2005年1月つぶやき・・・

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2005年
1月31日 (月)
もう、月末。
例年だったら、あっという間に過ぎた一ヶ月という事になるのだろうが、元旦から今日までの生活を振り返るととてつもなく長い一ヶ月に感じるのだが、一体どういうこと?元旦なんぞ、もう私の記憶からはかすみのように薄れかけている。
父の入院生活も3ヶ月を超えた。病院側は「暖かくなったら帰りましょうね」なんて落ち着いているが80歳を超えた父の一ヶ月は若い人の一ヶ月と違い非常に貴重。こんなことでは・・・と頭を抱えている。病院内では入院患者や看護士の間で風邪が流行っていると聞いたので病室の空気を入れ替えるため窓を開け放った。冷たい風が病室へ流れ込んだ。「風がなつかしい」と父の口からこぼれた言葉。桜が咲くまでには家に帰ろうね!

       〜最近3ヶ月の間に読んだ本〜
 三島 由紀夫  豊饒の海 第一巻 春の海 
 三島 由紀夫  豊饒の海 第二巻 奔馬 
 三島 由紀夫  豊饒の海 第三巻 暁の寺
 三島 由紀夫  豊饒の海 第四巻 天人五衰
 平岩 弓枝  幸福の船
 玄侑 宗久  中陰の花 ・ 朝顔の音
 大江 健三郎  「自分の木」の下で
 アンネ・フランク  アンネの日記・増補新訂版
1月29日 (土)
あまり大きな声では言えないのだがshizukagozenはまだ衣替えをしていない。えっ?いつの季節の?と言われるとチョー恥ずかしいのだがタンスの中は去年の夏物がそのまま入っている。昨年秋、気温30度を超えるバンコクへ行ったので、とりあえずそこから帰ったら夏服をしまおうと算段はしていた。だが帰ってから病院と家の往復で衣替えの機を逸してしまった。お出かけの機会も少なく、コートを引っ掛けるとそこそこの洋服でなんとか事足りている始末。只今は洗濯機で簡単に洗える実用本意の普段着2着を交互に着回すという地味めな病院生活を送っている。
本来おしゃれにうるさいshizukagozen??には考えられない今年の冬のシーズンである。
今夜と明日、二晩続けて病院どまり。したがって明日の『つぶやき』はお休み!『アンネの日記』も残り半分。老眼鏡を鼻に引っ掛けて本を読みふけるshizukagozenを想像してね。
1月28日 (金)
・・・大人である自分が何気なくしていることが“こども心”にそうとう衝撃を与えている事がある・・・
shizukagozenの事例!その1
当時まだ小学低学年だった姪がうちへよく泊まりに来ていた。二人でおやつのカステラを食べることになったが、そのカステラはスライスしていない。切るのも面倒なので無礼講で二人でフォークでつついて食べようということになって食べ始めた。「カステラはあまり好きではないのよ。タルトのほうが好き」と言いながら私が一本のカステラを全部平らげたらしい(カステラって食べ始めたら何故かやめられませんね)。姪は乙女となった今もそのときの大食いのshizukagozenを目の当たりにしたショックから抜け出せず「おばちゃんにカステラ食べさせたら大変なことになる。」というから往生である。
ミカチャン、おばちゃんは今は大食いと言うよりも大酒のみになっていま〜す。
その2
我が娘がまだ幼稚園へ上がる前、私は父の会社の仕事を手伝う事になった。働く母親を持った幼い娘を隣の家に住んでいたまだ小学生の従兄弟がよく遊んでくれた。そのことに感謝して私がお小遣いをあげたらしい。今はもう42歳になった従兄弟が「そのときの小遣いの額が一万円だった」ということで子供にとってとても大きい金額なので驚きと嬉しさでいまだに忘れられないと言う。そうか、大人にとって1万円はそれほどでもない金額だが当時の子供にとったらとてつもなく大きい金額だったんだなと今気がついた。マー君、今はマー君も出世しているようだから数十倍にしてそのときあげたお小遣い返して〜〜〜!

※今気がついたこと。お小遣いあげるときは衝撃受けるほどの金額をあげるといついつまでも覚えてくれているらしい。千円づつチマチマは駄目!でも今の子はもう一万円では驚かないだろうな。早く十万円札でも発行してもらわないと・・・
1月27日 (木)
大江健三郎さんの言葉を借りると「本と、それを読む自分のジャストミートということがある。」
まさにそのジャストミートのタイミングで2003年3月出版『アンネの日記・増補新訂版(決定版ともいえる)』を読んでいる。このジャストミートは今まで生きてきたうえでの経験も大いに関係するらしい。なぜ今『アンネの日記』か自分でもよくわからないが、本屋で600ページもある分厚い文庫本を迷わず購入した。学生の頃、読んでおかなくてはいけない本の一冊として読んだ事はあったが(その頃はこの本はもっと短かった)、数十年経った今のほうがはるかにユダヤ人虐殺、しいては“異質なものへの排除”について深く考えているから私の感性がジャストミートのタイミングでこの本を選んだという事になろうか。くしくも今月24日、国連総会はソ連軍がポーランド・アウシュビッツ収容所を解放して60年を記念する特別会合を開いたというニュースを聞いた。そして今日27日が解放60周年のその日となっており各地でその行事がとり行われるとか。
偶然にもこの同時期アンネ・フランク(ドイツ系ユダヤ人の少女)の13歳から15歳までのユダヤ人迫害を怖れて隠れ家生活に入っているアンネの日記を読んでいる自分に驚いている。
ユダヤ人迫害については新しいところでは2002年に上映された実在のピアニスト・シュビルマンの映画『戦場のピアニスト』(ポーランド)が記憶に新しい。
アメリカの男優カーク・ダグラス(マイケル・ダグラスのお父さんでロシア系ユダヤ人)も自伝のような本『悪魔と踊る 上・下巻』を出版しベストセラーになった。私も今から10年以上前にこの本を読み、ユダヤ人迫害のあまりのひどさに憤りを感じた一人である。小説としても非常に優れており是非読んでいただきたい本である(図書館にはあります)。shizukagozenはすでにこういうユダヤ人迫害について各方面でそうとうの知識を得ていたので『アンネの日記』はまさしく機が熟すというか、ジャストミートの本ということになる。
あなたのジャストミート…本や映画、演劇、絵画、音楽など、何かありますか?
