2004年10月つぶやき・・・


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2004年
10月31日 (日)
父の容態も危機を脱して再び回復への道をたどり始めほっとしている。明日はICUから出て再び病室へ戻れる事になった。



月下美人とカエル
10月29日午前6時33分撮影
私が病院へ泊り込んでいて留守の間に今年最後の月下美人が咲いた。今年は6回に分けて30個の花を楽しませてくれた。例年より花の数は20個ほど少ないがたいした管理もしないのによく咲いてくれたと感謝している。同居人が私に代わり最後の月下美人を撮影してくれていた。夜明けが遅いせいか撮影時間が午前6時30分頃にも係わらず大きく開花していたのには驚いた。木が大きくなりすぎて家の中で冬を越させてあげることはできないが昨年同様テラスで頑張って寒さを乗り切って欲しい。

10月30日 (土)
『つぶやき』が2日間途切れてしまった。
パソコンも今朝久しぶりに触る。
父が入院、手術したため2日間病院へ泊り込みの生活をしていた。夜もほとんど寝ずの看病だったので昨夜家に帰ると同時に眠りこけ、体力を回復した。高齢もあって術後3日目思いがけない合併症を起こし父の病状もかなり厳しいことになっているが私たちの期待に頑張って答えてもらいたいものだと家族一同が願っている。元気になって父の周りを取り囲む人達とまた楽しいお酒を飲みに出かけてもらいたい・・・

10月27日 (水)
昨日の北海道レンタカー一周の旅、毛がにを食べた後の笑える話
私が運転免許を取って10ヶ月くらいの若葉マークの頃同居人と北海道へ7日間の旅に出た。泊まるところは行き当たりばったりの気まま旅行。道中夫婦喧嘩をやらかして同居人と無言状態。時刻も夕刻に近づき、その時ハンドルを握っていた私はその夜泊まるところを思案していた。道路標識で『長万部温泉』と言う文字を見つけそれにしたがって長万部温泉へと勝手にひた走る。北海道の6月の夜は意外と早くに訪れ、真っ暗な山道を峠越え、ひた走る。やっと8時ごろ長万部温泉へたどり着き、驚いた。私の知っているホテルの建ち並ぶ明かり瞬く温泉街ではないのだ。ただ一軒『長万部温泉』と看板のかかった誰でも自由に入浴できる施設があるのみ。訪ねると宿泊もできると言う事でお願いすると公衆浴場の上の2階の部屋に通された。薄汚い感じの狭い畳の部屋でその奥につづき部屋がもう一部屋あるようだ。ふすまを開けておどろいた。キングサイズのベットにショッキングピンクのえらいどぎつい色のエロティックな布団が敷いてある。まあ、どう考えても普通の宿ではないようだ。部屋の前の廊下を隔てたところがお風呂になっていた。女湯、男湯と看板があり、もちろん女湯で脱衣し入浴する。お風呂はかなり広く泉質もよく私一人の独占浴。ゆっくりとくつろいでもう一つある出入り口の方からでてみる。何気なく振り返り看板を見ると男湯と書いてある。腰が抜けるほど驚いた。看板は男女別々に出ていたがここのお風呂は混浴だったのだ。当時まだ20代半ば、うら恥ずかしき年頃であった。男性が一人も入浴してこなかったのは幸いだった。
その夜はショッキングピンクの掛け布団の中で会話もなくお互い背を向けて気まずい夜を過ごした。
おかしなおかしな長万部温泉の夜だったが30年たった今一度、その長万部温泉へ行ってみたいと不思議な郷愁が湧いて来て一人苦笑いしている。

10月26日 (火)
今回の中越地方の地震では車の中で避難生活する人々が目立つ。避難場所も満杯でやむを得ず車での窮屈な生活をしいられているようだ。
これらとは趣旨も動機もまったく違い、こんな時期に書くのははなはだ不謹慎かもわからないが、私達夫婦も『お参り』のときに限り、度々車の中で寝泊りをして来た。
県外へ出るとき、それも2日間に渡ってのお参りには必ず軽ワゴン車の後部に布団を積み込んで走る。最近『道の駅』などが各地にたくさんできており24時間洗面所も使うことができ、車の中で寝泊りする仲間も案外大勢いて、安心して夜を過ごす事ができる。この貧乏旅行(私はそう呼んでいる)もなかなか捨てたものでもなくそうとう気に入っている。自由に泊まる場所が選べる事、いつでも寝る事ができること、きれいな朝に出会う事・・・いっぱいいい事があるのだ。車に布団を積み込んで好きなだけ走り、どこででも寝るという放浪の生活、かなり自分の性に合っていると思う。
同居人といつも話しているのだが、もっと自由な時間がまとまって取れるようになったら車で寝泊りしながら全国一周しようと約束している。
若い頃、北海道をレンタカーで一周したとき、とある川のそばで道端で買った毛がにを手と口の周りをべとべとにしながらムシャムシャ食べ、川の水で顔をぷるんと洗った事。あの毛がにのおいしさと川の水の気持ちよさ・・・この光景がいつまでも忘れられなくて、あのときから私の放浪志向が高まっている。

