2004年11月つぶやき・・・

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2004年
11月30日 (火)
なんやかんやと忙しかった私の11月も今日で終わり。
父の発病を知った9月中旬からまるで時が転がるように過ぎていった。病院と我家だけの井の中の蛙のような生活があとどれくらい続くのだろうか・・・と心算ようしてみるがまったく計算がなりたたない。友人との楽しいおしゃべり会もずいぶんしてないなあ。T先生にも長い間お会いしていない。平凡だけど普通の生活がどれほど大事なものか、有り余る時間がどれほど私に楽しみを与えてくれていたか・・・
「悔いのないようお父様を看て上げてください」と昨日家へ帰るとTさんからメールが届いていた。私の今するべきこと、それは父と二人だけの病院の時間を大切にすること。Tさんの言うようにちょっと的外れな事を言う父と悔いのないように今を過ごそう。

11月29日 (月)
今日病院から帰ると屋久島で買った土色の球形の一輪挿しに蝋梅がさりげなく活けてある。よく気のつく同居人の仕業。我家の庭をゆっくり見るまもなく、気がつけばいつの間にか蝋梅の花が2分咲き。可愛い蕾が鈴なりについていた。細かい事によく気のつくA型の同居人。B型の私はその細かさに辟易している。昨夜も病室のテレビで血液型男女の相性というのをしていた。16通りの血液型の組み合わせの中で男性A型×女性B型の組み合わせは相性ワースト1だった。10月14日にもこのコーナーで血液型の相性のこと書いた事があるが、それとは違ったテレビ局の番組でもワースト1となると私達はよっぽど相性が悪いようだ。花が活けてあったりしたら本当は感謝しなければならないのだろうがB型の私は男のくせに・・・なんて感謝どころか、かえって反発してしまう。こういう可愛くない性格の女に同居人もきっと辟易している事だろう。心の中では男のくせに・・・なんて思っているが、腹黒女の私は同居人の顔を見たら『蝋梅きれいに活けてるね』なんて笑顔で言うものだから同居人はケロッとだまされてしまうのだ。

11月28日 (日)
この頃になると喪中の葉書が数枚、手元に届くようになる。
昨年の今頃、驚愕のそして耐え難い喪中葉書を受け取った。信じられない事であった。でもご主人さんの葉書に添えられた言葉は紛れもなく大好きな人の急な訃報だった。声を出して泣いた。
彼女とは平成8年のカナダ・アメリカ旅行で知り合った。きれいな人で旅行中なぜかいつも気がつけば私のそばに寄り添っていた。グランドキャニオンへ行く小さなセスナの上下に揺れる機体の中で子供のようにはしゃいでいた。カナダのバンフでは一緒にディナーを楽しみ、ニューヨークのハドソンリバーのナイトクルーズではあまりの風景の美しさにフィルムを使い果たし、結局私の同居人がその後の彼女の撮影をする事になるなど可愛い女性であった。成田でお別れするときは「帰りたくない」と彼女の口から飛び出した言葉に一緒にいた仲間も大きくうなずいた。私は松山へ彼女は広島へと帰って行った。
その後、彼女とは何度も電話で話し、お互いの旅行の写真など交換したり、平成11年には瀬戸内海を越えて彼女の元へ会いに行った。宮島の見える高台の素敵なおうちに住む彼女は相変わらず美しく元気そうだった。
彼女の一周忌が先日終わった。私より16歳年上だったが見かけも精神年齢も若く、まるで同級生のように話がはずみ、近くに住んでいたなら毎日彼女と会って楽しんでいたはずと今でも残念でならない。彼女から毎年送られてきた素敵な年賀状も昨年から途絶えてしまった。絵も上手で近所の文化祭などに出展していた。
彼女の思い出を載せてみた。


11月27日 (土)
病院に一日交替で24時間いると病院が生活の基盤になる。入れ代わり立ち代わり父を看に来る看護士さんを盗み見て介護の仕方をいろいろ勉強している。リウマチで手の力もなく介護は無理だと最初は思っていたが、少し不自由はしているが工夫してほとんど滞りなく介護できている。まったくの寝たっきりの患者ではないので、掛け声やタイミングでうまく事が運ぶ。看護士さんによっては事細かく親切に教えてくれるので病気のこともよくわかる。妹と交替する頃には心身ともに疲れきってしまうが、長時間父と過ごせること・・・今はありがたいと思っている。