“異質なものへの排除”については改めてゆっくり書いてみたい。
1月26日 (水)
今日は病院の帰りtaekoちゃん達と待ち合わせて新年会。
豆腐料理の『梅の花』へ11時30分ごろ行く。なんとも女性好みのおしゃれな建物で、ちょっとワクワク。が、あいにく満席で1時間くらい待たなくてはいけないらしい。1時間も待つほど気も長くないので、豆腐料理は次回に取っておいて、バーゲンセール真っ盛りの高島屋へ。ヘルシーな豆腐料理からいきなり『千房』のヘビーなお好み焼きとビールでお昼ごはん。すごい量のお好み焼き、モダン焼き、焼きそば、サラダ等がでてきて、「こんなに出てきてどうするん」といいながら勿体ないので結局残しもせずたいらげた。
7Fで書籍のセールをしていたので、折り紙の本とパソコンの本を2冊買う。
2Fの婦人服売り場でグリーン系のツイードのスカートを試着。サイズもぴったり合い、値段も半額になっていたし、よく似合っていたので購入。
別のショップで気に入ったカーディガン試着。セールにはなっていたが3割引にしかなっていない。「すごく気に入っているんだけど、負けてくれない?」と聞いてみる。「いくらなら」と聞くので「半額」と言うと「それはちょっと。40%引きでどうですか?」「やっぱり半額にしてくれない?」shizukagozenの交渉成立で半額となる。
皆さん日本のデパートも交渉次第ですよ。交渉相手は各ショップの店長とすること。
『梅の花』はまた近々行こうと思っているので後日紹介しますね。
1月25日 (火)
最近の若い人たちは皆、文章が上手。
携帯でのメールのやり取りが書く力を向上させているのだろうか。
携帯の1000文字小説とかも若者の間で流行っているとか聞いた事がある。若き小説家がうようよ。ちょこっと時間があると原稿用紙3枚弱くらい書き上げるらしい。すごいなあ!
shizukagozenは口はよく動いても、携帯のメール打つ指は動きが異様に遅いので1000文字打つとなるとそうとう時間がかかりそう。一度その1000文字小説とやらを読んでみたいなぁ。
今日は今年初めてのパソコンの授業。以前つぶやきでも書いたがBlpgを勉強してみたいとは思っているのだがどうなる事やら・・・まあ今日はT先生に新年のご挨拶でもしてボチボチと行こうか・・・
1月24日 (月)
昨日の写経の続き・・・
ある年高野山奥の院へお参りした。高野山は納経終了時間が午後4時30分と四国八十八ヶ寺より30分早い。それを知らずに午後5時前の駆け込み参拝となる。奥の院弘法大師御廟は参拝客は誰一人いず静寂に包まれていた。その日の写経はすでに片付けられ、黒塗りの写経盆は空。その中に大切に携えてきた私の写経をおさめ、控えめにお経を唱える。今夜この広い御廟で私の書いた一枚の写経がお大師様とひたすら向かい合って一夜を明かすのかと思うとお経を唱えながら心が震えた。その晩は高野山へ宿泊したが、暗闇の御廟に一枚の写経がひっそりとお盆にのり高野山の夜をお大師様と共に過ごしている姿が頭をよぎり胸が昂ってなかなか寝付く事ができなかった。翌、早朝、再び奥の院御廟へ足を運ぶ。写経が昨日のままたった一枚ぽつんとお盆に載っていた。写経もそうとうたくさん書いてきたがあの一日のために書き続けてきたように思う。
と自分ひとりで納得している。
1月23日 (日)
写経!
昭和62、3年頃だったろうか。図書館で写経の本と出合う。
立ち読みしていると、「写経しているときは心が無になり・・・云々」と心をそそるような事が書いてあり借りて帰る事に。その本で写経の意味、作法等をしり、早速文房具屋で小筆(1本1200円)と写経用紙(20枚1000円)を購入して書き始めた。母がどこかのお寺でお土産に買ってきてくれた般若心経の扇子が座敷に掛けてあり、覚えてみようと何度も読んだ事(唱えた事)はあったが難しい。だが写経を3枚くらい書くと不思議なことに難しい漢字と共に完全に般若心経を覚えてしまった。丁寧に一巻写経するのに45分かかった(今は30分くらい)。お経に息がかかってはいけないのでマスク着用。書いている間は席を立ってはいけない。勿論電話にも出てはいけない。心は常に無。なんて作法を守っていると結局深夜が適当な時間となり、深夜に写経することが多くなった。静かな心で般若心経を唱えながら墨を磨り、用紙に向かって手を合わせ静々と筆を持ち書き始める。お手本のお経を下敷きに写す方法もあるがわたしは最初からお経を下敷きにしないで、隣に置いて書き写した。50巻ぐらい溜まってきたら、近くの四国霊場52番太山寺や51番石手寺へまとめて納経した。写経納経がきっかけで四国八十八ケ所を巡拝することになる。
写経用紙と筆の事!
