2005年3月つぶやき・・・

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2005年
3月31日 (木)
今日で3月も終わり!今朝5時ごろ外へ出ると半月よりやや大きいお月様が明るくあたりを照らしていた。春の風も肌に気持ちよかったのだが、この風の中に花粉がいっぱい含まれているのかと思うと外で長居もできず家の中へ駆け込んだ。今日は日中の気温も上がり花粉も非常事態の気配!
昨日は旅行社から『旅行が決定しました。』と旅行代金の支払い明細書と共にオプショナルの有名シェフの夕食の献立が送られてきた。4つのコースの中から選ぶのだがその中の一つは世界3大珍味が勢ぞろい。キャビア。トリュフ。フォアグラ。これらが至るところに上手に使われ14000円。本格的フランス料理である。同居人と頭を寄せて献立表を見て考えたが、私たちの選んだのは鮑のスープとか、伊勢海老の活け作りとか但馬牛のヒレステーキとか、高級だけど比較的やや馴染みのある食材の料理に決めた。インターネットで宿泊するホテルを調べると瀟洒な高原ホテルで素敵なレストランでの夕食となるようだ。レストラン側に対して失礼にならないよう靴だけでも夕食用に履き替えなければ・・・
樹齢1000年のエドヒガン桜と県下一の名滝と豪華な夕食。
連日2時間の山歩き、自分の足に不安も大きいが10日後の旅が楽しみである。
3月30日 (水)
松山お堀端を車で通過したが堀端の桜・ソメイヨシノはまったく咲いてない。去年の今頃は満開だったのに今年は遅いなあ・・・今朝も・・花冷え。。。
昨日は里へ父の49日の法要の準備に行き、お昼は砥部の真砂家本店へ妹と二人で食事に出かけた。店内に入り驚いた。木の輪切りの一枚板のテーブルの穴の開いたところから大きな桜の幹がニョキ!なんと天井近くまで枝を広げ枝には満開の桜の花。あまりに完璧にきれいな花なので造花でもつけているのかとメガネをかけてヨーク見ると本物の桜。種類はソメイヨシノではなく白い花びらの桜、たぶん山桜と大島桜の交雑種で10月の秋から4月の春にかけて咲くフダンザクラ(不断桜)ではないかと思う。
そんな見事な桜が店内に2本。その趣向に感心した。そんなわけで昨日は思いがけず一足先にお花見と相成った。
3月29日 (火)
今朝は5時半の目覚ましがなるまでぐっすり眠ってしまった。春眠暁を覚えず・・・の時期に入ったのだろうか。朝の気温もだいぶん上がってきて起きてからが動きやすいこと嬉しい限り。あいにく今朝の朝日は春霞のなかから昇り、光り輝く朝日というよりはバンコクの暁の寺を染めるようなぼーっとかすんだあいまいな朝日だった。
夜明け直前のまだ暗い頃を暁(あかつき)、東の空に明るさが少しさしてきた頃を東雲(しののめ)、それからすこしずつ明け行く空を曙(あけぼの)、ほのかに明るくなった空を朝ぼらけ、すっかり明けたら朝(あした)・・・朝にもいろいろな表情があり美しい。
三島由紀夫の小説 『豊饒の海』 第三部 “暁の寺”を読みたくて、第一巻から読み始めた『豊饒の海』全4部作。その第一部“春の海”が映画化される事になった。主人公清顕(きよあき)役に妻夫木聡。大正時代、貴族社会に引き裂かれた男女の運命を描くラブストーリー。ヒロイン聡子(さとこ)役は竹内結子。
今秋公開予定。
小説を先に読んでしまった後では、どんな素晴らしい俳優が演じても自分の描いた清顕(きよあき)、聡子(さとこ) 像には遠く及ばず、この映画が上映されてもきっと映画館には足を運ばないだろう・・・
3月28日 (月)
昨日は天気予報どおり午後から雨になってしまいましたが、良い休日をお過ごしでしたか?
shizukagozenは昨日は同居人と今年最初で最後のつくし採りをしてきた・・・

場所は双海町下灘の山の中。あること!あること!夢中になって袋いっぱい採った。採り終えてお互いの服をみると菜の花の花粉と、どろぼう草まみれ・・・
家へ帰ってからがまた大変!午後7時から新聞紙につくしを広げ袴取りをしたが4時間もかかってしまった。昨夜一晩水につけておいたので今日はそれをゆがき小分けして冷凍保存する。指先はいまだに胞子のアクで真っ黒、黒!
昨日のつくし採りをupしました。
3月27日 (日)
桜の蕾が大きく膨らんだころ・・・HPの“私のこと”にそういう風に書いた。今年の春は縮み上がるほど寒い日が多かったせいで桜の蕾もまだまだ小さくてかたいが今日は私のBirthday。56歳になった。
歳を重ねるのは正直嬉しくはないが、お誕生日を覚えてくれていて『おめでとう』と言ってくれる人たちが何人も私の周りに居るということには大きく感謝しなくっては!
娘とゆうきくんとこうきくんから寄せ書きのお誕生日カードをもらった。似顔絵もよく描けていて永久保存版の宝物がまた一つ増えた。おしゃれな娘からはフランスの有名紅茶メーカー、フォションの『BIRTHDAY TEA』と言う名のつけられた紅茶と、雑誌『デジタル一眼レフネイチャーフォト撮影入門・花撮影編』をプレゼントされた。心憎いばかりのセンスで選ばれたプレゼントである。
今日は午後からお天気が崩れるそうだが、同居人と軽ワゴン車でバースデイドライブでもしようかと思っている。勿論一眼レフの撮影練習が目的・・・
3月26日 (土)
今夜は父の六七日(むなぬか)逮夜。里へ行く。
あいにく今夜はおっさんの都合で法事には来ていただく事ができないらしく六七日目の説法が聞けないのが非常に残念である。おっさんの代わりに今夜は誰がお経を?勿論、今夜は私がお先達(せんだち)をする。なぜなら私は素敵な木魚(もくぎょ)を持っているから???
