2004年9月つぶやき・・・

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2004年
9月30日 (木)
今日で9月も終わり。
私にとって今年の9月は青天の霹靂のような出来事があり、心が落ち込んでいる。人生山あり谷ありと言われてはいるものの、谷のときはこの歳になっても受け入れにくくなかなかつらい。
そんな中パソコンのT先生とする勉強の時間は私の心のオアシスになっている。昨日も台風の中来ていただき、ふわふわ舞う画像を完成させた。この 『つぶやき』 の落ち葉が昨日の勉強の成果である。
27日の『つぶやき』で河野川土手に咲く 『狂い咲き』 (返り花、戻り花とも言われているが)の桜をupしたが昨日の愛媛新聞にも西海町内泊で季節外れの桜が咲いたと載っていた。T先生も先週三間の宇和島カントリークラブで桜の花を見たそうだ。県林業センターによると「台風などで葉が飛ばされた後、開花することがある。海水を含んだ風を受けたために生理異常になった可能性がある。」と言っている。
狂い咲きはどうやら台風のもたらした現象のようだ。

9月29日 (水)
今日は孫の佑基くんの6歳の誕生日。只今、午前4時。今から6年前のこの時間には、ママは陣痛でウンウン唸っていました。パパは頑張っているママの腰を一生懸命さすっていました。長い陣痛でした。佑基君に、ばあちゃんが初めて対面したのは午前8時過ぎ。羊水でふやけ、ちょっと赤紫の顔で「フォワー、フォワー」と必死に泣いていました。玉川のじいちゃんは「よかった、よかった」と何度も言っていました。テレビで9月29日は『来る福』と語呂合わせしていたらしく、それをプリントアウトして持ってきてくれました。病院の外へ一歩出ると空はまぶしいほどの輝きと青空。家に帰る道すがらしみじみ幸せがこみ上げてきました。本当に福を持って来てくれたようです。あの可愛い佑基君も、今はカッコいい佑基君に変わろうとしています。スポーツマンの佑基君、運動会見に行くから頑張ってね!
6年前の9月29日は快晴だったのに今日は台風21号上陸の日。
午後からT先生がいらっしゃるのに暴風たいした事なければいいのだが・・・

9月28日 (火)
朝3時、月明かりに窓の外を見あげるとやや西よりにうっすらと傘をかぶった遠い月。今日は仲秋の名月。いわゆる十五夜。
残念な事に、今夜はお天気がくずれそうで冴え冴えとした美しい月に会えそうにない。
仲秋とは旧暦の7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋というので(三秋:さんしゅう)、月の美しいこの季節の満月を「仲秋の名月」といって昔から特に愛でたらしい。
先日テレビで細木数子さんが「女は月を見てはいけない」と言っていた。月を見ていると些細な考え事でもだんだん深刻に考えてしまい心が落ち込むと言う。言われてみれば月は美しいが見つめているとその神秘性ゆえに心が何故か物悲しくなり物事をいい方向には考えられないのかもわからない。
遠くへ旅立った人を想う時もやはり月を眺めている時が多いような気もする。
母も遠くへ旅立って丸9年。旅立った人は星になると言われているが私の母は月へ行ったと思っている。ま〜るい月を見るといつも母を感じるからコレもやはり月のなせる仕業だろうか・・・

9月27日 (月)
北条市柳原、河野川堤の桜並木に季節外れの桜の花が咲いている。
昨日撮影してきたが秋に咲く『十月桜』かな?と名前を調べてみたがどうもそれではなく狂い咲きの桜のようである。
狂い咲きについては今から19年前(娘が小学校6年生頃)、ポツリポツリつけていた日記にこのように書いた事があった。以下全文
ー昭和60年10月7日ー
庭の小さなりんごの木が季節外れの花をつけた。真っ白い花びらにうっすらと紅をさしたようなたたずまいは花の少ないこの時期にその可憐さをいっそう際立たせている。娘にりんごの花が咲いている事、季節外れに咲く花を 『狂い咲き』 と言う事などを話していると急に「お母さんも今狂い咲きしているね。」と言い出す。
一般には娘十八番茶も出ばなと言われ一応この頃が人生の花盛りのように思われているが私の場合は遅ればせながらこれから人生の花が咲こうとしている。三人の子の親となり、主人の扱いも上手になり、年老いてきた両親の気持ちも少しは理解でき、人の悲しみや喜びを抵抗なく受け入れる事のできるようになったこのごろ本当の意味での私の花が咲きかけたような気がする。
娘の言う私の狂い咲きとは昔?と比べて最近は服装が派手だという事らしいが、その面ではこれからもますます狂い咲く事と思うが、私の心の方の花は、咲くべくして咲いたと娘に言ってもらえるよう一日一日、真剣に誠実に取り組みたい。
できる事ならりんごの花のような清々しさを残しながら・・・