写経用紙は割合お金がかかる。何十巻何百巻と書くには20枚1000円の用紙は勿体ないと思いはじめ松山の写経道場・空無我堂で100枚1000円の用紙を分けてもらった。この紙がまたよくない。墨がにじんでしまう。今まで当たり前に使っていた20枚1000円の紙の値打ちが分かった。下手な文字でもそれなりにきれいに見えるのも紙のせいだった。良い紙は筆先の細かいところまで鮮明に墨が浮かび上がる。筆先がちびる?と言うのも写経を書き始めて知った。“弘法筆を選ばず”というが私は弘法ではないので大いに筆は選んだ。気に入った筆にはめったに出会えないのでその筆は毛先がほとんどなくなるまで使った。えてして有名寺院で売っているお寺の名前入りの筆は見かけはよいが使い心地がよくなかった。
高野山奥の院へお参りする時は是非写経を一巻!
高野山奥の院は写経を納経する四角い上等な黒い塗りのお盆が用意されている。写経をとても大切に扱ってくれる。四国八十八ヶ寺の各お寺は写経用紙は折りたたまないと箱の中に入れることができないので大切に持っていったお経が可哀想で・・・(こんな事を考えるのは私だけかもわからないけど)
1月22日 (土)
病人の付き添いも3ヶ月になった。2日に一度のお泊りで同居人にもずいぶん不自由をかけている。文句も言わず充分に父の看病をさせてもらえるのもひとえに同居人の理解があってこそ。
当初一ヶ月の入院予定が、いつ退院という目途もつかないまま日にちが過ぎてゆく。今朝も看護士長さんから「お身体、大丈夫ですか?」と眠らない父の看病をする私を気遣って声をかけていただいた。一人では到底無理な看病も妹とローテーションを組んでなんとかこなしている。また担当医はじめ看護士さん清掃のおばさんに至るまで優しく、病院と言う無機質な建物の中ながら、心落ち着いて生活ができる。
しかし、医師、看護士の働きぶりはすごい。この人たちの働きを見ていると、周りの私たちまでどんなことでも頑張れそうな気がする。
1月21日 (金)
メガネをかけて新聞を読むようになってもう何年が来るだろう。
若いとき、視力がよかっただけに老眼も早くやってきた。パソコンを触り始めても老眼はかなりのマイナス面をもたらす。視力のよかったときにパソコンに出会えていたらネットサーフィンも大いに楽しめていただろうに、上達がもっと早かっただろうに、そして、そして・・・と次から次へとないものねだりが起こってくる。
最近は台所仕事もメガネなしではおぼつかない。千切りが拍子切りになっていたり。そしてなんと食事もメガネなしではできなくなった。きれいに飾られたせっかくの懐石料理も何を食べているか目を細めないと見えない。魚の骨も取れない。
老化がどんどん進んでいるのに最近向学心だけはやけに進んできて・・・
貴重な目を使って読む本もできるだけ自分のためになる本を選んでいる。
今入院中の父が、ついこの前まで毎日自宅のソファに座って辞書を片手に字を書いたりしていた姿を見て「若いとき勉強しなかった分、今になってしよるんやね。」とからかっていたが、まさしく私も今は父に言った言葉がそのまま自分に返って来ている状態。若いとき今くらい向学心に燃えていたらshizukagozenはきっとただ者ではなくなっていたはず・・・な〜んちゃって!
時すでに遅しかなぁ〜
1月20日 (木)
数日前四国電力から停電のお知らせ。
1月20日午前1時から午前4時50分まで・・・
これをみた同居人が朝方の冷え込みにコタツが切れるのを嫌がって「病院のじいちゃんみたいに湯たんぽ入れてくれ」という。情けナ〜!「そんな面倒なことしなくっても私が一緒の布団に寝て温めてあげる」目をパチクリさせて「おまえ、その日家におるんか?」「おるよ〜!」
shizukagozenはうっかりしていた。昨夜は病院どまりで20日の早朝はまだ病院。家には帰っていなかった。今朝の停電のことに今病院から帰って気がついた。同居人は今朝方の寒さをどのように凌いだんだろう。きっと「嘘つき女めが・・・」なんて怒っていることだろう。
今夜帰ってきて顔を合わすのが気まず〜〜〜。
1月19日 (水)
新年早々ガソリンスタンドのくじで3等500円の金券が当たった。
今年は正月早々運がいいや、と思っていたら、年賀状のお年玉は4等3枚だけ。年賀状の1等はノートパソコンだったのにザンネ〜ン!