私の小ぶりな可愛い黒檀の木魚は近所の男性からのプレゼント。
四国八十八ヶ寺参りをしているときどこかのお寺でこの木魚を見つけ、いかにもshizukagozenが喜びそうだったからとお土産に買ってきてくれた。木魚=私、と結びつくとは喜んでいいのかどうかなんとも複雑この上ないが、黒檀の発する澄み切った音が非常にきれいで気に入っている。木魚を人前で叩くのは初めてのこと。“般若心経”を唱えながら上手に木魚が叩けるだろうか?
さてお経の後の説法は?何を話そうか?もとはお釈迦様から発した仏教ではあるが長い年月解釈の仕方もそれぞれ分かれて日本でもいくつかの宗派に分かれてしまった。里の曹洞宗や我家の黄檗宗(おうばくしゅう)は禅系で天国地獄の教えがあるが、メルトモKさん宅の宗派は浄土系の浄土真宗本願寺派。Kさんから次のようなメールが届いた。==わが「浄土真宗」は人が死んだら即、阿弥陀如来様の膝元に行ってお浄土にいるので苦しいことなどないようです。法事は「亡き人のご縁に仏法を聴聞する」というのが基本のようです。残されたものが集まって合えるご縁を大事にする。また死者を忌み嫌わないでこの頃は清めの塩も廃止しているところもあります。お茶碗を割ったり、家に戻らないように斎場に行く道と帰る道を変えたりしません==
浄土真宗はいいなあ、三途の川を渡れば即、阿弥陀如来様のお膝元。何千里の苦しい旅をする禅宗とはえらい違い・・・Kさんのメールを読んですぐに思ったこと。結婚するときはまず婚家の宗派を聞くこと・・・
今夜みんなの前でこんな説法をしたらヒンシュクをかうだろうか?
3月25日 (金)
3日ほど前、入院して2週間近くになる姪からメール。“ゲームボーイ使っている?もし使ってないようだったらテトリスと一緒に貸して・・・” “毎日使っているけど貸してあげる。今度の金曜日病院へ行くね”というようなことできょうはゲームボーイを持って姪のお見舞い。2ヶ月ほど私の手元からゲームボーイがなくなる。毎日食後の一服のつもりで“テトリス”していたから私もちょっとの間、指がさみしい気も・・・まっ、当分はパソコン内のゲーム“こいこい”だけで我慢しとこ。
昨夜はとうとう私の大好きなテレビドラマ 『優しい時間』 が最終回を迎え終わってしまった。富良野の美しい景色とも、ゆっくり過ぎゆくやさしい時間ともお別れ・・さみしい〜〜〜アンドレ・ギャニオンの挿入曲もよかった。
今朝メールを開けるとT先生から『優しい時間』の主題歌 『明日』 のmidiが添付・・・嬉しい!
3月24日 (木)
☆美人の日本語☆
一日一語、口にするだけできれいになる365の言葉”こんなキャッチフレーズつきの美しい本が同居人からの一足早い私へのお誕生日プレゼント。
きのう(3月23日)の言葉は面影草(おもかげぐさ)・・・実らぬ花ということで異称が山吹。美人になるらしいから声にだして読んだ。大田道灌が雨にあい、附近の家で蓑(みの)を貸して欲しいと言ったときそこの娘が〜七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞかなしき〜という兼明親王の和歌と共に山吹の枝を手渡したそうな。蓑(みの)ひとつすらないということをこの和歌と山吹で伝えた。山吹には八重咲きと一重咲きがあるが八重咲きの方は本当に実がならないそうである。
次の日も次の日も・・・読んでみたかったが同居人に止められた。一日一語ずつ読む本だから・・・。
「読み終わるまでに死んでしまったらどうしよう?」とつぶやいた。
「それはその時のことよ。」と同居人。
私が言った。「あなたにもらったプレゼントの中でこの本が一番嬉しかった・・・」
3月23日 (水)
=手帳=
小引き出しの奥にぎっしり詰まった過去の手帳。
ここ数年は私も暇だったらしく書き込みも少なく白紙のページが多い。
しかし何年か前までは手帳にびっしり予定が書かれており仕事に、子どもの学校行事に、そしてPTAにと忙しい日々を送っていた様子が垣間見られる。
1992年は良寛さんに夢中だったらしく手帳の余白には良寛さんのことがいっぱい書いてある。“心こそ 心まどわす 心なれ 心の駒の 手綱ゆるすな”
2003年は携帯に「暇しています・・・」なんて妙なメールがひっきりなしに入りだしアドレスの変更の仕方を姪に教えてもらった記録が・・・
1985年の手帳には母のスリーサイズが。今の私のウエストサイズと一緒だったので母も結構太っていたんだなと一人で笑った。