あれから19年、私の心の花は清々しさを残したまま咲いただろうか?まだまだ咲き足りないのでコレからも頑張ろう!

9月26日 (日)
昨日は四国カルスト、大野ヶ原までドライブした。
同居人がとにかく家にジッとしているのが退屈らしく、午前11時頃からの急なお出かけとなる。行き先はお任せしたら、「山の方・・・」とだけ。柳谷から五段高原方面へ入る。天狗高原にでも行くのかなと思っていると途中から県道36号野村柳谷線で大野ヶ原へ。私もドライブの好きな同居人のおかげで愛媛は隅々まで知り尽くしていると思ったが大野ヶ原は初めてだった。単線の離合も困難な谷あいの道をかなり長い時間走ると、突然目の前に広々としたカルスト台地が開けた。牛舎やサイロがたくさんあるのに人影の見当たらないのどかな高原。瀟洒なロッジ風の建物で大野ヶ原名物のアイスクリームを食べる。このアイスがとてつもなくおいしい。ミルクが凝縮した濃いアイスクリーム。アイスクリームがあまり好きでない私もこの味にはうなった。アイス大好きのtaekoちゃんにも食べさせてあげたいな〜なんて思いながら・・・
この店のそばに大野ヶ原小学校がある。この学校を見て胸が詰まった。私の小学校の恩師(4年から6年までの担任)が校長となって初めて赴任した学校。担任当時から65歳で亡くなるまで一生徒として可愛がってくれた恩師が希望に燃え赴任した学校。この学校で素直な子供たちに出会い、心に残る出会いをいっぱい残したのであろうか。大野ヶ原は始めて訪れた土地ではあったが恩師の赴任した学校と言う事で何故か親しみの湧く土地でもあった。

※四国カルストをupしました。

9月25日 (土)
9月17日から10月3日まで松山映画祭2004が衣山シネマサンシャインで開かれている。今週は『ローマの休日』などが上映されているようでコレは非常に人気が高く上映回数を増やしたと先日テレビで知った。オードリー人気は死後10年経った今も健在ということだろうか。あれほど可憐な女性はそういえば今まで見当たらなかったなあ・・・直接会った事もないのに目鼻立ちはもちろん骨格まで覚えているから私もそうとうファンだった事は間違いない。先日、『ローマの休日』に憧れて友人とイタリア旅行をしたと
メールを頂いた。なんとも大きな夢を実現させたものだと驚いた。
多分独身時代の30年以上前の事だと思うが当時は1ドルが360円の時代。確かヨーロッパ旅行は当時の金額で30万円を超えたのではないだろうか。なんともすごい旅行をしたものだ。アン王女のように『真実の口』に手を入れてはしゃいでいる若き日のTさんが目に浮かぶようだ。物より思い出・・・今の私のポリシーを数十年前より実現させているTさんに敬服。
美しいアン王女に会いたい方は是非クリックしてみてください。

9月24日 (金)
昨日の建てまいのお餅31個拾う。拾う人数の割に投げたお餅の量が多く最後列で位置取っていた私の前にもころころ転がってきて嬉しいほどの数が拾えた。人間も2人ほど私の前へ転がって来て避けるのに怖い思いをしたのだが・・・仕事から帰った同居人にタオルや鰹節、餅など拾ったもの全部見せると不思議なもの見る顔してニタッと笑っていた。
棟上を見るのは景気がよくっていいものだ。最近の建築は地震、台風対策ができていて基礎工事からしっかりしているので感心した。
築25年の我家は当時の少々甘い建築基準法に沿って建てているから危険建築物に入っている。地震の度、心配しなければいけないが30歳の若さで、きれいな家に住んだんだから相殺しても良しとしなければならない。25年前から水周りはシングルレバーを使い、台所もカウンターキッチンだったから設備そのものは今も古さを感じない。時代のほうが私たちに追いついたと思っている。欲を言えば子供のいなくなった家を平屋の夫婦二人の住みやすい家に改築したいくらいかな。
昭和54年2月、粉雪がちらちら舞う寒い日に我家も棟上をした。
棟梁と建主である同居人が家の大きな梁に毛筆で名前をいれクレーンがそれを吊り上げた。当時3歳前だった長男も父親と一緒に棟上の餅まきをしたことがつい昨日のことのように思い出される。
25年の歳月には重みがある。