昨年までのガソリンスタンドの抽選では3等500円が割合ちょくちょく当たっている。1等は2回。1等の賞品はキャリーつきの小型旅行カバンで1回目のカバンは革の匂いがぷんぷんして中国製。あまり好きではなかったので去年2回目の1等が当たったとき「エーッ、またカバン?500円のほうがよかったのに」と嫌がる私にガソリンスタンドの兄ちゃんは困った顔。
家でヨーク見てみると2回目のカバンは大きさも材質もチョーお気に入り。次にガソリン入れに行ったとき、スタンドの兄ちゃんに「カバン今度のほうが断然よかった。嫌がってゴメンネ」とお詫びを言っておいた。
ただでもらったのに文句を言う、えげつな〜いshizukagozenである。

最初にもらった旅行カバンは娘がフリマに出店するとき1000円くらいで売ってもらおう。どうせ値切られて500円で売ることになるだろうが。
細木数子さんによると4月9日に宝くじ買うと当たるとか・・・
その日までこのこと覚えていたら今年は宝くじ買ってみようか。

もし宝くじ一等が当たってもこの『つぶやき』に喜びを載せません。
こういうことは内緒が一番・・・
1月18日 (火)
平岩弓枝の『幸福の船』は主人公がローマで下船して世界一周のたびは中途で終わってしまった。本当はパナマ運河なども本の中で一緒に通過してみたかったのだがとても残念。
shizukagozenは次はNHK大河ドラマ上映中の『義経』を原作で読みたかったのだがあいにく書店で上巻が品切れとなっており、断念。
その代わりと言ってははなはだ大江健三郎さんに失礼ではあるが新刊の大江健三郎著『「自分の木」の下で』を読み始めた。ノーベル文学賞を受賞して、生まれ育った内子の大瀬が脚光を浴び、ある種の感慨を持って私も何度も大瀬を通過した。リウマチの友・Kさんのご主人さんも内子の大瀬出身で大江健三郎さんの先輩か後輩だったとか聞いた事がある。少し変わった少年だったようだ。私はこの新刊を今子育て中の娘に読んでもらいたいと思って購入した。その前にまず私が目を通しているのだが・・・この本の中でわたしが学んだ事。気に入った文章を書き写すと言う事。それと気に入った文には線を引くと言う事。私は次に読む人のためになるべくきれいな状態で本を読んでいる。線を引きたい箇所などがたくさんあるがあえてそれを断念している。この前読んだ三島由紀夫の『豊饒の海』は素晴らしい文章表現が至るところに出てきて2度目を絶対読み返そう、その時は気に入った文章を書き写そう・・・と考えていた矢先だったので大江健三郎さんのアドバイスはとても力強かった。
1月17日 (月)
昨日はお正月以来久しぶりに孫たちが来て夕食を一緒にした。
食後のデザートに大粒のイチゴを買っておいた。11粒のイチゴを5人でまず2個ずつ。1個残ったので「一番年上の人」。じいちゃん(同居人)が遠慮した。それでは「一番体重の重い人」。それもじいちゃんが遠慮した。それではじゃんけんで。最初はグー。あいこでホイ。じいちゃんがグーで後の者は申し合わせたようにチョキ。最後のイチゴはやっぱりじいちゃんに行く運命だったようだ。優しい同居人はもちろん私に一口かじらせてくれた。
久しぶりの孫達との楽しい時間。心地よい疲労で今朝は5時半の目覚まし時計を止めて、6時前までゆっくり睡眠をとった。
1月16日 (日)
昨日のつぶやきの中で書いたスエズ運河の運営は現在エジプトがしているとのこと、参考までに。
今日はshizukagozenの印象に残る船旅についてちょっと・・・
☆ 初めての船旅は小学6年の修学旅行。
関西汽船の別府⇔阪神航路で四国松山から大分の別府温泉へ。
担任の先生が口角泡を飛ばし、「3000トンのくれない丸で行く」ということを強調するので、あれから40年以上経った今もはっきり覚えている。さきほど、くれない丸を調べたら、1960年就航となっているので私は新造船に乗ったことになる。
☆ 沖縄が1972年に日本に返還された年、パスポートも不用になった沖縄へ妹と船旅をした。NHK朝ドラ『藍より青く』が放送されており、鹿児島を通過後その藍より青い海に船にまとわりつくようにトビウオがピョンピョン飛ぶのを見て感動した。
奄美大島通過後、沖縄へ向かって航行中、台風が沖縄方面へ上陸と情報が入り、客船は沖縄上陸を断念。急遽、まだ天候のよかった奄美大島へ上陸。2〜3時間観光後、台風に追いかけられるように四国へ向かって・・・すでに海上は大荒れで、船中は気分が悪くなって吐く人が続出。船員さんまで船酔いする始末。そんな中shizukagozenは船室を船酔いの人の介抱をするべく洗面器を持って飛び回った。自分は絶対船酔いしない身体ということを確認しに行ったようなとんだ沖縄旅行になった。
☆ 1997年、2泊3日の豪華客船による屋久島の旅へ参加。
12500トンの『ニューゆうとぴあ』に乗船する。松山観光港に着岸している船は近くで見ると想像を絶する大きさ。カメラに納まりきらなかった。夕食はフランス料理のフルコース。食後はビンゴゲームなどして楽しんだ。船室のツインベッドが異様に小さかったので転げ落ちやしなかと気が気じゃなかった。
☆ 20××年、『飛鳥』で世界一周の旅に出る・・・というようなことは絶対ないだろうな。
1月15日 (土)
病院の売店で数少ない単行本の中から暇つぶしに読む本を選んだ。
平岩弓枝の『幸福の船』。
日本船籍の3万トン級の豪華客船による90日間の世界一周クルーズ。
その船で出くわす数々の人間ドラマ。各寄港地での観光旅行。
shizukagozenは本の中で世界一周の旅をしている。ただ今エジプトのルクソールの観光を終え、スエズ運河通過中。スエズ運河の一隻の航行料はいくらか知っていますか?shizukagozenは驚いた。なんと2000万円だとか。一日に80隻くらい航行するらしいから一ヶ月の航行料はすごい金額。何に使われるかと言うと両岸の砂漠から運河に流れ込む泥の処理費用が主らしい。
これからギリシャのアクロポリスへ降りて自由観光し、翌日はなんとエーゲ海。ミコノス島の観光などが待っている。
と夢のような楽しい船旅をしているのだが、現実には豪華客船で世界一周できる人は幸運に恵まれた極々一部の人たちで、shizukagozenにはとんと縁のない話。縁のない話と言うよりも、四六時中同じ顔を付き合わせる一種の村社会のような船中の雰囲気は私向けではないと本を読みながら確信を強くしている。

1月14日 (金)
三島由紀夫の『豊饒の海』全4巻読み終わった。
昨年の11月末から読み始めて1ヵ月半。気の遠くなるような長編小説で、内容は身の毛のよだつちょっと怖い難しい本。大雑把に言えば輪廻転生(りんねてんしょう)の物語。哲学、宗教の詳しい話などが全巻通じて書かれていて難しすぎて文中読み返した箇所も度々あった。本当のところ凡庸な私の頭ではこの本の内容を半分も理解できなかった。
文中の風景描写などはうっとりするくらい素晴らしい文章が出てきて、さらっと読むには勿体なく、きっとこの本にもう一度挑戦する事になると思う。
『豊饒の海』を書き上げた後、割腹自殺した三島由紀夫の影が字間からチラチラ顔をもたげてくるのにも往生した。
どなたか長編に挑戦できる方、是非読んでみてほしい。そして小難しい内容の本について私とおしゃべりしていただきたい。一人でこの内容を胸中に収めておくにはちょっと荷が重過ぎて・・・

1月13日 (木)
ロールケーキの腐らないうちに・・・とtaekoちゃんからメールを頂き、5日目の昨日やっと会うことができおいしそうなロールケーキGet!