1995年の手帳、母との闘病生活の記録がびっしり。病院での母との会話なども詳細に書かれている。親の始めての入院、それも確実に死へと向かっていく入院に父のとき以上に妹と気を張って看病していた。メモの中には 「伊予十三佛さんのお掛け軸は座敷のひらき、八十八ヶ寺白衣はタケオ(父の名)とばあちゃんの分は天袋の箱、自分の分は和ダンスの引き出し、おぼんは廊下の天袋、それと大豆と団子粉を用意しておきなさい・・・」 死をなんとなく悟っていた母の言葉も忠実に書いてある。
2004年、昨年の事であるが亀田日生さんの宇和町の四季を撮りつづけた写真集 『The Four Seasons of UWA』 に魅せられ、写真集を折に触れ見入っていた様子が手帳に詳細なメモと共に残っている。
一冊ずつは小さい手帳なのだが溜まると結構の場所をとっている。
今日は一冊の手帳を除きこれらを処分する。
3月22日 (火)
花粉症で結構憂鬱。ここ一週間ほど前から症状が出始め主に目に顕著に出ている。目の充血とかゆみで毎年この時期になると市販のアルガードクールという目薬を点しているのだが今年はその目薬の効き目もはかばかしくない。庭の草もイキイキと繁殖しているのに草引きをする気にもならず家の中に閉じこもっている。だけどきょうは庭へ出て花全盛期の白や赤の椿をマクロレンズを使用して撮影してみようか・・・と思いきや残念ながら外は雨・・・
そこで仕事に出かけた同居人を送り出した後、ピンクと白の椿をチョキンと拝借、室内撮影してみた。私の一眼レフ初作品である。AFモードで撮影したのだがやっぱり少しぶれている。ピントが甘い気がする。これから撮影回数をこなして手ぶれのないよう上達しなければと反省。お見せできるようなものではないがマクロレンズでの記念すべき初撮りであるのでHPに載せてみた。
カメラ キャノン EOS kiss Digital N
レンズ タムロン SP AF90mm マクロ

☆一眼レフ初撮り☆
3月21日 (月)
昨日はお彼岸の中日。いい事が沢山あった。
その1 まず朝のお墓参りから・・・毎年パソコンで制作されたきれいな写真入りの年賀状を頂く娘の同級生のお母さんTさんに墓地で出会う。パソコンをされているようなので私のHPの案内をしておく。夜、パソコンを開くと彼女から早速メール。新しいメルトモ誕生する。
その2 森松の私のばあちゃんのお墓参りの後、叔父さん宅へ寄る。そこで松山市道後上一万の西岡菓子舗の『つるの子』がお茶と共に出てきた。思いがけないところでつるの子に出会い感激。つるの子は黄色い餡をマシュマロで包んだゆで卵にそっくりな松山銘菓である。こんなふわふわしたお菓子大好き・・・私の大好物である。
その3 親戚の伯父さんの13回忌の法要から帰ってみると、ひーちゃんから『ないしょばなし』のプレゼント。『ないしょばなし』とは・・・砥部町のかち鶴酒造の袋搾り純米生原酒である。お酒のアンテナショップ蔵元屋にも置いてあるそうだが丸一本を目の前にしておもわずニンマリ!夜、一人で味見。結構強いお酒。ロックで飲むとまろやかと書いてあったのでロックで試し飲み。やっぱりロックでは物足りなかったのでストレート。ひとりでちびりちびりやった。至福のとき!このお酒の原料米は『松山三井(まつやまみい)』。何年か前までうちでもこの松山三井を作っていた。ちょっと米粒の大きい松山三井が当時の常用米だった。なつかしいお米の名前とともにうれしい『ないしょばなし』!
その4 ちびりちびり『ないしょばなし』をなめながらカメラの説明書に見入る。そう、今日とうとう待望の一眼レフデジカメを買ってきたのだ!欲しかったタムロンのマクロレンズもちょっと高かったけど一緒に購入。これで私の目指す写真が撮れる。同梱のソフトをパソコンにインストールしたりレンズを付け替えて触ったりと結構夜遅くまでカメラと遊ぶ。左手でカメラをしっかり支えて構えてみる。むか〜し、子供の写真を長い望遠レンズつきのカメラで撮った時のレンズ&カメラのずっしりとした重さを再び体感する。カシャッというシャッター音もいいねえ。
3月20日 (日)
今日は父の五七日(いつなぬか)。昨夜は逮夜でいつものように皆が集まり“般若心経” “修証義(しゅしょうぎ)第五章”を唱えた。父はまた遠い旅をし今日大王様の許へたどり着く。今日の大王様の名前は閻魔大王。手には本人が生まれてから犯した罪、また良い行いなどすべて書かれた閻魔帳を持っている。大王様の「お前は生前×××のような悪い事をしただろうが」との問いかけに「滅相もございません。そんなことはいたしておりません。」などと嘘をつけば総鏡張りの部屋に通されその×××の行いが鏡にすべて映しだされる。ここではどんな小さな嘘も見逃されないのである。
さて閻魔大王様とは一体どんなお方?