9月23日 (木)
昨日一日寒かった。涼しいと言う言葉を通り越して寒い。
こんな日ばかりではないだろうが、季節も季節だしそろそろ夏服を片付けなくっては。そういえば秋祭りの宮だしの時間は冷え込むので10月早々でもウールのセーターなど着ていたような・・・
先日敬老の日の買い物に娘と久々にデパートへ出かけた。出かける前に娘に「今、街中は皆何着ている?」と聞く始末。一応夏らしさから少し抜け出した服装はして行ったがデパートの中はそこを歩く人もマネキンもすっかり深〜い秋色だった。
昨日こそ寒かったが敬老の日ごろは30度を越える猛暑だったのに皆おしゃれのために我慢して頑張ること。
さて、お天気でもよくなったら、少々億劫だけど衣替えでもしよう。

今日は近所のHさんの息子さんの家の建まい(上棟式)。「夕方5時ごろから餅まきがあるので来てね」と案内があったので出かけよう。
私は餅拾いがそうとう下手くそ。最初っから下を向いていればいいものを、投げる人を見るために上を向いていて、餅が飛んできて拾おうと下を向くともう一個もない状態で情けない話である。
それでもへらへら笑っているとんだどじ女で、同居人からいつもV Vとサインされている。親父ギャグで『ニブイ』

9月22日 (水)
秋の彼岸、この時期に確実に花を咲かせるのが彼岸花。
本当に忘れず花開くから不思議なものだ。
一番美しい時期を見るのはなかなか難しい。花の時期はわずか1週間と言うから・・・
あるHPを見ていると〜花と葉を同時に見ることはできない。 葉のあるときには花はなく、 花のときには葉がない。 このことから 韓国では「サンチョ(相思華)」と呼ぶ。 「花は葉を思い、葉は花を思う」という意味から〜と載っていた。
彼岸花の写真をまだ撮ったことがなかったので今年こそと張り切っているがいざ近づいてみると花が枯れていたりシロっぽくぼやけていたり背景が悪かったりとなかなか思うような彼岸花に出会わない。朝の冷え込みにより赤の色の華やかさが違うらしいから今年は駄目な年回りかもわからない。だけど今秋はいやに彼岸花が目に付く。遠目でみると花の赤い帯はやはり美しい。
別名 「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)。 ”天上の花”という意味。 おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天から ふってくるという仏教の経典によるとも書かれていた。
夏ばてかどうかわからないが昨夕は思いっきり嘔吐してしまった。昨日つぶやきでこの暑さでもいっこうに衰えない食欲と書いたばかりなのに鬼の霍乱だろうか、胃が異常反応を示した。昨夜から何も食べてないが今日も一日水でも飲んで胃をい
たわってあげよう。

9月21日 (火)
一昨日、久しぶりに会った息子に「お母さん、そうとう太ったんじゃないん。横に転がしたほうが早いんじゃないんか」なんて最近、最も気にしている事をずばり言われた。夏の間、楽な簡単服を着続けたせいで、スカートのウエストも四苦八苦。
今年に入り足裏の痛みのため家に引きこもりがちだったのと、パソコンの前にいる時間が増えたのと、猛暑でも一向にへこたれない食欲のせいでにっちもさっちも仕様のない事になってしまっている。
『体重計置き場所変えてもう一度』 なんて可愛い時期はとうに過ぎて、今は恐ろしさのあまり 『体重計電池も抜いて片隅へ』 状態である。
ゴーヤ茶飲んで、酢大豆やもろみ酢毎日取っても運動に勝る健康法なしということで、そろそろウォーキングでも始めようかな?
足ぞこに負担のかからないナイキのエアロビクス用のシューズを先日娘からプレゼントしてもらった事だし、コレでもはいて頑張ってみよう。