昼食は車で30分、taekoちゃんが最近発見したお店へ。素敵な土物の器で出される手ごろな値段の日替わりランチ。
その後、ちょっと足を延ばして最近娘から教わったバリの雑貨から家具まで扱っているお店へ(昨年8月オープン)。2階がGallery、1階がアジアンカフェになっており、バリの椅子やテーブルに囲まれてのお茶のくつろぎタイムはちょっと不思議タイム。座った椅子も売り物、クッションも売り物、すべてに値札がついている。独特のタッチで描かれたバリ絵画もいたるところで鑑賞でき、なかなか風流な時間が過ごせた。
絵画も家具も思ったより手軽な値札がついており、バリで購入して日本へ送る手間と値段を考えると、かえってこういうお店で購入するほうが手違いがなくていいのではないかと一人胸算用したり・・・
以前バリへ行ったとき立ち寄ったウブドの芸術村のちょっと埃っぽくって素朴な香りをそのまま持ち帰ってきたような、面白い雰囲気のお店だった。
バリコーヒーの味は? ウ〜ン、これまた埃っぽい田舎の香りがした。
参考までに 住所 松山市須賀町4-13 『亜洲茶館(アジアンカフェ)』
1月12日 (水)
10日付けの新聞。「フリーゲージトレインの速度を275キロにする走行実験を2006年にする」という大きい見出しの記事を読む。車輪幅を軌道に合わせて調節できるので、四国の在来の線路上での新幹線の乗り入れは夢物語ではなく本当に実現しそうだ。
私がこの土地に住み始めた25年前、その当時は幹線道路も遠く離れており、ここら当たりは夜になると虫の鳴き声のみの静寂に包まれた。子供を寝かしつかせた後、布団に入り、静かに目を閉じると夜間走行の貨物列車通過のゴットンゴットンという音が遠くから聞こえてきた。通り過ぎるまで長い時間かかるのでコンテナの長さがうかがい知れた。生まれ育ったところは鉄道とは何の接点もないところだったので遠くから聞こえる鈍行の貨物列車通過音は妙に旅情と哀愁をそそってくれた。後、数年経てばその線路に新幹線が走ることになるかも。銀色の車体が瞬く間に通り過ぎる。それはそれで時代の流れでまたいいものだ。今は、車の騒音で夜行列車や貨物列車の通過音もまったく聞こえなくなってしまった。貨物列車などもう走ってすらいないのかもわからない。そういえば霧の深い早朝など遠い沖合いで船の汽笛の音なども鳴り響いたりして・・・
風にそよぐ葉音が聞こえるほど静かなゆっくりとした時間の流れるこの地が好きだった。
1月11日 (火)
流行・・・
今、インターネットではBlog(ブログ)が流行っているらしい。ウェブログの略。私の『つぶやき』のように一方的に書くのではなく、見た人にコメントを入れてもらえるような形式。お正月に帰ってきた息子が「一方的に書く日記は古い、最近はブログだ。」という。「それってどんなもの?」と聞くと「自分でネットで調べてみたら・・・」とアルファベットだけ教えてくれて突き放された。調べてみると私と契約している有料サイト・ロリポップもウェブログがあると出ている。カレンダー形式で見たい日をクリックするとその日の日記とかが出てくる。ロリポップの何通りかのウェブログのスタイルを見てみるとイマイチ。私好みのがない。ブログは確かにカッコいいし今風。最近ブログが流行りでどこもかしこもブログなら私のように旧式につづる垢抜けない日記もよかろうとしばらくは今のままの形式をとることにした。これは何てことない、いわゆる新しい事を研究しないshizukagozenの怠慢である。
※ニューデリー発--津波被災者を支援する目的で開設されたインドのあるBlogが、開設後の10日間で110万ヒットを記録した。同国ではBlogがまださほど普及していないことを考えると、これは驚異的な数字である。
以上のような記事も載っていて世界は今ブログらしい。

1月10日 (月)
今日は午後から我が組の新年会。
昨年は我家が組長をしていたので一応幹事としてこの時期の新年会を取り仕切った。道後のホテルが改築1周年記念のお得な新年会プランを出していたので、組始まって以来の遠出の道後での新年会となる。
送迎バスもでて、総勢28名のちょっとした旅行気分。
事前の打ち合わせでカラオケも頼んでいたが、宴会直前ホテル側から「カラオケ代が別途いるのをご存知ですか」と問い合わせがあったので「知りません。」と白を切った。使用料が一万円いるという。私は困ったように「負けてくれませんか?」とお願いすると「それでは五千円にしましょう。」なんと値引き交渉も成立した。
新年会当日、宴会時間より1時間ほど早めにホテルへ着くよう段取りしていたので、到着後、温泉に入る人、ライトアップした道後の街を旅行者気分で散策する人、ロビーでお茶を飲む人、各様に時間を過ごし6時からの宴会が始まる。