11月26日 (金)
昨夜は少し遅くまでパソコンに取り込んだバンコク旅行の写真の整理をした。撮った枚数がすごい。友人のスマートメディアも借りていたので思いっきり撮影でき、総枚数、540枚。旅行中はお天気がよく晴天の青空に金色のタイの寺院がよく映えて、総じて失敗写真も少なくなかなかの出来栄えで一人悦にいる。その写真にすべて名前を付けCDに入れておいた。これでパソコンが壊れても今までの写真は一安心。
WindowsXPの場合、写真の一括の名前の付け方が簡単にできる。たとえば松山空港で撮った写真だけをshiftですべて選択しておき最後の写真を右クリックで「名前の変更」,、拡張子を除き松山空港と名前を変更すると「松山空港(1)、松山空港(2)・・・」と勝手にパソコンが名前を付けてくれる。この機能を、メールで送られてくるMicrosoft users newsで知り、以来写真の整理がとても簡単にできるようになった。
したがって540枚の旅行写真の整理はわずか1時間足らずで出来上がった。

11月25日 (木)
昼前病院より帰宅。今夜の夕食のためにおでんを煮込む。大根、ジャガイモ、こんにゃく、卵など下ごしらえをし牛筋の出汁でおでん材料をこってりと煮込む我が家流。久しぶりの台所で同居人のために夕食作り。こんな平凡な事が実に嬉しい。1日はねがいで病院へ泊まり込んでいると、料理、洗濯、と普通のサイクルでこなしていた事がまず普通にできなくなる。今夜自宅で眠れば明日また病院泊まりと思うと気がめいり、自分の時間がほんの少ししか取れない状態でいらついている。大好きなパソコンさえじっくり触る間もない。
今日の午後、書店から注文の単行本が届いたと電話あり。三島由紀夫の『豊饒の海』第二巻から第四巻までを取り寄せてもらっていた。『豊饒の海第一巻・春の雪』はすでに手元にあるがこの四部作の大作を全巻読み終えるのは何ヵ月後だろう。私の最も読みたかった『豊饒の海第三巻・暁の寺』へ一日も早くたどり着きたい。暁の寺(ワット・アルン)は先日バンコクへ行った時立ち寄ったチャオプラヤー川のそばに立つそれはそれは美しいお寺である。このワット・アルンをモデルに三島由紀夫が書いた同名の小説『豊饒の海・暁の寺』は有名である。まだ読み始めたばかりの美しい表装の単行本を方脇に満ち足りた小さな幸せを味わっている。

11月24日 (水)
昨日は病院まで同居人が迎えに来てくれる。車のサイドボックスに私のデジカメ。「どこかへ行くの?」と聞くと「新居浜」。睡眠一時間の私は家へ帰って休みたかったがせっかくの同居人の好意を無にもできず高速道で新居浜までひとっ飛び。新居浜の瑞応寺へ大銀杏と紅葉を求めて。
ここで60代の一人のアマチュア女性カメラマンに出会う。私は割合人見知りするタイプで初めて出会う人に自分から声をかけることはめったにないがこのときはこの女性とカメラに非常に興味をそそられ声をかける。どんな風に紅葉が見えるのかカメラを覗かせてほしいとあつかましいお願いなどしてみる。カメラの重さ、ピント合わせの面白さ、それとマニュアル設定でレンズを通して逆光のもみじを見たときの美しさ。『このカメラなら誰でもきれいに撮れるは・・・』と心の中でつぶやく。まさに私の撮りたい写真がレンズの中に写っているのだ。女性のカメラはミノルタの一眼レフ、交換レンズ3本。これがデジカメになるとフィルム代は無料、現像料無料。加工自由。ますます一眼レフデジカメが近づいてきた。初対面の女性とカメラの事で話がはずむ私を同居人が長い時間待ってくれていた。北条の長浜海岸で美しい落日を堪能し長い一日が終了。
さて今夜も父の病室どまり。英気も養った事だし頑張ろう!