9月20日 (月)
小学中学年の頃からお正月が来ると父や叔父に混じり 『百人一首』 や 『花札』 をして遊んでいた。百人一首などは意味もわからず中暗記して札をたくさん取り叔父たちをうならせた。
花札は父から手ほどきを受ける。今 『こいこい』 と言われているゲームは 『ろっぴゃく』 とも言って、役が六百点になったら上がり、もしくは札がなくなったとき役の得点が高いほうが勝ち。役はすべて頭の中に入り、二人でするときは『場八に手八』、三人以上でするときは『場六に手七』と札を配り、ゲームが始まる。小学生の妹と二人でする普段のゲームがトランプではなく花札だったと言う事自体今から思うと笑える話である。
新婚当時、花札をまったく知らない同居人に1月は松、2月は梅、3月は桜・・・と書いたカンニングペーパーを渡し、敷布団の上で向かい合い、姐さんよろしく片すねを立て『おいちょかぶ』を毎晩指導していたが同居人はまったく度胸も素質もなく数ヶ月で教えを放棄した。
今はパソコンの中にあるゲーム 『こいこい』 をパソコンをとじる前に必ず楽しんでいる。対戦相手はコンピューター。私の今までの勝率六割四分八厘。時々ラン対戦ということで相手を待ってみるが誰も対戦に来てくれない。
いまどきこんな古臭いゲームをする人間は私ぐらいなものなのだろうか。
ちなみに花札の九月は 『菊』 である。菊が手元に来たときは妹の名をもじって「九九みちゃんが来た」と心の中で言っている。

9月19日 (日)
食後の一服!?
はタバコならぬゲームボーイ!
私は10年以上ゲームボーイ中毒である。毎食後30分は必ずゲームボーイをシコシコしている。テレビを見ているときもゲームボーイを手放した事がない。手と目はゲームボーイだから正確にはテレビは聞いているといったほうがよさそうだ。それもゲームソフトは 『テトリス』 Only。
最初は少し大きめの白黒の分厚いゲーム機だったが今は3代目(3台目)の薄型で、当然カラー。これらすべて同居人の誕生日プレゼントだから笑っちゃいます。娘婿や同居人が他のソフトもプレゼントしてくれたのだが私はテトリスしかできない。
「テトリスはかなりウマイ!」と自負しているのだがいまだに90万点台が最高得点。年に数回しか帰ってこない息子がちょっと触っただけで100万点を超えるのには頭を抱える。
私はこれ以上は上達の見込みがないとあきらめてはいるがやはり食後はコレをしないと指先が落ち着かないからやっぱりゲームボーイ中毒かな?
あしたは私のもう一つの中毒 『花札』 のことを書こうっと・・・

今夜は父の83回目のお誕生日を里で祝う。子、孫、ひ孫全員集合でまたてんやわんや。どんなにすさまじいか皆様に一度お見せしたいくらいだ!

人間大好きの父にとって、最高のプレゼントになることだろう!

9月18日 (土)
今日は稲刈り。自家用米のコシヒカリを1枚だけ刈る予定。
実はたわわに実っているのだが先日の台風で稲が倒れてしまって、『刈る人』である同居人は苦労する事だろう。刈った稲は稲木に掛ける。
稲木に掛け自然乾燥させたコシヒカリは本当においしい。私は嫁いできてから、おいしいお米を当たり前に食べているが、外で食事してもこれほどおいしいご飯にめったに出会わない。
お米大好き人間の私としては幸せな事である。
数年前、今は亡き義父と二人で稲刈りをしたとき、稲木を掛ける私に「うちへ来る前も農家しよったんかな、稲木掛けるのが上手じゃなあ。」なんてうま〜く乗せられて、悦に入って頑張っていた事を思い出す。
2年前からは残念な事に稲木掛けは身体の都合でやめている。私の代わりに娘や主人の妹の亭主や甥たちが手伝ってくれるので大いに助かっている。私はデジカメ持参で皆が働く光景でものんびり撮影しましょうか・・・