きらびやかな衣装を身にまとい、顔は憤怒の表情で厳つく、声は雷の落ちたる如く・・・手には閻魔帳を持つ。冥府(死後の世界・冥土)十王の一人で、十王のリーダーでもある。人間の死後、生前の行為を検証し罪の軽重を判定する人。
これくらいの閻魔大王さまなら私も知っていたがおっさんのお話はこれからが初耳の話で面白かった。閻魔大王様とは一体誰?閻魔大王はお地蔵さんの化身らしい。皆を助けてくれるお地蔵様が閻魔大王様?おっさんの話によるとお地蔵様は
境目に常に立っている。峠とか四辻とか川岸とか・・・分かりやすいのがあの世とこの世の
即ちお墓の入り口に立っているお地蔵様。すなわち六地蔵様。
お地蔵様=閻魔大王。あの優しい顔をしたお地蔵様が閻魔大王様?まあ地獄と天国の
境目に立っていることには間違いないのだろうが・・・私にはなかなか納得ができないのだがおっさんのお話だから信じる事にしよう。
墓地の入り口に必ずおわします六地蔵様。それぞれ担当が決まっているそうだ。仏教には輪廻という説があり死んだらまた何かに生まれ変わる。その生まれ変わる道が六道。地獄、餓鬼、畜生、修羅(阿修羅)、人間、天上界。六体のお地蔵がそれぞれの専門の道を担当する。
そうそうお地蔵様は境目に立って忙しくみんなのために働いているからいつも立っているのだそうな。座っているお地蔵様はのら地蔵とのこと。
以上のようなお話が昨晩あったのだが、死んでからも大変この上ない話だ。
できることなら死んでからが大変そうなのでこのまま生き続けてこの世で気ままに暮らしていたい・・・
3月19日 (土)
先週の土曜日、父の四七日のとき、男性のいとこ連中が「来年、また、いとこ会するからshizukagozenも絶対参加すること・・・」と言われ、去年のいとこ会の写真のことを急に思い出した。デジカメ持参の私に皆が「写真撮ってくれ」と頼むものだから「人物は撮らんことにしている」と言ったものの仕方ないので観光から破廉恥な宴会に至るまでいとこ連中を撮影した。その写真がそのままパソコンの中に眠っていたので、今週は重い腰をあげ、撮影したときの状況を思い浮かべながら全員の分をコツコツ、プリントアウトした。集合写真はA4の半分の大きさに、その他の写真はハガキサイズにプリントした。フォトレタッチで写真の明るさなど調整したりして本当にいい記念写真が出来上がり、写真を手渡された時の大喜びのいとこ連中の顔が目に浮かぶ。。今夜の五七日(いつなぬか)の法要に皆集まるので渡す。喜ばれるどころか「写真がえらい遅かったじゃないか・・・」とかえってお叱りを受けるかも。
自分で自由に写真の編集ができ、好きな大きさにプリントアウトもでき、おまけに皆に喜んでもらえる。パソコンを習っておいて本当によかった。
写真用紙も、プリンターのインクもお買い物はすべてT先生にお願いしてとても厄介な生徒である。
滝シリーズ5 『奥の滝・金剛滝』をupしました
3月18日 (金)
☆ ゆうきくん卒園おめでとう!☆
ゆうきもとうとう卒園してしまいました。。。
あっという間の3年間でちょっと寂しい気もします。
ゆうきは寂しいよりも小学校がとっても楽しみで今からワクワクしているようです。
今朝パソコンのメールを開くとママから“無事、卒園しました”と2枚の記念写真添付つきのメールがきていた。
ゆうきくんが幼稚園へ入って間もない3歳の頃、冷蔵庫に一個しか残ってないヨーグルトを「3人で食べようか?」という事になり台所の床にばあちゃんとゆうきくんと2歳のこうきくんが車座にすわり食べ始めた。「順番よ!」とばあちゃんが言いながらひとさじずつ口に運んでいく。こうきくんがつばくろのようにせかすのでこうきくんの口の中に2回続けて入れた。「ばあちゃん、順番って知っとる?」ゆうきくんが大きな瞳をまっすぐばあちゃんに向けて言った。ばあちゃんはおもわず「ゴメン、ゴメン!」と誤ったがあのときの賢そうで正義感の強そうなゆうきくんの瞳が忘れられない。おもわずぎゅっとハグしたいほど可愛かったね。
「ご褒美にばあちゃんがチューしたげる」と言ったらやけに張り切っていろんなこと頑張ったね。可愛かったゆうきくんもいつの間にかばあちゃんとのチューも「キモイ!」なんていいだし最近とっても寂しいんだけど、ゆうきくんも一歩ずつ新しい世界に向かっているんだね。
ママの卒園の時を思い出した。卒園式で♪いつの頃だか思い出してごらん、あんなこと、こんなこと、あったでしょ・・・♪みんなでこの歌を歌っているときママのお母さんだったばあちゃんは涙が出て涙が出て顔がクチュクチュになるほど泣いてしまった。ママの赤ちゃんの頃から卒園までの事が走馬灯のように頭の中をよぎった。昨日のママもきっとそうだったに違いない。ゆうきくんの赤ちゃんからのことがママの頭を駆け巡った事だろう。
こどもは常に前向き。卒園の感傷より新しく始まる小学校生活を楽しみにしているらしい。ゆうきくん卒園おめでとう!とってもいいこに育っているね!
3月17日 (木)
愛媛の酒 〜
昨年のつぶやきでも取り上げたことがあるが、昨年5月に初めて発売された愛媛の酒・統一ブランド 『え』。今年も『え』の新酒が愛媛の蔵元22社から発売された、と最近大々的に宣伝されている。まだわたしは味わってないが辛口すっきりさっぱりが特徴らしい。松山にできた酒のアンテナショップ『蔵元屋』で1杯60cc100円から味わえるそうだから一度立ち寄ってスタンド席で利き酒でもしてみたいと考えている。
しかしこれも以前に書いた事があるがお酒のレッテル(子どもの頃はそう呼んでいたが本当の呼び名はラベル)は美しい。子どもの頃したようにレッテル集めも悪くないかなと最近思い始めた。昔のレッテルはこれぞ酒というような純和風が多かった。歌舞伎絵に通じるものがあった。最近のレッテルはずいぶん垢抜けておしゃれ。昔の「酒でござる!」というような暑っ苦しいレッテルが何故か懐かしいこの頃である。
酒の話を書いたついでにちょっと・・・父の愛飲していたお酒は『梅錦』。父の七日ごとの法要で私も勧められてよく飲んでいる。最初の一口「あま〜っ!」。父の法要が終わったら飲む事もないだろう『梅錦』を心で味わっている。
昨日雑誌で水口酒造の『薄墨桜』をみた。淡いピンクの酒ビンに薄墨の文字が美しい。お酒ってやっぱりいいねえ!