10月25日 (月)
今年の夏の夕方、わりあい近いところに落ちた雷の影響で2時間ほど停電になった。暗闇迫る家の中にいてもする事もないので外に出てみると雨上がりの東の空に思いがけず現れた大きな二重の虹。停電がなおればいずれ元通りの生活ができるという確実な保証があったから呑気に虹の鑑賞などができた。
一昨日は中越地方の方も電気のつかない真っ暗な夜を過ごした。いつ灯るともわからない明かりに暗闇の中でさぞ不安だった事だろう。夜明けと共にやりきれないほど無残な災害の光景がさらされ始め、人々は避難場所より帰る家すらない状態になっていた。壊れた自分の家を見上げ何から手をつければいいのか戸惑う人々。
昨夜、同居人とぽつりと話し合った。「私達にできることは義援金を頑張って出すくらいの事よね。」
■初体験■
何十年と使っていた家庭用大型精米機が壊れたので昨日同居人と初めてコイン精米機へお米をつきに行く。30キロのお米もあっという間の短時間に精米でき、「コレなら精米機買う必要ないね。10キロだったらコイン一枚100円で精米できるからチョコチョコ精米しようね。」と生まれて初めてコイン精米機を使いご満悦のshizukagozen!

10月24日 (日)
昨日の『つぶやき』で自然の力の前ではなすすべもない・・・と書いたばかり。新潟中越地方で震度6強の大地震が起こった。私もきのう午後6時前のテレビ画面の緊急ニュースから始まり、テレビに釘付けの朝を迎えた。時間がたつにつれ災害、被害状況がだんだんとわかってきて、新潟地方の寒空に心ここにあらずの真っ暗な夜を過ごす人々の姿を思い浮かべ、寢るどころではなかった。
これから夜明けと共に地震の脅威が一段とさらされてくる事だろうが、コレを教訓に私達も確実に数年後に起こると言われている南海地震に備えなければならない。ただ一つわかっているのは災害状況は案外当事者には情報が入りにくいということ・・・情報不足の中、自分がどのような行動をしなければいけないのか、今回の地震で勉強しなければと思っている。
阪神大震災に比べ、総理大臣の指示が早く午前1時には自衛隊が出動し早い救助活動と情報収集につながりそうなことは大きな進歩だったように思う。自衛隊オートバイ部隊の仕事振りに期待している。

10月23日 (土)
台風23号通過後の大きな被害がテレビをつけるたび画面に現れる。私の住んでいるところは今回の台風のコースは思ったほど風の影響も、雨の影響も少なく胸をなでおろした。コレは石鎚連峰や高縄山のお陰と2つの山にひたすら感謝している。
8月末に襲来した台風16号のとき、おりしも高松で一夜を明かしていた娘の車も台風が高松通過時と高潮の時間が重なり愛車がみるみる間に車シート上まで海水につかり全損となった。娘の住まいのある松山市石手寺裏山も土石流危険地域に指定されているようなので、「危ないから台風が通過するまで高松にいなさい。」と忠告した手前、私も少なからず責任を感じている。まあ人身に被害がなかったから不幸中の幸いと考えるようにしているが・・・
とにかく自然の力の前には人間はなすすべもないということだ。
過去最高の台風上陸回数といわれているがこのような異常気象を作ったのも他ならぬ私達で、これから大きなしっぺ返しがどんどん押し寄せてくる事だろう。日本の『美しい四季』という言葉もそのうち死語となる日が来るのかも・・・

10月22日 (金)
昨日の『つぶやき』に書いた“ポラリス”の投影会場である佐賀県立宇宙科学館の写真と住所を昨夜見ていてビックリした。佐賀県武雄市武雄町。昨年の11月に九州旅行した時に、武雄で泊まったホテルのそばにこの立派な建物を見かけたことが急に頭の中に蘇った。道路が複雑で宿泊施設へたどり着くのに四苦八苦した時だったから、何どころではなかったのだがそれでも別世界のような面白い建物は頭の片隅の印象に残っていた。
同居人に科学館の写真を見せるとすぐに言い当てた。
私の行きたいところだったらだいたいどんなところでも連れて行ってくれそうな?同居人に「武雄へ行こう」とは言い出せなかった。“ポラリス”のプラネタリウムも見てはみたいが大分自動車、長崎自動車道を乗り継いでのドライブ。やはり佐賀県武雄はここから遠すぎる。写真の宇宙科学館前の池は“池の内湖”という。私たちが泊まった宿泊施設もこの池に面していた。