9月17日 (金)
『岡本太郎』 が大好きな友人のおかげで松山のミウラート・ヴィレッジで開催されている 『岡本太郎展』 に足を運ぶ事ができた。
実際に本物の作品を目の当たりにすると、よくわからないままにその作品の迫力に自分の心が寄り添おうとしているのが不思議だ。未完成の状態でサインのない作品も数点・・・作品と作品の空間には『太郎のつぶやき』がしっかりしたゴシック体で書かれてあった。
☆面白いねえ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。だからぼくは、“本職は人間だ”と答えてやるんだ。☆こんな太郎のつぶやきを読みながらゆっくりと作品を見て歩くと岡本太郎がそばで息づいているようだった。岡本太郎のように自由には考えられない、つまらない常識に縛られた大人に成長してしまった自分が淋しかった。そういう自分に気がついただけでもこの岡本太郎展に足を運んだ意味があったと考えている。
梵鐘『歓喜』の音で楽しんだり、すわる事を拒否する椅子へ座ったりと楽しいひと時を過ごし、少し子ども心に戻れたかな?
太郎展の記念に友人はお孫さんに 『太郎鯉』 を、私は自分に本2冊 『岡本太郎の東北』 と 『強く生きる言葉』 を購入。
同居人が 『岡本太郎の東北』 をえらい気入って勤務先まで持って行ってしまった。

9月16日 (木)
一昨日は里の妹と松山市高井にある『マルブン』で、昨日は友人と松山市祝谷にある『櫟(くぬぎ)』で、と2日間続けて外で昼食。
まあ、どちらの店も店内は見事に女性客だけ。皆、楽しそうに語らいながら結構豪勢なランチタイム。「世の中こんなに遊ぶ主婦が増えていいのか〜〜」なんて自分のこと棚上げでマジに心配する。
おなかも心も満足しきって自宅へ帰り夕食作り。自分がもう夕食は食べたくないものだからついつい手抜きメニューになる。
7時過ぎ帰宅した同居人は 「仕事が忙しくって今日は昼食を取る時間がなかった」 といいながら手抜きの夕食を文句も言わずおいしそうに食べてくれる。『ゴメンネ!』と心の中で反省しまくり。
今夜はおいしい夕食作って待ってるから楽しみにして帰ってきてね。

9月15日 (水)
昨夜ネットで病気による死亡原因の順番を探していると妙なHPに出会う。今日は旧敬老の日でもあり、こんな事載せるの不謹慎かもわからないけれど・・・
質問に答えていくと自分の死に方がわかるHP。
質問に忠実に答えていくとなんと私の死因は『大事故死!』
同居人にも質問に答えてもらった。彼は『老衰』で満足な死に方をするらしい。私の『大事故死』に驚いた同居人が「やり直せ」というので変えられそうなところを変えてみる。やっぱり結果は『大事故死』。別に信じているわけではないけれど、いい気持ちはしない。まあ、毎日乗る車の運転には充分気をつけようとは思った。今日も100km.位は車に乗ることになるから。
あなたも『あなたの死因』お遊びでしてみます?

私が本当に調べたかったのは病気による死亡原因の順番
(1)悪性新生物、(2)心疾患、(3)脳血管疾患の順

9月14日 (火)
2001年9月14日 シンガポール4日目
今日は一日フリータイム。宿泊したHマンダリンはショッピング街オーチャード通りに隣接している立地条件のいいホテル。おかげで道に迷う事もなく朝から夕方まで存分にショッピングを楽しむ。
自分用に大好きなスウォッチの超薄型シリーズ「スキン」(スウォッチのスキンシリーズはこの頃はじめて出たのではないだろうか)のモノトーンのおしゃれな時計と、アニエスべーのモノトーンのバッグを購入。お昼は英国式のハイティーでくつろいだり・・・
夕刻はシンガポール名物「輪タク」(チャリンコの横に幌つきのサイドカーを付けた乗り物)に乗ってみる。お兄さんが汗だくでチャリンコをこいでインド人街など約30分ほど走ってくれる。彼女を乗せた兄ちゃんは「おもい・おもい」を連発で大爆笑。マイ運転手に「私・おもい?」と聞くと、彼は無理して?「かるい・かるい」。
貧乏ったらしい輪タクの終点がなんと、かの有名な高級ホテル・ラッフルズ前だった事にはいちばん驚いた。
現地係員のジャスミンがグルメな屋台村、ニュートンサーカスに連れて行ってくれ、そこで夕食。シンガポールの豊かな食文化にも驚く。
晴女の私のおかげで天候も申し分なく、3日間の凝縮した日程をすべて終了。23:25発の飛行機で関空へ。
とスムースに事が運ぶ予定だったが、シンガポールの空港でアメリカのテロの余波をモロに受ける事に。空港は異様に緊迫し、荷物検査のチェックが厳しく、なかなか搭乗手続きが進まない。時間ぎりぎりで搭乗できなんとか機上の人に・・・
翌朝到着した関空ではもっとチェックが厳しく、松山行きの飛行機に乗るのに、バッグ以外はすべて手荷物扱いで預ける事に。航空会社のほうはまだバッグまで預かりたい様子だった。
旅行前から天候で気をもみ、帰りはテロの余波でいろいろ手間取り、コレは同行した雨女&トラブル女のtaekoちゃんの仕業だと今でも思っている。
私にとってのシンガポールは、初日があのツインタワーやHマリオットの崩壊というアメリカ同時多発テロと重なった事で、『シンガポール=9・11事件』となり一生忘れられない旅行となった。
taekoちゃん撮影のシンガポール旅行のいい写真がいっぱい手元に残っているが、惜しい事に素敵な笑顔?の私がすべて写真の中心に写っており、HP上では恐れ多くて公開できないのが非常に残念である。・・・おわり