お決まりの乾杯の後、食前酒に口をつける。「?何これ!」こんなまずい食前酒もあるのか、と私が思った瞬間、周りの女性達も変な顔。出しの味がするし、異常に酸っぱい食前酒。仲居を呼んで「この食前酒何?」と聞くと「梅酒です」という。ちょっと味見してもらった。仲居は驚いて「新しいのを持ってきます。」といい下がった。2度目は本当の甘い梅酒だった。先に出ていた食前酒は『土佐酢』だったそう。ビンが同じで隣同士に置いてあったので間違えたと割合平気な顔で悪びれもせず言うし、こちらも毒を飲まされたわけではないし新年早々ホテル側に文句を言うのも一生懸命働いている仲居さんを攻めるようで差し控えた。家へ帰ってからの同居人との会話「食前酒飲んだ?」「飲んだぞ。そうとうまずかった。」「新しいのが来た?」「2回目はうまかったぞ」「仲居さん何か言ってた?」「お代わりです。と言って持ってきたぞ」「皆これはうまいと言って飲みよった。」これまたお人よしの男性陣でよかったよかった。仲居が澄ましてお代わりですと言って持っていったところがそうとう可笑しかった。
五千円の借り賃のカラオケも最初から最後まで2時間以上休むまもなく、気のいいお客に特別サービスのよくなった仲居さん達もよく面倒見てくれ、楽しい2時間半の宴会もあっという間にお開きとなった。28名酔いたん坊を無事バスに乗せ、我が村へ帰ってきた。別れ際に酔って機嫌のよくなった元税務署長が「shizukagozenは海外旅行の添乗員でもしていたんですか?」と聞くので「そうですよ。行きたいところがあればどこへでもお供しますよ。」とはったりを言っておいた。「海外旅行の添乗員」と言う言葉が妙にそよそよ心に響いた。

さあ、今日の新年会は私は幹事ではないので思いっきり飲もう。

1月9日 (日)
我家の鳩物語・・・2
同居人はこの美しい伴侶 (>_<) の顔を見るより、鳩小屋の前に長時間座り鳩の顔を見ることが多くなった。庭の片隅の鳩小屋の茶色と白のそれはそれはきれいな毛並みのモザイクという鳩が大好きらしく、鼻こぶの形、羽根の模様で何十羽の鳩すべて見分けがつくらしい。「たまには私の顔も見てよ」なんて冗談が飛びかった。平成6年同居人は単身赴任中で我家に帰るたび高熱を出した。まるで女の更年期障害みたいね、なんて軽くあしらっていると春の健康診断で肺の精査必要と出た。驚いて総合病院で看て貰うと即入院。両肺の中は空気が通るところがまったくないほど真っ白になっている。肺の組織をとって検査に出す。数週間後、お医者さんは「肺の中にきのこの生える時代ですから」・・・なんていいながら、同居人の肺の中に巣くっていた菌が鳩などによくいる菌(名前は忘れた)と言う事を告げた。同居人も私も頭が真っ白になった。入院は2ヶ月を超えた。退院後、我家の庭の隅の鳩小屋はきれいに取り壊され、同居人が寝食をともにしてもいいくらい可愛がっていたモザイクは瀟洒な鳩小屋にすべて移された。
翌、平成7年、私達はエジプトへ旅行に出かけた。エジプトは鳩を食用とする国だった。田舎のあちこちに練った土で作った円錐形の鳩小屋が点々と散らばっていた。その巣をみて同居人の喜ぶ事喜ぶ事。その夜ホテルで出された数種類の香辛料をまぶした小さい鳩の丸焼きは、食いしん坊の同居人の食欲を完全に奪ってしまった。
同居人は現金な者で、自分が病気になってから我家の鳩に近づかなくなった。鳩の餌やりも私や母にまかせっきり。そのうちイタチに金網を破られ、鳩が襲われ始めた。何度も金網を破られ何度も修理を繰り返した。これこそ本当にイタチゴッコ・・・
とうとう可哀相に鳩は一羽もいなくなった。おと年だったろうか、京都で鳥インフルエンザが流行り、わが地区でも飼っている鳥を申請するように地域の方が回ってきた。その頃ちょうど鳩がイタチにより全滅した後だった。同居人の妹が言った。「鳩がいなくなっていてよかったね!」それはそうなんだけどちょっと複雑な心境。
瀟洒な2階建ての鳩小屋も今は金網もはずれ廃虚となり色あせた哀れなわびしい壊れかけの姿を残すばかりである。
真っ白い100羽を超える鳩が巣箱から飛び立ち、銀色に羽を輝かせて優雅に我家上空を旋回し、群れになって彼方へ飛び立ち、やがて群れになって鳩小屋へ帰ってくる。そんな時代もあったなあ・・・と、昨日のど鳩の群れをみて過ぎ去りし毛羽立った日々を思い出している・・・  完
1月8日 (土)
我家の鳩物語
「今日はきれいなお天気」心も軽やかに右手に高縄連峰を見ながら澄み切った冬日の中を車を走らせる。左手からパッと鳩の集団。その集団は光りを浴び銀色に輝いたり、方向を変え黒い影を落としたり、アッ前方の大きなトレーラーにぶつかる!瞬時に鳩はキラキラした羽を翻し彼方へ飛び立った。
昭和54年我家の新居ができてまもなく庭の一隅に同居人手作りの鳩小屋ができた。同居人が子どもの頃から慕っているペットショップのご主人から茶色と白のモザイクといわれるつがいの鳩を買って来た。それはそれは仲のよいつがいで次々と卵を孵し、鳩小屋は茶色と白のモザイクで手狭になった。
そこで同居人は農業用倉庫の隣にそれはそれは瀟洒な二階建ての鳩小屋を大工に頼んで作ってもらった。お金をものともせず大枚を大工に払った。数年後 、「鳩小屋で儲けさせてもらったという大工に会ったわ。お宅の鳩小屋だったの?」 隣の地域の人からちょっと侮蔑の眼差しで見られた。
その鳩小屋には白のつがいを入れた。これまた次々と卵を孵し、瞬く間に何十羽にも真っ白い鳩が増えた。