11月23日 (火)
22日夜は一週間ぶりに父の病室泊まり。日中と夜の逆転の生活をしている父と睡眠時間一時間の長い夜をすごす。ちょっと子供に返ってしまった父との会話はチンプンカンプン。そしてわがまま一杯。看護士さんや先生に対するときは非常に礼儀正しいのに私達家族には特別無理難題。温厚だった父からは想像もできないことも度々。昨日も妹と交替で病室を出るとき妹が「姉ちゃんはこれから家へ帰るよ。ありがとうは…」とお礼の催促をすると無言。「お礼言わないの?」と聞くとうなずく。妹は「私達が看病するのは当たり前と思っているのね。」と言っていたが帰る人を見送るのはきっと淋しいのだと私なりに父を解釈している。


11月22日 (月)
昨日海外旅行から帰ってきた。期間は5日間と短い旅行だったが非常に楽しかった。だが疲れた〜〜というのも本音でやっぱり歳のせいだろうか。日本だとバックの口を開けてボーっと歩いても盗難にあう事などめったにないが治安の悪い海外は自分の身の周り品について特別に注意するので余計疲れる。
3年ぶりに訪れた関西空港(開港10周年を迎える)は変わっていた。まず有料シャワールームが設置してあった。それと関空に隣接するホテル日航が入っているビルのテナントがすべて空になっていた。日本を出国する人の数が非常に多くなっていてセキュリティーチェックを受けるだけで30分ぐらい並んで待って通過したなど・・・
大阪からご一緒した藤山直美(藤山寛美の娘さん)のそっくりさんの添乗員とのバンコク・チェンマイの旅は一応無事日本に帰れたということで終了。また時間を見て写真の整理などして旅行記とか書くことにしよう。

11月16日 (火)
今日は二番亥の子。ここらあたりの子供の数もずいぶん少なくなってしまったが昔ながらの亥の子の行事などは今もきちんと守られている。子供の数が多い頃は亥の子石の輪っかにそれぞれの綱を通し『この家繁盛せい、も一つついて繁盛せい・・・』と亥の子石が飛んで行きそうなほど勢いよく、そして盛大に亥の子歌を歌ってくれたものだが今は子供の父兄までつき手に借り出され、もぞもぞと小さい声で義務的に亥の子をついて帰る。少子化の時代の流れは、特に我が小さい農村地区の少子化の流れは止めようがなくこれから先を思うと一抹の淋しさを覚えている。行事を取りやめるのは簡単だが一度やめた行事を再び復活させるのは労力も並大抵ではないだろうから細々とでも地区の行事は続けて欲しいものだ。
明日から旅行のため5日間『つぶやき』をおやすみします。
帰ったら旅行記をupしたいと思いますのでまた訪問お願いしますね。

11月15日 (月)
深夜過ぎは月明かりが障子戸を透かしていたのに、突然降り始めた大粒の雨音で3時過ぎ目が覚めてしまった。
そのまま布団の中でうつらうつらしようかとも思ったが時間がもったいないので起き上がって早々とパソコンに向かって『つぶやき』を書いている。
11月17日から5日間、タイのバンコクとチェンマイに旅行に出かける。同居人の休暇に合わせ旅行の計画、申し込みなどはすでに9月に出来上がり、旅行代金も支払済みだったが思いがけない父の入院、手術でその回復の経過を見て行くかどうかを決定しようとつい最近まで思案していた。先日行く事に決定し、昨日は3年ぶりに海外旅行用のスーツケースを大小2個引っ張り出してきた。きょうの午前中はそのスーツケースに着替え等を詰め、準備を仕上げる。
バンコクは10月より乾季に入り気温も33度と真夏日らしい。
バンコクの国際空港へは2度立ち寄った事がある。最初はエジプト航空でカイロへ向かう途中。2度目は南アフリカ航空にてヨハネスブルグへ行くとき。いづれもトランジットというかたち。食事の積み込みや機内掃除、燃料補給のため一旦飛行機から全員降ろされ、バンコクの空港内で時間をつぶす。ランの花が随所で売られておりランの香り漂う異国情緒たっぷりの広い広い国際空港だったのには驚いた。今回はその空港から一歩外へ・・・いよいよタイランドへと足を踏み入れることになる。


