだ小さい子を抱えていたむか〜し、むかしの事。その頃先生にご主人は居た。それがいつの間にかご主人の姿を見なくなり離婚したことがなんとなくわかった。そんな矢先一番下のお子さんが髄膜炎にかかり一時お店を休業した。私は仕方なく北条の美容室でカットをお願いした。髪を一度洗ったらヘアスタイルが崩れた。私のヘアスタイルはカットだけで保たれている。東京は新宿で修業した先生の腕前は確かなものだった。先生は私のカットのために店を再開した。私のヘアースタイルはエジプトでも、アメリカでも…外国で好評でカットの美しさをほめられた。髄膜炎にかかった赤ちゃんだった息子さんも今年留学先のサンフランシスコから帰り大手の商社に就職が決まった。息子さんの学費のために店も何店も出店し頑張った。夢は10店舗だという。思いのほか経営は大変で次々と設備投資に資金がかかりゆとりはなかなかできないらしい。これから自分の人生なのに今は90過ぎの砥部焼きの製造業を昔営んでいたちょっとボケたお父さんを看ている。自叙伝が書けそうなほど波乱の人生を送ってきた人。もう少し時が経って先生に自由ができたら一緒に1泊2日の温泉旅行に行こうと約束している。遊びかたは任せておいてね・・・と言ってある。
1月13日 (金)
☆デパート☆
 一昨日娘と高島屋へ出かけた。自分の買い物のためにデパートを歩くのは久しぶり。デパートはバーゲンセールに入っているので賑わっていた。昨年おそがけの衣替えをして10年は衣類は要らないだろうというくらいの量を目の当たりにしてうんざりしたものだから、ちっとも購買意欲が沸いて来ない。楽しみが娘と食べるお昼ごはんだけという具合。軽くビールを飲み1時間ほど昼食。もう帰ろうかという時に娘が「セリーヌからソルドのハガキが来ていたのでちょっと寄ってみない。」というものだから着いて行く。これがいけなかった。セリーヌでは珍しい上質の茶色の革のスポーティーなショルダーバック。どうしても欲しいというものでもなかった。持ってても良いかも・・・と言うくらいのもの。最近パンツ姿でスニーカーという出でたちのアウトドアのお出かけが多くなったからいいかも。店員の見せてくれた外国のファッション雑誌にモデルがかっこよく肩にかけて写っている。なかなかいけてる。売り場であれこれ深く考えるのが嫌になったから買った。自宅へ帰りそのバックに一眼レフデジカメとマクロレンズを入れてみた。ぴったり収まった。カメラと同じ位する値段のバック。よく考えもしないで馬鹿な買い物をしたものだと後味が悪かった。いい歳してちっとも賢くならない女である。
 今日は13日の金曜日。砥部の美容室へ行くことになっているから道中気をつけていこう。
1月12日 (木)
☆シャボン玉☆
 昨年のクリスマスに送られてきたカード。そのカードに描かれた幻想的なシャボン玉。PhotoShopで作ってみたいシャボン玉。そのあこがれのシャボン玉が割合簡単にできたの。それで今日はシャボン玉のお披露目をするね。まだまだ未熟よ。昨年徳島県池田町の黒沢湿原(くろぞうしつげん)で撮影したツルに咲いた小さな花。名前も知らない花。その写真にシャボン玉を飛ばしてみたのよ。
1月11日 (水)
☆甥に彼女ができた☆
 昨日義妹から嬉しいメールをもらった。2月に33歳を迎える甥が一昨日生れて初めて女性を自宅に連れてきたそうだ。すらっと背の高いハンサムな息子が3人いるが揃って女性との縁がとっても薄くって、いまだかつて彼女の話など一度も出たことがない。そんな家なので義妹は舞い上がって、有頂天。“今時の子の様に派手じゃなくおとなしくって、笑ったらえくぼができる可愛い子です。女気のない家に若い女の子が来てくれて、すごく嬉しくて…、今年は良い年になれば良いのに〜”と彼女のメール。昨夜このことを同居人に話すと「4月に結婚させ」ですって。そうよ、一日でも早いほうがいいわ。このめったにない縁を逃せば甥は一生結婚できないかも。