愛媛県総合科学博物館(新居浜)でも素敵なプラネタリウムが投影されている。
まずは世界最大のドーム(直径30メートル)をもつ近場の『かはく』(愛媛県総合科学博物館の愛称)で秋から冬にかけての星空を眺めるのも一考かも・・・

10月21日 (木)
『冬のソナタ』がプラネタリウムに・・・
先日テレビで、プラネタリウムで 『冬のソナタ』 挿入曲で綴る星物語“ポラリス”が投影されていることを知った。見た人のほとんどが「感動した。冬ソナのドラマよりもよかった!」と興奮して感想を漏らしていた。女性達は感動のあまり涙を流す始末。満天の星空に冬ソナの画面が重なり美しい挿入曲と共に宇宙の世界を夢のようにさまよった事だろう。私も松山のコミュニティーセンター内、プラネタリウムで“ポラリス”が上映される事になったら是非行ってみたい。ネットで調べると現在『佐賀県立宇宙科学館』で上映されているらしい。このHP上でプラネタリウムのほんの一部の様子が映像は小さいが動画で見ることができた。


すべての星が移動しても
ポラリスはずっと同じ場所で
輝いているんだよね。

僕が君のポラリスになってあげるから、
もう道に迷うことなんてないよ

10月20日 (水)
今日行く予定だった美術展。20日はどうも台風23号のど真ん中に愛媛県も入りそうだったので急遽19日(きのう)に行ってきた。
あいにく台風の影響で天候は雨。県庁西駐車場へ車を止めた。こんな雨の日に不便な美術館まで行く者は私達ぐらいだろうと思っていたが想像は大きく外れた。西駐車場は満車で入庫を少し待たされる状態。美術館へ続く道は人がぞろぞろ。美術館内もごった返すほどの人出。この美術展の人気ぶりが伺えた。胸ときめかせ展示会場へ。『東京富士美術館所蔵』の作品ばかりで数は限られていたがそれでも見ごたえは十分あった。美術館側が鑑賞の手引きまでプリントアウトして用意してくれていたおかげで帰宅後それを読み返すと見てきた作品が頭の中によみがえり、二度楽しむことができた。なんといってもこの日一番の感動はたった一枚の『モネの睡蓮』。晩年の作品で、見た目は地味な睡蓮だが睡蓮のピンクの花が遠くで見ると浮き上がって揺れているような、流れているような、それはそれは美しい作品だった。
今日は台風23号襲来。大雨と暴風をもたらすそうで、西条、新居浜地方にこれ以上被害が広がらないよう祈らずにはいられない。

10月19日 (火)
不便な愛媛県美術館
明日、友人と愛媛県美術館で開催されている『印象派と西洋絵画の巨匠展』を見に行くことになっている。あいにく台風23号襲来で雨風の中行く事になるだろう。私たちの年齢になるといろいろな事情が降って湧き、なかなかお互いの共通の時間が取り難くなっている。そんな中、やっと日にちの折り合いがつき20日の約束ができた。会期終了も10月24日までと迫っており暴風雨でも日にちを変更する事が困難なのだ。
この友人と今年8月にも、県美術展で開催されていた『世界の巨匠展』へ行く約束をして美術館まで出かけたがおりしも激しい雨で、遠くに車を止めて10分以上歩いてまで行く気にもなれず、断念した事があった。
愛媛県美術館は私から見ればそうとう不便なところにある。
車社会になっているこの時代に美術館そばに駐車場がないのだ。美術館によると「県庁西駐車場をご利用することができますが、駐車場台数に限りがありますので、できるだけ公共交通機関等のご利用をお願いします。」とのこと。要するに何分も歩かないと美術館へは行けないのだ。
天気でもよければ堀之内公園散策がてら楽しんでいけるが、雨の日に出かけるには実際のところお手上げである。美術館は堀之内公園の中にあり、この公園は国の文化財保護の観点から新たな改修整備が許されないためこのような駐車場のない美術館になったらしい。
愛媛県に立派な美術館ができた当時は嬉しかったが、いくら素晴らしい展示会があっても不便な場所では遠くから出かけて行く者にとってはなかなか思いつきにくい所だ。