9月13日 (月)
2001年9月13日 シンガポール3日目
ゆっくりと朝食を取りホテル近くの海底トンネル水族館へ足を運び、その後ホテルへと続くシロソビーチへ。砂を敷き詰めて造った人工のビーチだが白い砂浜が最高に美しく人影の見えないビーチをはしゃぎながらホテルへもどる。昼前にホテルをチェックアウト。迎えのバスを待っていると旅仲間の夫婦ずれのご主人さんがやってきて新聞を見せてくれる。その新聞を見て9月11日にアメリカで起こったテロのことを初めて知り、仰天する。
ニューヨークツインタワー崩壊の瞬間の生々しい写真。ツインタワーの間に挟まれたホテルマリオットにも2連泊したり、ツインタワー内で食事もした事があり、あの摩天楼のようにそびえていた巨大なビルとホテルが崩落という、事の重大さにかなりの衝撃を受ける。二度目のNY訪問のときも季節は変わっていたがツインタワーと伝統あるホテルは変わることなく迎えてくれたのだが・・・
もっと詳しい情報が知りたいと思いながらも旅はたんたんと続く。
ケーブルに乗りセントーサ島を後にし、シンガポールの最高級ホテル・ラッフルズホテルで優雅に飲茶の昼食。
食後、マーライオン公園よりシンガポール名物マーライオンを見る。セントーサ島のマーライオンが大きくて迫力があったので、ここの小さいマーライオンは迫力もなく手のひらに載せて写真撮影?世界3大がっかりの一つと知っていたからそれほど期待もしていなかったので、期待はずれにはならず、むしろここのマーライオンは可愛いとさえ思った。
植物園など市内観光後、
1泊目と同じホテル、マンダリン・シンガポールへ宿泊。・・・あしたにつづく
※ 参考 世界3大がっかり
その一、シンガポールの「マーライオン」
その二、コペンハーゲンの「人魚姫」
その三、ブリュッセルの「小便小僧」
マーライオンは全員一致でがっかりに選ばれているが、その他のがっかりは人によって意見がバラバラ。マーライオンは「全員一致」ということですごい事だと思う。
日本の三大がっかりは知っていますか?高知のはりまや橋と札幌の時計台は全員一致のようですが三つ目は人によりそれぞれのようです。わたしは三つ目が思い当たらないのですがあなたのがっかり三つ目は?