 息子3人の殺風景な家庭に突然舞い降りた可愛い天女。こんなに大喜びのお母さんに迎えられてこのお嬢さん幸せ者。どうか、来年のお正月はこの可愛い女性が加わり恒例の我家の新年会が華やぎますように・・・
1月10日 (火)
☆歌っちゃいました☆
 昨日は私たちの組の新年会。一昨年23世帯あった組が2つに分かれてからの初めての新年会。16人参加のこじんまりした新年会でちょっと淋しい。3時間の宴会だったんだけど途中からカラオケが始まり、歌うメンバーはいつも決まっているんだけど、今年はさっきも書いたように人数が少ないから場が持たない。歌いたい人だけのカラオケショーで私は充分に楽しかったんだけど、どうしてもマイクが回ってくるのよね。人様に聞かせるような歌は歌えないのは私自身が一番よく知ってる。でも、こんなとき私のお人よしの性格がモロに表れるのよね。断りながらもついつい曲の番号言ったりして。そして歌ったわ。歌いながら自分で思った。やっぱりマイク持たなければよかったと。私は歌わなくってもリップサービスで充分皆さんを楽しませることができたのに。マイクを握ったばっかりに初めての私の歌声にみんなの耳が緊張してしまって。カラオケってどうして3番まできっちりあるのよね。長すぎ〜〜。曲名?『抱擁』。40年前の曲だって。レトロでしょう。
1月9日 (月)
☆成人の日☆
 毎年1月15日だった成人の日が2000年から1月第二月曜日に変わった。我が子の成人式もずっと昔のことになったので最近は毎年、日にちの変わる成人の日をうっかりして忘れてしまっている。私にとったらただの休日でしかない。
 はるか彼方の私の成人式、振袖禁止など華美なものをさけるのが美徳とされる時代だった。そのおかげで振袖を着る機会を一生失った。中学校の先生の推薦とやらで市役所から成人の誓いをして欲しいと依頼があり、まだ世間ずれもしていない私は断ることも知らず、品行方正の顔をしてみんなの前で品行方正の成人の誓いをした。どんなことをつづったのかすっかり忘れてしまったが、どうせ、ありふれた当たらずさわらずのことを言ったに違いない。20歳、それほど希望に燃えていたとも思われず、56歳の今の自分のほうが覇気があることは間違いない。そして、姿形は醜くなったが今の自分のほうが数段好きと自信を持って言える。36年という結構荒波の歳月はつるんとした丸い原石にキレイなカットを施してくれつつある。ここまで来るの割合しんどかったからもう一度二十歳に戻りたいとは思わないわ。
1月8日 (日)
☆雪景色☆
 金曜日の晩の天気予報、愛媛県は風雪注意報が出ていた。平地でも雪が降るでしょう…とのことだったので、昨日の土曜の朝は結構楽しみに玄関のドアを開けた。雪の降った気配すらない。拍子抜けした。
 金曜の晩の同居人との話し合いで「土曜日はどうせどこへ行っても雪だから、家でおとなしくしてましょう。あなたは別の部屋で大晦日に録画したK1やPRIDE