10月18日 (月)
昨日は家でゆったりした休日を過ごした。
久しぶりに『お参り編』四国霊場Bをupするためパソコンの前で作業をする。
私は平成元年から四国霊場巡礼を始め現在11回目を回っている。
ひたすらお大師さんと一緒に・・・
この巡礼は同居人の御蔭で今も続いている。
糊を利かせびしっとアイロンをあてた白衣を着て菅笠をかぶり金剛杖と長い数珠を持ち非日常生活へと入っていく。
一昨年だったろうか。10回目を回わり始めたときこれからも際限なく繰り返されるであろう四国霊場巡りが嫌で嫌で仕方なかった。お参りを始めた当初に比べお遍路さんやお寺のマナーの悪さが度々目に入るようになったのもお参りが嫌になった理由の一つでもあるのだが。私の心の中では10回目をキリに終わりにしようと気持ちがほとんど固まりかけていた。
そんな折、四国霊場47番八坂寺で大阪から団体バスでお参りに来られていた一人の同年代の女性が私の姿を見て「なんとお遍路さん姿がお似合いだこと・・・」と大声で褒め称えてくれた。自分では一度も遍路姿が似合うかどうかなど考えた事もなかったことだったから驚いた。まあ、似合うと言われ少し気恥ずかしかったが悪い気はしなかった。その日はそれから久万の45番札所岩屋寺へもお参りした。参拝後、急な石段に気をとられ降りていると、すれ違った年配の女性が私に 『南無大師遍照金剛・南無大師遍照金剛・・・』 と手をあわせていたと、そばを歩いていた同居人から教えてもらった。どういう意味で手を合わせてくれたのか一瞬すれ違っただけのその人に今更聞くこともできないが、この日起こったこの2つの出来事がきっかけで私はお参りを今も続けている。
コレはお大師様が当時気力の衰えた私に与えてくれた贈り物だったのではないかと思っている。だから同居人が連れて行ってくれる間は延々と四国巡礼は続く事になるだう。

10月17日 (日)
ルーブル美術館に私が居る?
何年か前、パリのルーブル美術館へ行く機会があった。
『モナリザ』『ミロのヴィーナス』『勝利の女神像』・・・ある。ある。世に言われる名作が次から次に・・・。特に正面の階段の中央踊り場にある、首のない羽の生えた「勝利(ニケ)」の女神像。これは素晴らしかった。このサモトラケ島から出土したニケの女神像を展示する演出が特にすごかった。正面の階段、前面の視野の拡がり方、広い踊り場の面積。この場所により女神像が際立って活きていた。才能ある人の美の演出の力をまざまざと感じ、感心しまくる。
前置きが長くなったがここから本題
ある展示室へ入ると輝くような若い初々しい女性の肖像画。数ある作品の中で私の目が吸い寄せられた。どこか懐かしいような感じ。ふと足を止めて見ていると、同居人が「おかあさん(コレ私のこと)の若い頃に似とるが」。やっぱり!?どうりで気になったはず!
そう、私に似ている肖像画がルーブルにあるのだ。
フランスから帰ったあと『ルーブル美術館特集』をNHKテレビでしていて、もしかして若き日の私?に再び会えるかも・・・と目を凝らして見ていると、なんと莫大な数あるルーブルの作品の中からその絵が紹介された。一緒にテレビを見ていた同居人がその絵を見てまた、「おかあさんの若い時に似とるが」と言う。同居人が2度も同じ絵を見て言うくらいだからやっぱり若き日の私に似ているのだろう。
私もまんざらでもなく心の中でニンマリ!


10月16日 (土)
日記考・・・書き残すという事
学生時代の友人との交換日記から始まり結婚まで割合長い間日記をつけていた。交換日記は大学ノート数十冊、自分用の日記も数冊。ある日天袋を整理しているとそれらが大切にしまわれた箱が出てきた。まさに私の青春そのものである。読み返すのはちょっと気恥ずかしかったが、読まずにはいられなかった。当時の心の葛藤が手に取るように思い出され、胸が甘酸っぱくなった。
結婚後も折に触れ日記をつけてきたが、こちらのほうの日記は割合苦しいときにつけていたようで、あまり振り返りたくないようなことばかり・・・まあ、当時の自分の心の至らなさばかりが目に付く消しゴムで過去すべてを消し去りたいような記録だった。結構うらみつらみも書いてある。
これらの日記を前に悩んだ。私が死んだ後これらの日記が誰かの目にふれればちょっとまずいかも。私にとっては大切な記録でもコレはすべて私自身のプライバシー。
交換日記をつけていた友人の了解も得て、日記すべて処分する事にした。自宅近くの池のそばで一冊づつ燃やす。赤い炎の中にすべての思い出は消え去った。
と最近まで思っていたら先日、引き出しから一冊だけ日記帳が出てきた。この“つぶやき”にも載せたが『狂い咲き』の事が書いてある日記である。この最後の日記もいずれ処分しておかなくては・・・
まあ、余計な記録だけは残すのをやめようと常々考えてここ数年生活してきたのにいつの間にかマイホームページまで作ってしまい、それも“つぶやき”のコーナーまで書き始めこの先どうしたらいいのだろう〜と最近心配している。
まあ、削除という簡単な方法がありはするが・・・