3月16日 (水)
夢見月〜
なんとも夢のある言葉である。三月の異称だそう。三月は夢見草の咲く頃・・・という事でこの名がついた。夢見草って?・・・それは
さくら・・・
儚い美しさを見せる花。儚い(はかない)のにんべんを除いた
という字とせるの見が結びついた。三月は夢のあふれる月である。しかし今年の三月は頭の芯まで冷やい。この調子だと桜はまだまだ先のような気がするがそのうち暖かくなってくるのだろうか・・・
昨日は3月3日の桃の節句にお誕生日を迎えた友が訪ねて来てくれた。3時間ぐらいしゃべりっ放し。こんなによくしゃべる人だったっけ?なんて思いながら私も受け答えに忙しかった。彼女が帰りがけに言ってくれた。「笑顔が相変わらず素敵ね・・・」外は寒かったけれど私と友の心は桜が咲き始めたときのように華やいでいた・・・
3月15日 (火)
優しい時間〜
倉本聡脚本のテレビドラマに毎週釘付けである。
第一回目、富良野の黄金色に染まった森の中から物語ははじまった。圧倒される景色の美しさに本当に優しい時間が流れて行った。季節はいつしか秋から冬に変わり今は真っ白い雪に埋もれた。時間が止まりそうな雰囲気の中でドラマが進んでいる。富良野の厳しい冬。その中で厳しい対立をしていた父子の心がじわじわと雪解けを迎えている。ドラマは後2回で最終回。平原綾香の歌う『明日』がドラマの最後にタイミングよく流れる。この歌がまた素晴らしく優しい時間を最高潮へといざなってくれる。忙しいtaekoちゃんもこのドラマを楽しみにしていると言っていた。平原綾香の主題曲『明日』のシングル盤も買ったそう。久しぶりに同じドラマの話題に話がはずんだ。
ゆっくり流れる時間が大好きなひとにお勧めのドラマである。
3月14日 (月)
石手ミニ四国巡礼!
早いもので父がなくなって今日で一ヶ月が来た。里のほうでは新しい仏さんができるとその人のために石手の裏山のミニ四国霊場をお参りする慣わしがある。母や祖母が亡くなったときも石手のお山に登った。昨日は急遽お参りを思いつき、父の戒名を入れた納札を90枚1時間半かけて書き上げ、午後より石手のお山へ・・・
時々粉雪が舞う寒い一日だったが石手のお山を登るのは寒いくらいがちょうどいい。
石手の裏に住んでいる娘達を誘う。ゆうきくん、こうきくん兄弟は石手の山は2歳ごろから何度も登っている自分達の遊び場。彼らの案内でお参りを始め、一番札所から順番に納め札を納めて、ゆっくりとおまいりする。愛媛県の65番札所三角寺が終わったところに石手の山の大きな弘法大師像がある。お大師さんの足元は風が舞って寒かったけどちょっと休憩。2時間かけてふた山のミニ四国霊場のお参りを終える。(ゆうきくんとこうきくんとの二人の登山はふた山で40分くらいらしいからお参りしながらだと倍以上の時間がかかってしまった。)
一緒にお参りしてくれたお礼に石手寺まえのおやきの店『みよし』で名物土鍋うどんをたべ、石手寺山門前の露店で孫達にこれまた名物の弘法飴を求め、石手寺で一年生に上がるゆうきくんにはランドセルにつける『学業成就』のお守りを買ってあげる。父のお参りが目的だったミニ四国巡礼だったが、あのくらいの登山なら私の足もまだまだ大丈夫と自信ができ、孫達と触れ合うこともでき、いい一日だった。
問題 石手の山の大きな弘法大師像は手に何を持っているんでしょうか?・・・☆正解はこちら
3月13日 (日)
今朝は久しぶりに二日酔いの重い頭で目覚めた。時刻は5時過ぎ。まだ明けやらぬ暗い朝である。寝床の中で昨夜のことを振り返る。父の一の友達が「もう一度一緒に飲みたかった」と私の手を握り泣いた。おっさんはお経を読みながらいまだに死んだ事が信じられないと坊さんらしからぬことを言う。父の笑顔の遺影の前で遅くまで皆とお酒を酌み交わした。にぎやかな事が大好きだった父にはこれが何よりの手向けだろう。
きょうは四七日。昨夜は“般若心経” 修証義(しゅしょうぎ)第四章を唱えた。父は4週目は500里の業江(ごうこう・おおきな川)を渡りきりまた大王様のお膝元へたどり着いたらしい。そこで天秤にかけられる。天秤の一方には重い重い重石が置いてある。もう一方の天秤に載せられたとき重石が持ち上がったら罪が重いということで百叩きにあうらしい。だあれも行って帰ったものがないからこれすべて人間の作り話である。「見てきたような嘘をつき」というのはこういう事かも分からない・・・なんてよからぬ事を思いながらおっさんのお話を聞いていた。(おっさんすみません)
昨夜は裏方のお手伝いもせずみんなのお酒の相手に徹した。帰りの車の中。アッシー君に悪いので口を結び鼻呼吸。息を殺しても酒の匂いに車中はむせ返っていた。愚かな飲み方をしたものだ・・・
3月12日 (土)
38年ぶりの再会!