9月12日 (日)
2001年9月12日
午前中、マレーシア領、ジョホパールへ行く。有名なサルタン王宮や民族村などを訪れ昼食はマレー料理。シンガポールからマレーシアへ入国するので一応パスポート審査あり。マレーシアではパスポートが80万円ぐらいで売買されるので紛失には充分気をつけるようにとマレーシアから乗り込んだ男のガイドの説明あり。こんな事ばかり覚えていて肝心の観光の印象が薄かったのがマレーシア。はっきり言ってつまらなかった。その時ガイドがつぶやいた言葉、「アメリカでは大変なことが起きたようです。」???
午後からシンガポール観光の定番、セントーサ島へ。戦時中は軍事拠点となり日本軍の侵略を示す記録も多く残り悲しい歴史を山のように抱えたセントーサ島。戦後何もなかったシンガポールが、観光客誘致の目玉として1972年から開発に着手した人工リゾートアイランドである。
まず、シャングリラ・ラサ・セントーサ・リゾートホテルへチェックイン。このホテルは素晴らしかった。シービューの部屋からはベッドへ寝転んでも南シナ海の青い海が目の前に広がる。テラスにでると眼下に熱帯植物に囲まれた大きなプール。見晴らしのいい高級リゾートホテルに私たちは大興奮。部屋を出るのがもったいなかったが少し休んでから島内を走る無料バスで観光に出かける。夜の光りの噴水ショーも無料。帰りのモノレールも無料。シンガポールへ旅行される方は是非セントーサ島で1泊され、ゆっくり観光することをお勧めしたい。セントーサ島についてはまだまだ書きたい事がいっぱいあるが、このくらいで・・・仲間10人と楽しく語り合いながらホテルで遅い夕食を済ませ、ふかふかのベッドへもぐり込む・・・あしたにつづく

9月11日 (土)
2001年9月11日
朝一番の松山発関空行きの飛行機に無事搭乗でき、なんとか旅の始まりにこぎつけた。関空まで行けばもう旅は80%成功したようなもの。
シンガポールへは夕刻の出発便なので関空で食事したりショッピングしたり出発までの長〜い時間をつぶす。
夕刻、予定通りシンガポールへ向かって真っ赤な夕焼けの中を飛行機は飛び立った。6時間の飛行。
22:15シンガポールへ到着(日本は23:15で時差1時間)。入国審査を終え出口へ。現地係員が出迎えてくれた。
私たち2人を含め10人が集まりあまりの少人数に少しびっくり。
30歳前の現地係員、ジャスミンの話では関東方面から26人が不参加になったとの事。台風の影響で関空までの飛行機等交通機関がまひし、やむなく旅行キャンセルしたらしい。私たち二人は台風の進路変更で運良く参加できたが、代わりに26人もが参加できなくなったとは・・・
立派な大型バスにたった10人の客を乗せシンガポールの旅が始まった。
今夜のホテル、マンダリン・シンガポールへ23時過ぎ到着。ベッドへゴロッと横たわりテレビを見ていると煙がもうもうと立ち込めている光景。ヒラリー議員がインタビューを受けている。言葉がわからないので「アメリカで大火事でも起こったのかなあ」なんて彼女とのん気に話しながら長〜い一日の疲れでぐっすりと眠りについた。
あの 9.・11 アメリカ同時多発テロの事を私たちが知ったのは2日後であった・・・あしたにつづく

9月10日 (金)
3年前の9月10日 シンガポール旅行前日⇒雨女と晴れ女の戦い・・・
2001年の9月10日から11日にかけて台風10号が高知県足摺岬沖から四国に上陸予定。家の外は雨が激しく降っている。
弱ったなあ!明日からシンガポールへ5日間の旅行。
この向きでは11日に関空まで飛行機が飛びそうにない。
なんで???私はかつて旅行で天候不良になったことがないのに。
一緒に旅する彼女に「台風、困ったね!」とTEL。
すると彼女の口から意外な言葉が。「私、雨女なんよ。それも旅行に行くとき必ずなんかトラブルがあり行けなくなったりする。」(T_T)/~~~
「何よそれ!」 クソッ!雨女に負けてたまるか。(下品な言葉で失礼!)
私は彼女に負けないように気合を入れた。
テレビの台風情報と睨めっこしているとなんと台風がじわっと進路を変え、だんだん徳島県よりに。やがて夜のうちに紀伊半島へ上陸し本州へ。
晴れ女、ついに雨女に勝利!
明日は関空まで無事飛行機が飛ぶだろう・・・あしたにつづく

9月9日 (木)
今日、九月九日は『重陽(ちょうよう)の節句』
正月七日(人日・じんじつ)、三月三日(上巳・じょうし)、五月五日(端午・たんご)、七月七日(七夕・たなばた)と並んで五節句の一つに数えられている。
九月九日が重要視された理由は、古代中国で最高の数字とされた「九」が2つ重なっているから。「九」は「陽」が満ちて極まっている状態とされ、最高の数字とされていたので、最高の「陽」が2つ重なっている九月九日を重陽(ちょうよう)というわけ。
日本では「七」とか「八」とかをラッキーナンバーに選ぶ人が多く「九」と言う数字を選ばないが、時々車のプレートナンバーで9999と陽のきわまった数字の配列を見かけると「おぬし、知ってるな!」なんてついドライバーの顔を見る。
九月九日は『菊の節句』とも呼ばれ菊の香りを移した菊酒を飲みながら月をめでる行事を行う日ともなっている。大好きで仲のよい妹の名前も『菊』がつくので菊の節句という言い方のほうが私にはなじみがあるのだが。