10月15日 (金)
先日所用で西条の黒瀬ダムの近くへ出かける。新聞やテレビ等で台風18号・台風21号の豪雨による被害状況など知ってはいたが、自分の目でそれを見て驚いた。
黒瀬ダム・石槌ロープーウェイ方面へ行く県道142号線は土砂崩れのため全面通行止め。それでは別のルートでと国道194号西条⇔伊野線へ入る。194号沿いの加茂川は以前の美しい様相は微塵もなく濁流が大量の流木を運んできて、それが山のように積み重なり河川敷の公園も無残な姿をさらし全滅状態。194号線も市倉ファーム手前の中野大橋の所で全面通行止め。中野大橋のところから県道12号線に入り黒瀬ダムのある黒瀬湖へ。12号沿いの山肌はいたるところで、崖崩れの後があり赤土をさらけ出していた。重機が崖崩れで壊れた家の片づけをしていたが、土砂に混じって布団や家財道具が見え隠れするのにはあまりの酷さに思わず目をそむけた。
私たちの地区は台風のたいした被害もなく安穏と生活を送っているが、今なお台風の爪あとを抱え、難儀な生活を送っている人たちがいる。愛媛県でも台風後、床上浸水した家の片付けのボランティアを募集していたが、それらに応募してお手伝いされる方は本当に立派だと思う。優柔不断な私は何の行動も起こせず家でダラダラ・・・駄目女!

10月14日 (木)
血液型男女の相性!
10月3日放送の『発掘あるある大辞典』で“血液型男女の相性”というのをしていたらしい。
その番組を妹夫婦が見ていて、相性ワースト1は男性A型・女性B型という結果が画面に出て、妹の旦那が「shizukagozenの夫婦じゃ、あそこはそうとう夫婦仲がいいのにおかしいなあ。」という話で盛り上がったらしい。
その数日後、妹と食事をしていて「姉ちゃん『あるある・・・』見た?姉ちゃんら夫婦、相性ワースト1だったよ。」と聞かされる。
なるほど。「そういえば心当たりが・・・同居人の細かい言動で私は神経がほとほと磨り減っている。今まで私がひたすら耐え忍んで来たからこそ夫婦関係が続いているのかも(>_<)」と妹に言うと「相手もマイペースな姉ちゃんに振り回されて、きっとそう思っているよ〜。」
今の若いカップルだったら性格が合わなかったら簡単に離婚なんてするんだろうけど、団塊の世代と言われて育った私達には離婚と言う二文字はなく、結婚すれば一生添い遂げるのが当たり前。私も同居人もお互い性格の不一致を我慢して一見円満夫婦を演じているが、この演技が32年も続くとはたいした狸夫婦だ。
相性ベスト1は男性O型・女性B型。shizukagozenはベスト1のO型の男性にはめぐり会わなかったけど、女友達にはO型が多く、私の日ごろのウサを晴らしてくれている。

10月13日 (水)
家の台所に立っていると風向きによって近所の金木犀の香りがホンワリと漂ってくる。この香りを感じると「あ〜、お祭りがきたなぁ・・・」
金木犀の香りが大好きで裏庭に一本植えているがコレがおいおいぼそりで、貧相なほど木も精彩がなく、まばらにしか花をつけない。両横に植わったヤマモモと樫の大木が日陰になり勢いを衰えさせたのだろうか・・・
田舎に行くと大体どこの庭先にも金木犀が植わっているが、最近銀木犀をあまり見かけなくなった。先日伊予十三佛参りをしていると牛渕の道音寺で久々に銀木犀が物静かに咲いているのを見かけ嬉しくなって顔を近づけてみた。金木犀より控えめな香りがほんのりとしてなかなかのものだ。金木犀・銀木犀・・・金と銀の色のように香りも対照的だ。
今日は40年来の友人の56回目の誕生日。プレゼント交換をしなくなって30数年・・・久しぶりに電話でも掛けてみよう。お互いに結婚して以来、年に一度か二度しか会うことがないが、会うたびに彼女は「こんなに会う回数が少ないと死ぬまでに何回会えることやら・・・」とこぼしている。

10月12日 (火)
10月3日にお参りした伊予十三佛霊場をHPに載せるために、毎日少しずつ作業を進めていたが、昨日やっと完成し、今日UPすることができた。
十三佛参りは10回目だが、恥ずかしい事に十三佛さんの意味もはっきりわからないままの参拝だった。御朱印帳をすみずみまで読んで今回はっきり理解できた。十三佛さんのお掛け軸は宗派を問わず仏事に使用できるとも教えてもらった事があったが、これで納得!
来年からはもっと充実したお参りが出来ることだろう