昨日は思いがけない人の訪問を受けた。高校3年のときの同級生Fさんの突然の訪問。車で通過中私と同じ姓の家を見つけ飛び入りでその家を訪ねたらしい。その家のおばさんが「その人なら知っている。連れて行ってあげる」と親切に彼女を私の家まで案内してくれた。Fさんはニコニコしながら車の脇に立っていた。38年前とまったく変わらないヘアスタイルと屈託のない笑顔で。現在今治に住んでいて、毎週一回松山の病院に入院しているお母さんをお見舞いするためこちらへ来ているとのこと。東京に住んでいる共通の友人の名前など出てゆっくり話さないと積もる話ができそうになかったので日を改めて訪ねてきてもらう事にした。来週の彼女の訪問が今から楽しみである。
時はおりしも3月の卒業シーズン。卒業と同時に消息も分からなかった友に38年ぶりでめぐり合える幸せ。私たちの青春が再び復活する予感・・・
3月11日 (金)
昨日は月一恒例の美容室。美容室の先生も痴呆の出ているお父さんをしっかり介護されていて仕事を持ちながら自分の責任をちゃんと果たしている。
美容室の帰り、ホワイトデーが近い事を思い出し、急に思いついて同居人に頂いたお返しを買うためにデパートへ立ち寄る。同居人に頂いたものを私が選んでお返しする事もないのだが、こういうことに無頓着な同居人に代わって用意するのがいつの間にやら私の務めになっている。毎年は近場のスーパーで用意するのだが今回はデパートではどのような品揃えがしているのだろうとちょっと興味もあり寄ってみることにした。地下の洋菓子売り場はどれもおしゃれなパッケージでホワイトデー用に包装してあり迷った迷った。うろうろ2往復ぐらいして、何とか買い揃える。ちょっと歩いただけなのに一人だと面白くもなんともなく足だけがいやに疲れた。今日は荷物を持ってくれる相手もいず、トラベーターを利用しても駐車場がやけに遠く、やっぱりスーパーにすればよかったと後悔する。昨日はデパートの駐車場も異様な混雑振りで屋上まで上がって車を止めた。何の混雑だろうと考えていたら、プロ野球のオープン戦のため車を置いて球場まで電車利用する人や、『はなまるおめざフェア』などの催しもあり活気付いていたようだ。
3月10日 (木)
今年の1月、父にとって8人目のひ孫『りょうた君』が誕生した。妹の4人目の孫でもある。父も入院中だったし、私も父に付き添っていて余裕がなかったので2月13日父の外泊の日がりょうた君との始めての対面となった。父も8人目のひ孫との対面を終え、やれやれとあちらの世界へ行ってしまった。七日ごとの法要にりょうた君も参加してくれているのだが、日増しに肌に張りが出て大きくなるのが目に見え可愛い。しかし、りょうたくんを見て心からおめでとうといえない自分が居る。最近赤ちゃんを見てもこれから大きくなるにつれ難問が待ち受けているこの世の荒波を思うと素直に『おめでとう』が言えないのである。
昨夜『吉村作治先生と旅するインド』というテレビ番組を見ていた。ガンジス川の原流ヒマラヤからガンジス川とヤムラ川が合流する地点、サンガルまでの2500キロの旅であった。ガンジス川に祈りをささげるインドの子どものキラキラした大きなきれいな瞳が心を打つ。吉村先生の言葉がまた印象的だった。「インドやエジプトは古い文明に基づいた伝統がありそれらが子どもの心を豊にしている。」私もエジプトでキラキラしたきれいな瞳の少女との一瞬のすれ違いに心が温かくなった経験がある。その少女は機を織っていた。素敵な笑顔で私を見つめ、「隣に座って・・・」とジェスチャーで訴えた。言われるままに静かにその少女のそばへ腰掛け、機を織る作業を眺めた。同居人がそれを写真に収めてくれていたが、少女の笑顔が吸い込まれるような美しい笑顔だった事は言うまでもないが彼女を見つめる私の笑顔もゆったりとして飛びっきり優しく素敵だったのには驚いた。エジプトへはもう一度行きたいと心から願っている。何がそういう気持ちにさせるのか、遺跡だろうか?と自分の気持ちがよくわからなかったが昨日の吉村先生の言葉で解決がついた。永い歴史に育まれた風土が人の心を揺するようだ。何千年となくガンジスに祈りをささげるという伝統を持つインドの子ども達。荒廃して行く日本で育つ子ども達。あまりの子どもを取り巻く環境の違いに新たな命の誕生を素直に喜べない困った自分が居る。
3月9日 (水)
豆腐料理の店 『梅の花』
今日はなんとも優雅なお店『梅の花』へ行ってきた。1ヶ月半ほど前もこの店へ食事に来たがあいにく満席で1時間待ちということだったので断念した。今日はtaekoちゃんと二人で仕切りなおして出かけた。開店10分前の到着だったのでセーフ。靴をぬいで通されたところは意外にも椅子式のテーブル席。お座敷を想像していたのでちょっとがっかり。予約すれば座敷の部屋もあるとのこと。今日は手始めにまず2000円のランチを注文。そこそこ味もよかったのだが終わってみれば「筍ご飯をもう一膳」とお代わりしてみたかった。次回は自分の懐と相談してもっと品数の多い豆腐料理を頂いてみたいとおもう。素敵なお店だった事には間違いない。
食事のあとは目の保養。県立美術館の『日本美術院の巨匠たちと愛媛の画家たち』展へ寄り道。「この女性の口紅は一昔前はやっていたDiorの青みを帯びたピンクの口紅みたいね」なんてろくでもない低俗な感想を述べながら館内を軽く一周。
『お茶でも飲んで帰らない?』と久しぶりに会ったtaekoちゃんと名残が惜しくってきれいな海の見える汽車の喫茶店へ。梅の花の食事2時間後なんと私達はモーニングセットを注文して2時間も居座ったのである。女同士の会話は何時間経ってもつきることがないのが不思議でたまらない。
3月8日 (火)
ちょこっと仕事!
同居人の妹宅の会社が今月は決算月。12月の年末調整と、この時期の決算のための帳簿をちょこっと見るお手伝いをしている。まあどちらかといえば私の得意分野である。訂正!10年前までは得意分野であったはず・・・
最近は自宅の家計簿も手抜きこの上なく、数字を見るのも大の苦手になってしまって、働かない頭を四苦八苦させ何とか仕事完了。まあ義妹がほとんど完璧に帳簿をつけていたのでなんとか早々と完了。その後二人でお楽しみの食事に出かける。松山空港近くの『ダイニング樹庭』まで連れて行ってもらう。帝人の社員クラブだった場所を道後の旅館『茶波瑠』が買い上げ創作料理店に変身させた。ちょっと大雑把な空間での食事は少し落ち着かなかったかな。
私の家計簿の話に戻るが、結婚して以来ずっとつけてはいるが収支を一度も合わせたことがない家計簿でもある。それではなんの為?といわれればまあ日記代わりだったような気もする。同居人が退職したとき、結婚以来の家計簿と結婚以来の給与明細表をダンボール箱に入れてリボンをかけてプレゼントしようと思っている。あと何年後かな?