同居人はこれを商売にしようと、鳩を持ち運ぶ素敵な金網を張った箱を作った。結婚式場や葬儀場で飛ばすつもりだったらしい。同居人は転勤の多いサラリーマン。その仕事をするのは家にいる私しかない。私は「そんな恥ずかしいことようせん!」即座に断った。
しかし、その素敵な箱は3度お出ましがあった。一度目は子供の通う小学校の何十周年かの記念行事に白い鳩を飛ばしてくれないかとの依頼があり、それがたまたま休日だったので同居人が引き受けた。二度目は市の保育園の合同運動会で鳩を飛ばす依頼だった。それは平日だったが園長先生をよく知っていたので断る事もできず、数十羽の真っ白い鳩を可愛い箱に入れて軽四トラックに積んで私が届けた。三度目は伊予鉄そごうの運動会。
瀟洒な鳩小屋には真っ白い鳩が増え続けた。
餌代も毎月1万円は超え、家計を預る身には負担が大きかった。
飛ばした鳩は帰ってこなければいいのに・・・と思っていたが賢い鳩は必ず帰ってきた。帰って来れなかった鳩はペットショップのご主人さんに頼まれてソウルオリンピックのセレモニーで飛ばすため韓国へ送った80羽を超える鳩だけだった。
伝書鳩も鳩レースの途中で疲れて我家の鳩小屋に身を寄せた。鳩の協会へ電話し、鳩の足にはめられた輪っかのナンバーから鳩の持ち主を探し出しわざわざ熊本まで電話した事もあった。熊本の持ち主は「よかったらそちらで飼ってください」と言い、伝書鳩まで仲間入りして我家の鳩小屋は大変なことに・・・長くなったので明日に続く
1月7日 (金)
昨夜は疲れが溜まっていたのか眠くって眠くって9時前から床につき今朝の5時まで長時間の睡眠をとる。あれだけ睡眠をとったのだから頭がすっきり目覚めると思いきや以外や以外、目がしゃんと開ききらない。身体はもっと睡眠を要求しているようだがいつまでも寝ていられないのが主婦の定め!
さて、今日はもうお正月も7日目。七草粥を食べる日。
せり、なずな(ぺんぺんぐさ)、御形(母子草)、はこべ(ひよこぐさ)、仏の座、すずな(大根)、すずしろ(蕪)・・・以上の七草が230円のパック詰めで昨日も店頭にたくさん並んでいた。せり以外はうちの家の庭や畑で全部そろう。はこべなどはひよこ草と言って鶏に食べさすものだと思っていたし、母子草は芝生の中でいやと言うほど見る厄介者だし、なんでこの日だけ珍重に扱われるの?
七草粥を食べると災いを避け、長寿富貴を得られるとか。平安時代の「四辻の左大臣」が『せりなづな 御形はこべら仏の座 すずなすずしろ これぞ七草』と詠んでから、春の七草として定着したとさきほどどこかのHPで見た。
今日でお正月(松の内)も一応終わり。父の病室のお正月用の花かごもミニ門松も、今夜片付けよう。いまだ、絶食中の父に七草粥を食べてもらうこともできない。

taekoちゃんから私に食べさせてくれるロールケーキがあるから腐らないうちに会いましょうとメールが来ていた。12日くらいしか時間が取れないがそれまでロールケーキは腐らずにいてくれるだろうか?
1月6日 (木)
今日広島の知人の男性から電話があった。「はい、○○です。」と電話に出ると相手が電話の向こうでちょっとためらった気配。そのあと「あんまり若い声だったのでお嬢さんかと思いましたよ。」
電話を通しての声は相手にいろいろ想像をたくましくさせるらしい。今から10年以上前になるが会社で働いていた頃、仕事がらみの電話の主から「素敵な声ですね。お会いしてみたいものです。」とまあお世辞だろうがおっしゃられた。「本人を見るとがっかりするからお会いしないほうがいいですよ。当社のほうへお越しの節はお声をおかけください。」と返答する。
テレビ電話の時代ももうそこまで・・・散らかった部屋、その上化粧なしで精彩のないきたないshizukagozenが電話に出るのは一種の罪になるだろう。電話の声で相手をいろいろ想像する楽しい時代も終わり。そして電話の前で「充分にスリムですから補正下着は必要ありません」とウソをつくshizukagozenもいなくなるだろう。
1月5日 (水)
大晦日はテレビのチャンネルを男共の格闘技にとられて、shizukagozenは紅白歌合戦を録画する羽目に・・・
その録画を昨日はゆっくり一人で楽しんだ。10日に新年会があるので多分マイクが回ってくるだろうから今年は新レパートリーの一つでも増やさなければと意気込んで見る。EveryLittleThingの『恋文』もあの幼い子供のようなたどたどしい歌い方が可愛い・・・ちょっと真似てみるがどうも演歌っぽくなるしこの年ではこの曲は難しい。「愛の暮らしも月日が経てば、どこかでボタンの掛け違い・・・」これだ。今の我家の夫婦の心境にぴったり、と水森かおりの『釧路湿原』に決まり。これなら歌えそうだ。見ていて面白かったのが気志團。昔のツッパリ風で思いっきり時代錯誤でにぎやかでよかった。マツケンサンバも宝塚の舞台を彷彿とさせきらびやかでマツケンの身体の割りに軽やかなステップが目を引いた。終わりの方は息切れしていたがそれもあの年齢では仕方ない事。夏川リミの『涙そうそう』と一青窈の『ハナミズキ』はとても清純で若さがほとばしり出たきれいな顔と澄んだ歌声にうっとりと耳を傾ける。島倉千代子の『人生いろいろ』も歌は古いが粋な芸者姿で新鮮味があった。平原綾香の『Jupiter』、中島美嘉と葉加瀬太郎のバイオリンとの競演で『朧月夜〜祈り』も心を打たれた。美しい日々に出演している韓国の女性歌手イ・ジョンヒョンの『Heaven2004』、冬ソナの曲『最初から最後まで』のRyuの韓国対決もそうとうよかった。私の大好きなイ・ビョンフォンの日韓国交40周年の挨拶は格好よすぎて何回も繰り返して見た。おおとりの小林幸子の『雪椿』で紅白は終わったがやっぱり紅白は楽しい。