10月11日 (月) 北条秋祭り最終日
昨日の秋祭り中日(なかび)は早朝3時前から振りだした雨がとうとう夜までやまずこの日のためにいろいろ準備してきた子供達や大人にとって残念な秋祭りとなった。私どもの氏神さん国津比古神社境内で行われる階段上から神輿を投げ落とし神輿から飛び出した神の御霊を神殿に奉納する少々荒っぽい行事も毎年大勢の見物客でにぎわうのだが今年は雨のため見物の人数も少なかったようだ。朝からお寿司をつけたり一応お祭りらしいことをしてみたが、娘や孫達が来る程度で静かなお祭りだった。
今日は子供神輿が我家へ来る。うちの子供達が祭りに参加していた頃は子供の数も多くにぎやかだったが今は大人も手伝わなくてはいけないほど少子化し、行く先がおもいやられる。
今日で秋祭りも終わり。我家も連日だんじりの鐘の音に包まれていたが、あたりも静かになり本格的な秋へと季節は入っていく。
来年1月1日松山市との合併が決まっており我が北条市としては最後の秋祭りとなった。

10月10日 (日) 北条秋祭り中日
検索サイト・ヤフーで私のHPを検索してみるとあった、あった。
登録してから4ヶ月くらい経っているので、もう載ることはないのかな?と思っていたところだったので驚いた。気にかけて下さっていたT先生に早速メールで知らせる。グーグルにも載っていたがいつの間にか消え、また載って、現在は消えている。どういう基準でHPが登録サイトへ載るのか私には解せない。グーグルのようにヤフーもいつの間にか消えることになるかもわからないのでちょっと不安でもある。まだ調べきっていないが結構いろいろなカテゴリーで載っているようである。『ふら〜っと主婦』のコーナーも検索サイトにちゃんと載っていた。
先日taekoちゃんに会ったとき言われた。「あれからお料理が更新されてないね。」 特別なお料理もしないので写真に撮るほどでもなく、ついつい後回しになっているが、検索サイトに『ふら〜っと主婦』が載っているからこれから頑張らなくっては・・・なにぶん結婚前2年間も料理学校へ通ったんだからメニューは豊富なはず。同居人も「2年も料理学校へ行ったんだから料理にすごく期待している。」なんて結婚するとき言っていた。ただ、悲しいかな・・・私はいつもデザートの担当で、まともな主菜は担当していなかったのだ。ほとんど2年間自分の大好きなお菓子ばかり作っていた。
30数年前も今と変わらぬマイペースなshizukagozenでありました。

10月9日 (土)
昨日ちょっと感激した事!
秋祭りののぼり立てが台風接近のため中止と昨日の『つぶやき』に書いた。今年我家は地域の組長が当番で回ってきている。
中止になったとマイク放送はあったが放送が聞こえてなくて午前6時前に集合してくる人がいるといけないので組長の責務で集合場所まで出て行ってみる。雨が降っていたため午前6時前はかなり暗かった。それから数時間後の話。
私が集合場所へ行く道中の家の人の談。「今朝は4時40分に目が覚めてね。shizukagozenが暗い中、のぼり立ての場所に行くのは危険なのでずっと門灯つけておいたんよ。」この話を聞きながら嬉しさがこみ上げて来た。私が気がつかないうちに細やかな気遣いで私を支えてくれている人がいるのだ。結構自分では気づかないうちに大勢の周りの人に支えられているのかもわからない。そんな事を考えていると昨日一日中、心が温かかった。
ず〜っと前の愛媛新聞の投稿欄に60代の男性が「新聞配達の人が少しでも危なくないように配達時間に合わせて門灯をつけている。」と書いていた。その記事読んだときも細かいところによく気がついて優しい人がいるものだと感心した。
世の中まだまだ捨てたものではないな〜!

10月8日 (金)
6日撮影の高縄山の写真見ていただけただろうか?抜けるような青空の中に幾すじもの飛行機雲が高縄山上空にかかっている写真。愛媛新聞にも似たような雲の写真が載っていた。松山地方気象台によると、上空に大陸から湿った雲が流れ込み、凝結しやすい状態になったのが要因らしい。
HPにそら・くもと題して写真を載せるようになってことさら気をつけて空を見るようになった。写真に収めたいような空や雲に出くわすと嬉しくって仕方がない。
子どもの頃は友達とれんげ畑に寝転がって雲を見上げ、孫悟空のように雲に乗って空を飛んでみたいなんて可愛い事思っていたのにデジカメで写真を撮るようになるまで数十年も美しい空があることすら忘れていた。
昨日の朝も高縄山の夜明けが美しかった。細かいうろこ雲が朝日にピンクに輝きカメラに収めた。(この写真は明日載せます)
5枚ほど写真を撮ったがほんの数十秒で雲の様が微妙に変化し、一瞬を捉える事の難しさを感じた。
さて、本来ならば今日は午前6時から秋祭りののぼり立て。あいにく台風22号が接近のためのぼり立てはしばらく見合すことになった。ここのお祭りに係わりだして30年近く。台風襲来は始めての出来事だ。