のビデオ見てね、私はDVDで北の国からを見るから。」と言う事になっていた。それが輝く朝日が昇り空が明るくなると急に同居人がそわそわするので、結局お出かけすることになった。行き先は徳島。目的は四国霊場一番札所霊山寺。その前に新居浜のマイントピア別子で冬桜の撮影。今回は同居人が三脚もちゃんと車に乗せてくれて本格的に撮影を手伝ってくれるらしい。松山・今治までは上天気。天気予報って違っていたね…なんて話しながら走っていると東予国民休暇村あたりの坂から四国山脈を見てびっくり。景色が一変して雪景色に変わった。石鎚山頂は雪が降っているようで厚い雪雲に覆われている。国道11号に出ても車が異常に多い。高速道を避けて一般道に流れ込んだ車が多いようだ。新居浜に差し掛かると雪が舞いだした。車内の計器も時刻表示が切り替わり外気温が3度のなったことをブザーで知らせた。すれ違う車も信じられないくらいの雪をかぶっている。新居浜から高速に乗り徳島へ行く予定、および冬桜の撮影を中止した。それにしても同じ愛媛でも私の住んでいるところと石鎚山の麓の気候の差に驚いた。山すそまで雪が積もり、山全体が雪化粧。車外にでると石鎚おろしの冷たい風が頭の芯を貫いた。
1月7日 (土)
☆HPから音楽が消えた☆
 一昨日くらいからかな、この“つぶやき”コーナーの音楽プレーヤーの表示が消えた。どうしたのかなぁ〜・・・とむか〜しT先生と頭を寄せ合って音楽をつけた記憶をたどりながらJavaScriptをお借りしたHPを探し当てた。があいにくそのHPは閉鎖されていた。そこでHP作成支援のHPをいろいろ訪ねあるいて先ほどプラグインで音楽をならすというところにたどり着いた。プラグイン・・・そういえば私の場合はQuickTimeで音楽を表示していたはず。そして念のためQuickTimeのソフトを開いてみると「一部で使用できなくなっているがすべてで使用できるようにしますか?」と質問が来た。それで“はい”をクリックしてHPを見てみるとQuickTimeのプレーヤーが表示されていて、いつもの状態に戻っていた。訳がわからないままさらっと復旧し一件落着でとりあえずほっとしたところである。起きてから2時間近くが経っていた。
 文字も読めない暗闇の中、手探りで“ふら〜っと寄り道”を作っているようなもので、いつも雲の中をふわふわ足元も頼りなく歩いているというのが正直な私の状態である。
 文字も読めない・・・これって本当よ。このページのメニューバーの表示というところのソースを開いてみて。HTML言語がずら〜っと並んでいて、ちんぷんかんぷん。これ全部読めたら私ここで主婦してないわ・・・
 やっとのおもいで復旧した音楽プレーヤー。『早春賦』が流れるから是非聞いてね。素晴らしく美しい演奏なの。うっとりするわよ。
1月6日 (金)
☆若菜摘む・・・☆
 今朝ストーブを点ける前の室温6度。年末の寒波のときもこんな室温の日があった。今日もあの日と同じように寒いんだ。でも、今日は大掃除が待っているわけでもなし、一日ストーブの前で番でもしていよう。おっと、そんなわけにはいかないか。そろそろ食料の買出しもしないと、冷蔵庫が隙間だらけ。そういえば年末は野菜が高かった。春菊など2束で500円近く。生しいたけもエノキも鍋物の材料はすべて高かった。年末はどんなに高くっても仕方ないから買うのよね。そうそう、今日は忘れないように春の七草のセットを買っておかなくては。本当は七草は買うのものじゃなくって野を駆け巡って摘んでくるのよね。百人一首に『君がためはるの野に出でて若菜つむわが衣手にゆきはふりつつ』って私の大好きな和歌があるけど、これなどまさに今のこの時期にぴったりだわ。あ〜ら、ボケた頭かと思っていたら、昔覚えたものは今もちゃんと覚えてる。そのほかにも百人一首はたくさん覚えてるわよ。とっても小さい小学生の低学年の頃から大好きで、冬は百人一首と花札が友達だったから・・・え〜っ、どんな子どもだったんだろうね。こまっしゃくれて!