11月14日 (日)
最近『岡本太郎の東北』 という本を読んでいる。読むというよりその本の半分は占めるであろうモノクロの写真が気に入り見入っている。人物中心の写真。毎日、毎日、何度も何度も繰り返し見ている。一向に飽きないのだ。特別技巧を凝らして撮っているわけでもなさそうな写真だが真似ができない写真。それが岡本太郎という人そのものなのだと思うようになった。
私は今まで風景写真を中心に撮ってきたが岡本太郎の写真を見て人物も面白いと思うようになった。HPにはプライバシーの問題が起こってくるので安易に載せられないようだがこれから風景以外にも目を向けてみようと思う。まあ、近場の可愛い孫ちゃんでもモデルに格闘しようか・・・
そういえば私がお世話になっている日赤松山リウマチ科の担当医も私のHPを見て下さって 『人物は撮らないのですか?』 と先日の定期検診のおり聞かれた。その時は 『?』 と思ったが今は先生のおっしゃった事がわかる。人物は相当素敵な被写体なのだ!

11月13日 (土)
甥からのメール
同居人の妹の長男、yon様ならぬyan様から近況報告のメールをもらった。職場の同僚達との充実した週末、家族、おもに兄弟のこと、そして愛犬ポメラニアンの散髪のことなど要点を押さえた明瞭なメール。31歳で独身だがさわやかに心身とも成長している好青年である。農作業等も気軽に手伝いに来てくれたり、お正月に顔を会わすくらいだが、なぜかわが息子より話しやすく次々と会話がはずむ。
yan様のメールで独身男性の週末の過ごし方など少し垣間見たが、遠くに住むわが息子も充実した週末を過ごしているのだろうかとチラッと気になった。

11月12日 (金)
昨夜は病院への泊まりで今日午後2時前帰宅。
パソコンを開くとHPのカウンターがちょうど2000になっていたので疲れ果てて、くたくたの身体にそうとう励みになった。
応援してくださる皆様、いつもいつも有難う!
メールを開けるとこれまたビックリ!2日で14通もドドッと受信。
そのうち半分は件名が『制服って好きですか?』とか『赤い糸で結ばれている私達』、『未承諾広告』などなどまったくおよびでないメール。HPをUPしてから結構“ふら〜っと寄り道”宛てに出会い系サイトのメールが届くようになった。最初は気味悪かったが今はメールを開けずにさっさと削除している。社会勉強のつもりで件名を面白がって読まさせていただいているが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる・・・てな具合にこの手にひっかっかる人間もいて迷惑をこうむっていると思うと無責任な発信者に憤りを感じる。


11月11日 (木)
今日は私の妹と、私の第3子の誕生日。
第3子の予定日は11月27日だったが出産も3回目のベテランで病院の先生が「いつでも産みに来なさい」と言うものだから妹と同じ誕生日に生まれるように、この日わざわざ産みに行った。陣痛促進剤500mlの投与が終わるか否かという頃に陣痛が始まり助産婦の指示どうり上手にお産。さすがベテラン?実に簡単なお産であった。3回のお産とも割合楽なほうだったし、当時は正常分娩はごくごく当たり前のことと考えていた。
それが娘が出産のとき母親学級で産科の先生が「赤ちゃんが正常に生まれるということは奇跡に近い出来事だ」と説明を受け、それを聞いた私は「元気な子を3人も産んで奇跡を3回も起こした」と娘に威張ってみせた。
最近は出産のトラブルも日常茶飯事で、非常によく耳にする。
流産の恐れがあるとか、早期出産しそうとか、妊娠中毒症にかかった・・・など、はたまた子供が生まれにくいなど。
私の出産から30年を経た今、一体どんな現象が人体に起こっているのだろう?
本当に子どもを無事出産するということは至難の業になった!

もう27歳にもなる息子に“おめでとう”でもないだろうが一応お誕生日カードをメールで送っておいた。

11月10日 (水)
明け方の東の空を見て!
11月8日朝5時ごろ、東のわりあい低い空。、私の家からはちょうど高縄山頂の上あたりにひときは輝く星。金星と木星大接近の天体ショー。それにきれいな三日月が加わり思いがけないものにお目にかかれた。1等星の百倍の明るさで輝く金星、一等星の十二倍の明るさの木星、三日月と縦一列に並んでいる。まだまだ見えるので早起きして見てね。
本当は今日の朝、一番大接近したんだけど私は病院どまりで東の空は見えず・・・残念!
次回の金星、木星の大接近は2008年2月2日の明け方。

先ほど午後1時40分前北条で地震があった?
病院から帰りぼんやり座っていると遠くでド〜ンという音。地震が来る〜〜と思った瞬間家が一瞬ガタッ!地震が来る前は本当にドーンと音がする。そんな音聞いた事ありますか?