10月7日 (木)
今朝方、昨日撮影した秋空の高縄山の写真を載せようと作業していたらいきなりサムネイル画像(小さい画像)が8枚ほど×になっていて画像がない。ゴミ箱を見てもない。どこへ行ってしまったのだろう?不思議でたまらない。そんなわけで大きい画像を一枚一枚サイズ変更して小さい画像にし、高縄山のページを元通りに完成させる。単純な作業だが結構時間が掛かり、つぶやきを書く時間が今(AM8:00)になってしまった。
パソコンのそばにあるテレビでは道後地区の秋祭りの宮出しの様子が放映されている。今日はいい天気に恵まれ松山は最高の秋祭りになることだろう。
昨日、友人に会い、お孫さんの写真を数枚見せてもらう。普通のデジカメで撮った写真と一眼レフのデジカメで撮った写真。一眼レフの方は人物が強調され、周りの風景がぼやけてとても上品な出来栄え。友人宅の一眼レフのデジカメは今から2年前出始めに30万円以上出して購入したニコンD100。私の手の出る金額ではなかった。今は同じクラス、それよりもっと機能が進化したタイプが10万円台で購入できる。来年になると一眼レフのデジカメも10万円をきる勢いと雑誌などでは出ている。いろんな情報に購入の踏ん切りがつかない情けないshizukagosenである。


10月6日 (水)
松山地方の秋祭りが始まった。北条は9日から。西条14日〜。新居浜16日〜。三島20日〜。このように半月に渡りだんだんと東の方に向かって
お祭りが楽しめる。祭り好きにはたまらない10月だ。
うちの近所も毎夜、だんじりの鐘がなり、こどもたちが祭り前の練を繰り返している。祭り当日はだんじりは笹に半紙で作った日の丸をたくさんつけて飾り立てられる。
七夕飾りのように、日の丸はこよりで笹に結び付けられる。
そのこよりで今でも思い出すと恥ずかしい出来事がある。
息子が小学3年生になったとき少年団というのに入り、祭りの行事に参加する事になった。そこでこのお祭りに使うこよりがいるという。それも1000本とか。半紙を幅1センチくらいに切ってこよりを自己流でよる。近所に住む義母もうちへ来たとき一緒にこよりをよってくれる。義母も私も同じような出来栄え。義母も遠い昔の経験者だからその義母と同じ出来栄えのこよりの出来に胸を張って中学3年生のお世話してくださっているお宅へ出来上がった1000本のこよりを持って行く。私のこよりをみてその方が困ったような変な顔をする。どうしたのかなと思っているとその人が家の中から自分のよったこよりを持ってきて見せてくれた。血の気が引くほど驚いた。こよりがまっすぐにピンと立っている。私のはでこぼこでふにっやとしていてなんとも無様。その人が器用に何本がこよりの実演を見せてくれる。魔法のようにくるくるとあっという間にまっすぐのこよりがよりあがる。家へ帰り必死で練習した。子供が少年団に入ったおかげで、少年団2年目には私も両手の親指と人差し指をかる〜く上手にすり合わせているとあっという間にまっすぐのこよりをよることの出来る魔法の手になった。

10月5日 (火)
朝晩急に寒くなった。一昨日から毛布を出した。暖かくてほっとしている。秋祭りも近づき季節もやっと本格的に秋らしくなり始めたようだ。
昨夜は3日におまいりした伊予十三佛さんの136枚の写真の整理をした。一枚一枚写真をチェックし、明るさやコントラストを加減したり、傾いた写真を修正したりなどなど、コツコツと地道な作業をしていく。作業終了後、各写真に名前を付け『10月03日 伊予十三佛参り』と言うフォルダにいれる。結構時間のかかる作業だがこの整理が大好きだ。おかげでパソコンの中の写真だけはきれいに整理出来ていると思う。
自分は本当にざっとした人間だと他人と比べ常々感じているが、そんなざっとした私もこだわる部分があるものだと一人で笑っている。たとえば先ほどの写真の整理とか、折りたたみ傘を丁寧にたたむとか、以前にも書いたことがあるがスカーフの整理とか、アクセサリーの整理とか。
これら以外のことは本当に貧だれ三昧の生活をしていて、ちょっとだらしないなと今書きながら反省している。

10月4日 (月)
昨日は伊予十三仏参りに出かける。
毎年母の命日(10月2日)に出かける事にしているのだがあいにく当たりの日は都合が悪く一日遅れのお参りとなる。今年で10回目になる。納経帳は朱印が重なりほぼ真っ赤状態。石手寺山門前にある地蔵院は伊予十三佛さんの五番札所になっており、そこへお参りするたび山門前附近に住み着いているたくさんの野良猫にであう。今年は可愛い子猫もいて、思わずシャッターを押す。ネコは好きなほうではないがやはり子猫は可愛い。娘が石手寺裏手に住んでおり野良猫が庭で糞尿をするらしく、それもネコの糞尿は特に匂いがきついらしく、毎日ネコ被害にあっている娘はこの石手寺近辺に住み着く野良猫をそうとう嫌がっている。たまに見るネコはいいけど毎日被害にあう身はいやだな〜