3月7日 (月)
孫のゆうきくんは今年の春から小学一年生。弟のこうき君は一才違いの年子なので来年から小学生。昨日はお揃いの机が二つ配達されてきたらしい。自分の机ができて相当喜んでいることだろうと気になって夜の7時過ぎ電話してみる。案の定ママの話では机が来た4時ごろから二人は自分の机の前から動かないそうである。寒いからストーブのあるほうへおいでとママが言ってもなんのその!喜び方が素直で可愛い。我が子の小学入学のときはどんなだったろう?ゆうきくんのように新しい机やランドセルを喜んでくれたのだろうか?すっかり忘れてしまった。
3月6日 (日)
昨夜は父の三七日(みなぬか)逮夜。皆で父のために“般若心経” 修証義(しゅしょうぎ)第三章” を唱える。お経の後お坊さんのお説教!私達はこのお坊さんのことを通称“おっさん”と“”を強調した発音で親しみを込めて呼ばせてもらっている。言い遅れたが里の宗派は曹洞宗。故石原裕次郎さんと同じ宗派である。お経を唱えた後まずおっさんの第一声。「今日はお経の声が揃いませんでしたね。お経の上手な人は先々と、たどたどしい人は遅れがちになりますが隣の人のお経をよく聞き思いやりを持って合わせるよう心がけてください。人の言う事をよく聞きなさいということで耳は二つあります。人のすることをよく見なさいという意味で目は二つあります。そして余計な事は言わないようにと口は一つしかありません。よく聞くお話でしょうがそういうことを心がけてください。」と前置きされて、第三週の父の旅についてのお話。第二週で身包みはがれて裸になった父はまたまた長い距離を旅したらしい。また関所が有り、そこで関所の番人に奥の手を使おうにも裸になったものには奥の手がない。そこで曹洞宗は棺おけの中に血脈という手形を入れておいてくれるそうだ。その手形を差し出して関所を無事通過、大王様の前に進み出て審判を受けるのだそうな。手を使って悪い事をした人は手を、足を使って悪い事をした人は足を大まな板の上でちょん切られるそうな・・・そういえば地獄絵でそういうの見たことある。さてさて父は五体満足で第4週へ進めただろうか。きっとみんなのお経が大王様に届いて無事通過したことだろう。
地獄絵を最初に見たのは小学校4年生のとき遠足で行った四国霊場第52番札所太山寺。鐘楼堂の中に生々しく描かれた天国と地獄の絵図。色彩も鮮やかに描かれた地獄絵は子供心に怖かった。怖いもの見たさで地獄絵を長い時間立ち止まって隅々まで観察した。あの絵を見てから悪い事はやめようと心に誓った。虫を踏んづけたくなっても足を止めた。大人になって写経を納めるために太山寺へ何十年ぶりかに行き鐘楼堂の絵図を見たがあの恐ろしかった絵は色も剥げかけ、子どもの頃見た迫力は失せていた。子どもの感性があの絵に恐怖心を植えつけたのか?それとも無駄な殺生を繰り返した残酷な子ども心に釘をさしたのか?

あの恐ろしい地獄絵を子どもの頃見たお陰で何とかだいそれた事もせずまともに今まで来れたような気もする。
3月5日 (土)
ず〜っと以前のつぶやきにも近所に名医がいると言う話を書いた事があるが、昨日はその名医と始めてのご対面!髭もじゃの熊のような先生を想像していたのだが想像とはちょっと違ったが先生はかわいい小熊だった。想像どおり髭は生えていたが小柄で小太りで可愛い小熊!その先生がまた優しい事。初診の問診表の既往症の欄にリウマチと書いておくと、すべてを理解してくれ、「熱が出るとリウマチは大変だから・・・」と私が言うと「そうですなあ」と心強い感じ。リウマチの患者が風邪を引いたり、熱を出したりするとリウマチを患ってない人にはちょっと想像ができないくらい厄介なのだ。名医は私の言わんとしている事をすべて理解してくれた。うちの近所にこんな名医が居るとは心強い限りである。
処方された薬を昨日のお昼と夜2回飲んだ状態だが、咳も落ち着き、かなり状態がましになった。あと丸一日、薬を飲み続ければすっかりよくなる事だろう。リウマチ科で出ている痛み止めの薬を熱が出たときは飲みなさいとありがたいアドバイスまで頂いた。おまけに値段が安かったのには驚き!
滝シリーズ 4 『雨滝』『白猪の滝』をupしました。
3月4日 (金)
昨年12月から今年の1月5日にかけて娘家族がテレビ愛媛の『夕刊ガッツ!』という番組の中の“ぴったしファミリーグランプリ”というコーナーに何回か出演していた。東、中、南予に分かれてゲームなどして、愛媛県で優勝すれば家族揃ってハワイ旅行に行けるという番組。娘家族は一応中予地区で優勝して、決勝大会まで進んだが、残念なことにハワイに行くまでには至らなかった。その娘達が出ている番組をDVDデッキのHDD(ハードディスク)に録画していた。そこで昨日はT先生に来ていただいてHDDからDVDにダビングしてその中でチャプタ一覧をつくり娘達の出ているチャプタだけを取り出した。余分なコマーシャルなどもすべて省かれ、娘へ贈呈用のDVDが出来上がった。次回先生に来てもらったときはDVDにタイトル名などの入れ方を教えてもらおう。デッキのいいのを持っていてもそれをすべて使いこなせないのが私たちの年代。T先生にはパソコンだけでなくそんなことまで教えていただけるのでいちいち難しい解説書を読まなくてすみ楽チンである。自分で説明書を読んでマスターしようという気力が失せたと言う事はもう歳かなあ〜〜〜

今朝は熱が38・3度もあり非常にしんどい。昨夜から咳もかなり出る。お昼前までには近所の名医?へ診察に行ってこよう。早く治さないと明日は父の三七日でまた忙しい。しかし、リウマチ患者に熱が出たときは関節などが異常に痛くなり、とんでもない大病の感じがする。熱は大敵だ!