11月9日 (火)
平成7年、今から9年ちょっと前、母も今父が入院している病院の、部屋は西と東と離れてはいるが同じ階の個室に入院していた。母は手術もできないほど末期のガンに侵されておりその個室で2ヶ月あまりを過ごしあの世へ旅立った。当時妹はまだ小学生の子供を抱えており、おのずと夜の看護は私が中心となった。夜間、早々と電気を消し補助ベッドへ寝そべる私の楽しみは病室の狭い窓から母と共に見上げる夜空だけ。
夜間飛行の飛行機の飛び交う空。当時『夜間飛行』という言葉の響きにかすかな憧れを抱いていたせいか、あの飛行機の行き先は・・・などと考えるだけで胸が熱くなった。
それときらめく大きなWのカシオペア座。この星もいまだに頭から離れずカシオペア座を見るたび母との闘病の日々が蘇える。
今父の部屋からも母と見た同じような空が見えるが父は手術もでき日が経てば自宅にも帰れると思うと、病室から見上げる同じ空がまるで別物に見えるから不思議なものだ。

11月8日 (月)
昨夜は父の付き添いで病院泊まり。83歳という高齢での手術で思いがけないハプニング続きで一喜一憂しながら2週間が経った。正気のときがあったり、頭の中の混乱があったりと結構付き添いのものは振り回されている。昨夜も「家へ帰る」と言い張り一晩中一睡もせず駄々をこね点滴の針や尿管等を抜こうとしたり目が離せず、寝ずのお付き合いとなる。何度言って聞かせても布団をめくり割合強い力で立ち上がり家へ帰ろうとする強情な父との格闘に疲れ果て、苛立ち、父を叱りつけた。するとますます父のほうが反発し意固地になり始末に終えない。そこで作戦変更し、思いっきり優しく気長にお付き合いする事に徹した。手を握って優しく話すと穏やかになりその瞬間だけだが理解したようにおとなしくなる。結局妹と交替した今日の午前11時前まで父の手を握ったりさすったりとスキンシップにどっぷり。小用を足したいのに尿管があるため思うようにいかずそのことで睡眠がとれず、頭がボーっとして、思いがけない父の豹変振りに妹と頭を抱えているがこれも時間の問題。もう少しで本来の思いやりのある優しい父に戻ってくれる事だろう。

11月7日 (日)
松山のホテル奥道後で菊花展が開催されている。(〜23日まで)
今年はホテル創立40周年の記念イベントとして菊花展の夜間ライトアップも実施されている。夜間(17:00〜19:00まで)の入場料は250円と昼間の半額となっており、11月3日ちょっとした夜のドライブがてら楽しんできた。大菊は見ごろ、小菊は4分咲きくらいでこれからが満開の見ごろを向かえそうだ。松山城を中心に坊ちゃん列車なども興を添えて充分楽しめた。
ホテル奥道後のコマーシャルをしているわけではないが最近のホテル奥道後の盛況ぶりは目を見張るものがある。お昼のランチバイキングは大勢の人で賑わい、道後温泉にも勝るお風呂の泉質(これは温泉大好きなKさんの弁)をもち、松山周辺に住んでいる人は結構近場の穴場ではないだろうか。

11月6日 (土)
今日は友引。
菊薫る秋、まことにお日柄もよく・・・という事で、息子は道後大和屋本店、娘は松山全日空ホテルでの友人の結婚披露宴に招待されている。
昨日は受付をおおせつかっている息子の真っ白のワイシャツにアイロンかけをした。息子もそろそろ結婚してもよい年頃。この結婚式で誰かとご縁があるように・・・なんて虫のよい事を考えている母である。
仕事が忙しすぎて結婚にはまったく無関心のようで、帰省するたびに里の父やいとこ連中に「彼女おらんのか」と聞かれている。里のじいちゃんは「男前じゃのにおかしいのう」なんてしきりに首をかしげている。
結婚は縁のものだから、年齢には関係なくいつの日かいい人にめぐりあえることだろう。
さわやかな秋晴れのよき今日、新しい生活をスタートさせるカップルもたくさんいることだろう。これから友白髪まで仲むつまじくがんばれ〜〜〜!