10月3日 (日)
ちょうど1週間前の日曜日、大型スーパーへ買い物に行く。
店の一角にあるパソコンのコーナーへ立ち寄ってみた。
パソコンの変わりように驚く。21インチの液晶画面のテレビ一体型。HDDも160GB、もちろんDVDも編集できる。キーボードもなんかカッコいいな〜。そういえば、ず〜っと前taekoちゃんがノートパソコン買ったとき言っていた。「今までのキーボードはボコボコ出ていてなんかダサくって・・・。ノートパソコンはその点キーボードも滑らかでカッコいいよ。」 なるほど、彼女の言っている事がよくわかる。

3年前の夏、パソコンを買ったとき5年は使おうと5年間保証に入った。PCの進化はすさまじく、3年後の今はもう化石のようなパソコンになってしまった。パソコンの速度はまあまあで、私がするぐらいのことには充分事足りるのだが、これからしてみたいと思っているビデオ編集は、5月に購入したビデオカメラの編集速度に私のPCでは速度が対応できないらしい。そんなこんなで真剣に店頭のパソコンを見る。
まあ、たいしたこともできないのにパソコンだけ立派でも仕方ないかもわからないが、買い換える時期が来たら、その時はT先生に一緒に選んでもらおう。

10月2日 (土)
昨夜の晩御飯のおかずは秋刀魚。
スーパーでなんと北海道産のころっと太ってギンギラ光っている活きのよさそうな秋刀魚が一尾70円。
おいしそうにこんがり焼きあがったところへ同居人の帰宅。玄関に入る早々充満した匂いで「サンマ〜?」
大根おろしとすだちを添え、旬の食卓となる。サンマを口に入れるたび
「ウ〜ン、うまい!」と唸っている。
落語『目黒のさんま』
東京の目黒、海に面しているわけでもなく、今では東京の高級住宅街。そんな目黒でどうしてサンマ?
秋晴れのよい天気。お殿様(徳川家光とも松平出羽守ともいわれる)はお供を連れて、江戸郊外の名所、目黒不動尊近辺へ鷹狩りに出かけられた。久しぶりの遠乗りでお腹が空いたお殿様、目黒の茶店で夕食を所望した。急なことで用意のなかった茶店の主人は自家の惣菜に買っておいたサンマを焼いてお出しした。当時のサンマは庶民の食べ物。初めてサンマを食べたお殿様はその旨さが忘れられず、城に戻ってからもサンマを所望した。しかし、城中のサンマは何人もの毒見をとおっているため冷め切っていっこうに旨くない。
「この魚、いずこで仕入れたか」
「はあ、日本橋は魚河岸にございます」
「なに魚河岸?それではいかん、さんまは目黒に限る」

我々庶民は幸せものだ〜。サンマは焼きたてのアツアツでなくっちゃ!ジュ〜ッ!お殿様もビックリの贅沢な?我家の夕食。
終わってみればサンマ皿の上は見事に身のない骨がひとすじ。
「ネコも怒るよね!」と見事な食べっぷりの同居人をほめたたえた。

サンマ皿ご存知?
デパートを歩いているとサンマを置くのにちょうどいい長さの器あり。私が自分勝手にサンマ皿と名づけ購入する。

10月1日 (金)
先日の愛媛新聞の記事が面白かった。『日本には今、2タイプの女性しかいません。“冬ソナ” にハマっている人と、いない人です。』
私はどちらかと言えばハマった女性。それも遅がけに・・・
今は冬ソナを通り越して 『韓国ドラマ』 全般にハマっている。
俳優も、映像も、音楽も、韓国の風習も、そして韓国語もすき。
韓国のアカすりがブームだった頃、友人達と韓国へ旅行した。日本とさほど変わらない山や田畑の風景に感動の少ない旅行だった。ソウル自体も薄汚い感じの都会と言う印象しかない。それが韓国ドラマの中では屋台で焼酎を飲む場面や南大門のバザールの場面が特別イキイキして映し出される。『ロケ地をめぐるツアー』がブームのようだが韓国は映像の中だけで楽しむほうが絶対にいいと個人的には思っている。
先日、ぺ・ヨンジュン主演の1999年のドラマ 『愛の群像』 を見終わった。44話という長いドラマだったが見る機会があれば是非見ていただきたいドラマだ。確か愛媛の民放でも放送する事が決まったと聞いたが・・・
『愛の群像』 の中でこれからもずーっと胸にとどめておきたい言葉があったので書き残しておく。 『愛と結婚は、喜びと幸せだけと思うのならばあなたたちはきっとつまづいてしまうだろう。なぜならば、愛と結婚にあるのは、喜びと幸せだけではない。悲しみがあり、傷があり、苦痛も一緒にあるから。生きてみて本当だと思ったよ。』