1月5日 (木)
☆ゴミ?☆
 年末の大掃除、同居人の大事なもの捨てちゃって、昨夜から険悪な雰囲気。だって、何ヶ月も同じ場所に埃りかぶって置いているんだもの。てっきり同居人がそんなものあることすら忘れてると思ったし、私にとったらただのゴミよ。それが昨夜いきなりその品物のことについて「どこにあるん」と聞くの。困ったけど正直に「捨てた!」と答えたら、そうとうプリプリして、ずっと小言言ってたわ。三崎の九四フェリーの従業員に上げるものだったんだって。ずっと前そんな話聞いたことあった気もするけど、なにせ昨日のことも忘れるボケた頭でしょう。そんな昔の話すっかり忘れていたわよ。同居人はそうとうガッカリして怒っているし、私も悪かったとは思うんだけど、捨てちゃったものはどうにもならないし。当分同居人が居るときは身を縮めて生きていくわ!
 あ〜この重苦しい空気、息苦しぃ〜!
1月4日 (水)
☆節分草☆
 今朝6時22分、外はまだ真っ暗、星が瞬いている。そんな暗い中同居人が出勤していった。今日から我家のパターンも平常に戻る。私自身も平常に戻らないといけないのだが年末からお正月にかけてのあわただしさ、そして昨日息子を見送ってからの脱力感、急に気力が萎えてしまってオマケに身体の節々まで痛い。こんなだらだらした状態ではいけないと思うのだが気力を奮い立たすのがこれほど難しいとは。
 今月のこのページの壁紙は節分草。花びらのように見えるのはガクで、花は退化して蜜線になっているそうだ。一度マクロレンズで撮影してみたい花である。節分の頃に咲くそうだがここらあたりはどこにさくのかなぁ・・・知ってる人がいたら教えて!
1月3日 (火)
☆しまなみ☆
 昨日は一日家でごろごろする予定だったが息子が「どこか行こう」というものだからしまなみへ。来島海峡大橋の袂にある今治造船で進水式間近の新造船を見て、糸山公園、大島、伯方島へと足を延ばした。しまなみは2ヶ月に一度は足を運ぶほど私の大好きなスポット。息子にあそこもここも案内してあげたかったが、なにぶん家を出たのが正午だから、時間が足りない。とりあえず、伯方の“さんわ”で塩ラーメンやたこメシなどで遅いお昼。船折瀬戸や開山公園を案内して、大島では夕日を見るために亀老山展望台へ。以前ここへ来たときはJR西日本のコマーシャル竹内結子の“いい日旅立ち”の撮影現場に出くわした。昨日はあいにく天候の加減で夕日にはお目にかかれなかったがここから見る来島海峡大橋はやはり美しかった。7時ごろ帰宅してそれから手作りの夕食を息子に。4泊5日の息子の帰省はあっという間に終わった。今朝7時発の高速バスで帰っていく。さあ、これから息子のためにおいしいお味噌汁でも作ろう。
1月2日 (月)
☆年の始め☆
 大晦日の早朝から元旦の昨夜まで働き通した2日間がやっと終わった。過ぎてみれば腰、肩、肘などの痛みがそれに対する代償。ちょっと情けない。
 義妹が「すごいお料理作ってくれて、忙しかったでしょう。毎年こうやって呼んでいただけるからお正月が楽しい。ありがとう。」と嬉しい言葉を頂いた。それにしても作りすぎたお料理が山のように残っている。今日は家族3人で残り物を片付ける一日にしてラクしよう。
 昨夜、と言っても正確には今日なんだけど、息子に「midiとmp3ってどう違うの?」って聞くといろいろ説明してくれたんだけど、エンコードとかコーディックとか難しい言葉がでてきてこれまた余計難しい。ビデオ編集で私も習った言葉なんだけど、まったくそういうことが理解できないの。そして昨夜息子との会話の中、今年の課題が決まった。今年はわからないことがあったら徹底的にネットできちんと調べよう。勉強してもしてもしてもすぐに忘れてしまうとんでもない脳だけど、それでも勉強は続けよう。
2006年元旦

皆様 明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします
                                               今月の曲 早春賦