11月5日 (金)
昨日、大阪に住んでいる息子が帰ってきた。
大学生時代から帰省はいつも飛行機利用だったが、昨年暮れから高速バスで帰省するようになった。料金が飛行機利用に比べ往復12000円という約半額の安さであること、しかも乗り場が息子の住んでいるところから近い梅田からの始発となり便利なこと、約5時間の乗車で割合楽に松山へ帰ってこれること等、利点が多い。
この高速バスは阪急と伊予鉄道の共同運行によるもので、特に阪急の高速バスは前方座席が3列でゆったりとしていて快適らしい。毛布も各席置いてあり、コーヒーもセルフではあるが飲み放題。
昨日の朝7時50分梅田発の高速バスに乗った、いつもはクールな息子が「明石大橋を通過時、朝日にひかり輝くきれいな海の色を見た」と感動していた。
バスの窓のすこ〜しスモークのかかったガラス越しの日の出。
私も見てみたかった…

11月3日 (水)
天高く馬肥ゆる秋・・・
こんな言葉が思い浮かばないほど今年の秋は秋らしくない。天高く抜けるような吸い込まれるような深〜い青空にお目にかかれない。そこそこで交わされる会話も菊や紅葉情報より台風被害とか地震被害ばかり・・・
愛媛の山々もそろそろ紅葉を始めているのだろうか?
昨年は美しかった白水台の秋染めの街路樹も今年は紅葉前に葉が枯れ葉色で淋しい事この上ない。
Kさんは昨日と今日『秋染めの京都めぐり』の旅に参加している。古都は例年通りの美しい秋染めの風景が残っているのだろうか?
今夜は妹と交替で病院泊まり。病室の窓から眺めるビル群をピンク色に染める夕日は淋しい・・・

11月2日 (火)
今年の我家の新米、変?
毎年取れたての新米コシヒカリを初めて炊いて食べるときはあまりのお米のおいしさに「生きていてよかった。」とちょっと大げさな感動の仕方をする。
先週初めて今年の9月の終わりに収穫したコシヒカリを炊く。
つやつやと輝くもっちりとしたおいしそうなご飯が炊き上がり同居人と食べはじめ思わず無言で顔を見合す。お米に味がない。はっきり言って例年のような感動が湧いてこないのだ。噛んだらじわっとにじみ出るお米の甘さが感じられない。“今年の我家のコシヒカリは最悪のでき”そうとうがっかりする。
米作りは難しいものだ。刈る時期によってお米の味が変わるとか。
コシヒカリという品種はあいにくここらあたりの気候、風土には合い難く最近は別品種を植える農家が多くなったとか・・・コシヒカリは稲の丈が長く収穫時期に台風などが来ると倒れやすい。今年の高知県産のコシヒカリは相次ぐ台風襲来に全滅だと聞く。来年から我家も稲の丈の短いコシヒカリと味は遜色ない品種に変えると母が言っていた。自家米コシヒカリを食べるのも今年が最後になりそうだ。
我家のコシヒカリは昨年より味はおちるが、モチモチ感は最高である。うるち米にもち米を混ぜて炊いたような粘りがコシヒカリの特徴だとか
そんなお米の特徴を考えながらご飯食べていますか?


11月1日 (月)
今日から11月。紅葉もそろそろ関西方面へ降りてきて人々はこぞって紅葉狩りに動き出す季節になったが、先週から病院にかかりっきりの生活をしているので私自身まったく生活臭がない。考える事といったら病院のICUで頑張っている父のことばかり。回復も順調でやっと一段落はしたのだが毎日顔を見ないことには落ち着かない。ということでICUのほんの少しの面会時間に合わせ、いそいそと出かけている。昨日は私たちの顔がわかったのかほっとした表情を浮かべ握った手が力強かった。なかなか離さないので無理やり妹の手にバトンタッチ。先週金曜日、学会出張予定だった担当医が、早朝急遽容態の変わった父のために出張を取りやめ頑張ってくれた賜物と担当医に心から感謝している。こういう命の狭間では届くかどうかわからない声をかけるくらいしかなすすべもなくおろおろした情けない娘である。