3月3日 (木)
先月27日夜、新しい組の初めての集まりがあった。その会に出席した同居人の報告によると組の件数も23軒から12軒となりこじんまりしたので意見が団結しやすく組旅行の話が中心だったらしい。まず第一回目は女だけで日帰り旅行をする事に決定と相成った。そんなことで昨夜は女だけ10人が集まり各旅行社のパンフレットを見ながら、行き先候補を数箇所絞った。バス旅行なので乗車駅までは家で留守番の男性が送迎してくれるという至れり尽くせりの特典までついている。なんとも優しい我が組の男性陣どもよ!女だけで旅行することに決定したとき、男性陣はそうとう寂しそうだったようだ。そのうち男性参加の旅も計画するからね。四月の桜が咲いた頃この旅行は実現する予定。まあ行き先はどこでもいい。なんたって初めての女性だけの親睦旅行だから・・・遊ぶ話はとんとん拍子に決まる、さすが遊び慣れた女性パワー?
滝シリーズ3 『津越の滝・清滝』をupしました。
3月2日 (水)
3月の声を聞けば、もう春。
嬉しくってワクワクして団地の狭い玄関周りをいそいそと掃き清め、ドアまできれいに水拭きした。春なのに春なのに・・・と自分に言い聞かせたけれどシンと底冷えのするまだ浅い春に身を震わせた。そんな新婚時代一年目があった。
団地の遊園地には子どもたちがあふれ、活気付いていた。そんな子ども達を尻目にお出かけしている私に小さい子どもが声をかけた。
「おばちゃん、どこへ行くの?」 深い衝撃!生まれて始めておばちゃんと呼ばれた23歳の時・・・
父の入院していた病棟に身長174・5cmのファッションモデルのような体型をしたきれいな看護士がいた。病室へ入ってきて「じいちゃん、はら痛くな〜い。」きれいな顔から飛び出す“はら”というざっくばらんな言葉づかいに衝撃!その彼女が病院食の朝食を取りにいった私を目ざとく見つけ父の食事を探してくれたまではよかったのだが「おばちゃん、はい」と手渡されガーン!確かにおばさんではあるが、あんたにおばさん呼ばわりされるいわれはなかろうが〜! 
年甲斐もなく思いがけないところで、思いがけない人に呼ばれた“おばちゃん”と言う言葉が今も尾を引いている。子どもの友達とかに「○○のおばちゃん」と呼ばれるのには慣れているのに、病院の看護士からおばちゃんと呼ばれるのにはチト慣れてなかったのだ〜〜
振り返れば父の急な自宅での死で、突然病院と縁が切れた。一日に何度も父の病室をのぞいてくれた誠実な担当医や優しかった看護士達に最後のお礼の言葉を私は言ってない。妹夫婦が父の葬儀の翌日病院へお礼に伺ったとき、その背の高い看護士も居合わせ目に涙を浮かべていたと妹から聞いた。きっと先生はじめ看護士の皆さん父の急な死に驚いた事だろう。なんたって点滴を中止しての父の13日の外泊は『13日の外泊計画書』なるものまで作成してくれての物々しい外泊だったのだから。
病院の皆さん父に本当によくしてくれてありがとう!
滝シリーズ2 『水ヶ滝・八ヶ滝』をupしました
3月1日 (火)
今朝は不思議な楽しい夢を見た。親族がいっぱい出てきたのだが、はっきり覚えている場面は石がゴロゴロしている土手の堤を娘と二人で上っているとき、ふと足元を見ると紫水晶の原石らしきもの。スモークのかかった紫は磨けばそとう輝きを増しそうだったがそれを尻目に土手を上がった。登りきる寸前、これまた足元にビックリするほどきれいな石。水晶のように透き通った石の中に赤い模様が点々と入っている。4センチくらいから2センチくらいまでのいろいろな大きさがあり、いびつな形だが勾玉のように角が全部取れていてコロンとした石。うっとりするくらいきれいな石で、慌てていっぱい拾って、両ポケットへ入れた。もっと拾わなければ・・・土手の向こうでは皆が私たちを待ってくれている。最後に2センチくらいの一番きれいな石を手に持ってみんなの待つところへ満足した顔で駆けていった。そこでトイレへ行きたくなってお目覚め。再び布団に入ってもうひと寝入り。その後、あまりにも嬉しい夢だったので続きを見ようと頑張ったのだが残念な事に続きはなかった。
正法眼蔵というお坊さんが夢のことをこうお話されている。
夢中夢(むちゅうむ)
眠ってみる夢、これも真実の世界だと道元禅師は言いました。仏様が見せてくれた真実だと言うのです。あなたの見た夢はあなたの記憶が作ったものとも言えます。それもそのはず、あなたの心が描いた夢です。いかがですか?ヒーローもヒロインもみんなあなたの知り合いばかりだったでしょう?あなたが夢の世界を広げてみたいなら、起きている間に具体的な想像を働かせてみることです。いくら仏様が見せてくれるといっても、あなたの心に役者のコマが沢山いなければ物語は広がりません。夜見た夢は形を変えて、あなたの現実を後押ししてくれるようになるでしょう。

夢って不思議なものだ。別に願望も想像もしていないのに突然思いがけないストーリーが作り出される。ひょっとして現実の世界より面白いかも。そうかといってずっと眠っているわけにもいけないしな〜〜