1月4日 (火)
年末に同居人から貰った物がある。
重厚なAMEX(アメリカンファミリー・外資系の生保会社)の大判のダイアリーと小型の手帳。どちらも濃紺の革にシルバーの文字、綴じ代でない方の角にはシルバーのシンプルな金具が装飾用件保護用ではめられている。これはきっと重役クラスの方が重役机にさりげなく置くために作られているに違いない。ただの主婦が持つ代物ではない。中を開けてまた驚いた。日本語は一文字も書いてない。ダイアリーの後ろのこれまたお気に入りの世界各国の地図も全部英語。まあ数字なら私も読めるので一応日付はわかる。
そんな重厚なダイアリーと手帳。私はどちらかと言えば可愛い系よりもこういうゴージャス系が大好きなので、手元に置いているだけで幸せ感じるタイプ。でもせっかく私の物になったのだから何か書こう。日記はこの『つぶやき』で書いているからこれから書くことを探そう。さあ、ペンは?小樽で自分用に買ったベネチアングラスの落としたら割れてしまう繊細なペンがある。パイロットの濃紺のインクにペン先を浸し書いてみよう。以前は字を書くことがとっても好きだったけど、今はリウマチで右手親指がスワン指になっているので思うようにサラサラと流れるような文字が書けないのが立派なダイアリーを目の前にしてちょっと悔しい。
1月3日 (月)
昨日は昼食を食べに今治市朝倉のタオル美術館まで子供や孫達と遠出する。珍しく駐車場も満杯でタオル美術館は大盛況。『王府井・ワンフーチン』の中華を食べ『またのあつこ』のオリジナル商品の入った福袋(16000円→5000円)を買い求め、ホクホク気分で家へ帰る。福袋を求めるなんて何十年ぶりの事だろう。ワクワクしながら福袋の中を見てみる。この福袋は買って大正解。陶器から素敵なTシャツ、オリジナリティーあふれるタオルなどあつこワールドが部屋中に広がる。ちょっと可愛い過ぎのお茶碗とマグカップは息子用に・・・昨年暮れから少し気の利いた息子用のお茶碗を買わなければと気になっていたからちょうどよかった。
さあその息子も今日は早朝のバスで大阪へ帰ってしまうし、我家のお正月は終わり。また今日から病院泊まりが始まる。
 4:45 記
1月2日 (日)
年賀状!
今年もたくさんの年賀状を頂いた。可愛い子供さんの写真入の年賀状。4頭身のおしゃまなちびっ子紳士に思わず顔がほころぶ。同居人曰く、「この人は10年ぐらい子供に恵まれなかったんぞ」・・・そんなやり取りをしながら一枚一枚楽しく賀状を拝見する。年に一度だけの元気な消息の報告の人も大勢いてとても懐かしく嬉しい。年賀状だけのやり取りが数十年、お孫さんも3人になったと書いている友。どんなおばあさんになっているのだろう。今度東京へ行ったら絶対会ってみよう。去年の『つぶやき』にも書いたアマチュア写真家の乗松賢二さんからも『写真展に来ていただきありがとう』とそれはそれは美しい北条の海岸の写真入の賀状も届いて驚いたりして・・・
手書きの年賀状はわすか数枚で後はパソコン等で作った年賀状がほとんどを占めているがどれもやっぱり個性があり手作りの優しさと匂いがする。頂いてこんなに楽しい年賀状。昨年暮れ、忙しさにかまけてざっと作った自分の年賀状がちょっと恥ずかしい。と新年早々の反省!
1月1日 (土)
新年おめでとうございます。
みぞれ混じりの冷たい雨の降る元旦となってしまった。
平成の大合併の余波を我が小さな市もまともに受けて今日から大きな市へと吸収合併される。そういう記念の元旦でもあり、高縄山頂の輝くご来光を是非是非拝みたいものだと思っていたが2日くらい前から雪化粧の高縄山は現在厚い雲で覆われている。
午前0時の年明けと同時に家族で縁起そばを食べ、遅い眠りについたものだから、ただ今皆就寝中。皆と言っても同居人と息子だけだが。
これからお雑煮の用意をし、年に一度だけ恭しくお出ましの赤い漆に金の桜を散らした杯でお屠蘇をいただき、3人だけの厳かな新年の行事を始める。
今年は酉年。私がとても若かったら“大きく羽ばたく”と希望も膨らむのだろうが、“バタバタ貧乏にならないよう無駄遣いはしない”と今年の目標を 『倹約』 という二文字に決めた。これをお屠蘇をいただきながら家族に発表しよう。きっと胡散臭い目で見られ、鼻先で笑われるのが落ちだろうが、あくまでも私の目標なので今年一年自分なりに頑張ってみる。
皆さんは新年にあたりどんな誓いを立てましたか?
今年も 『ふら〜っと寄り道』、shizukagozen共々 よろしくお願いします。