9月8日 (水)
昨日の台風18号、すごかった。
あの暴風で2階の屋根瓦も数箇所ずれているので、今日は同居人と協力してずれた瓦をなおさなくっては・・・暴風音を聞いているだけで身体が緊張し、疲れきっていたのか今朝は久しぶりに5時半まで眠ってしまった。
昨日メールを頂き、「壁紙にしたらいいような写真があるので壁紙コーナーを作ってはどうですか。」とアドバイスを受けた。デスクトップの壁紙に使ってみたがサイズが小さくて駄目だったとの事。HPに載せる関係でサイズを小さくしているので、もし私の写真の中でプリントアウトやデスクトップ用にしたい方がいらっしゃればメールでご連絡いただければ元サイズの写真をお送りします。

9月7日 (火)
9月4日私の加入しているヤフーBBよりユーザー各位に緊急メールが届いていた。以下長いけれど全文掲載。
ソフトバンクBB社長の孫 正義です。
いつもヤフーBBのサービスをご利用いただきありがとうございます。
さて、本日このメールをお送りしたのは皆様に是非ご協力いただきたい、ゆゆしき事が起こっているためです。
ご存知でしょうか? 日本の携帯電話料金は世界一高い! と言われております。これは携帯電話事業に参入している企業がごく一部に限られており、自由な競争が行われていないことに最大の原因があります。日本のブロードバンド料金は数年前まで先進国の中で最も高額な部類に属しておりました。しかし、ヤフーBBが参入し、競争が活発になった結果、今や日本のブロードバンドは世界一安くしかも世界一高速になっています。また、先日発表の日本テレコム「おとくライン」は、固定電話の基本料金などでも価格競争を起こすでしょう。
携帯電話の世界でも、同じように新規事業者が参入し、競争が促進されれば携帯電話の料金は必ず、今とは比較にならないほど安くなるはずです。私たちソフトバンクが携帯電話事業に参入したい意向を持っていることは、既にいろいろな場面でお話させていただいています。
また、私たちのもとには「早く携帯事業をはじめて、携帯の世界の改革を推し進めて欲しい。携帯料金も下げて欲しい。」というご要望も毎日のように寄せられています。
私たちが携帯電話事業に参入できれば、携帯料金は確実に下がります。私たちが目指す「いつでも・どこでも・だれとでも」情報のやり取りが安価でできる、まさに「ユビキタス」な社会が実現できるはずなのです。現在、私たちは電波の割当が受けられるよう様々な努力をしています。しかるに平成16年8月6日、総務省から提案された800MHzの電波帯の再編案は、携帯電話に最も適した800MHz帯を独占的に使っている、NTTドコモとKDDIの2社のみが再編後も引き続き割当を受けるというものでした。そして今回の案では、平成24年までこのままの状態が続くことになり、結果として携帯事業への新たな参入は著しく困難になると思います。
現在、今回の総務省案に対する国民の皆様方のご意見(パブリックコメント)の募集が行われております。パブリックコメントとは、官公庁が政策、制度を変更する時などに国民から広く意見を募集するために行うものです。私は皆様に、今回の総務省案に対するパブリックコメント募集に是非ご意見を出していただきたいと考えています。
本来であれば書面にてお願いすべき内容ですが、今回はあまりにも時間がありません。本件についてのパブリックコメントの締め切りは9月6日(月)の17:00なのです。しかし電子メールならば充分間に合います。是非皆様にもインターネットの力、電子メールの力を使ってご意見を出していただきたいと思っております。
皆様の意見で、日本の携帯電話が変わります。
是非とも皆様のご協力をお願い申し上げます。

このメールを読んで孫社長の意見に充分賛同できたが、何百万人もいる私以外のヤフー会員が意見書を提出するだろうと読み流していた。
9月5日娘や孫達と伯方島へこの夏最後の海水浴に出かけた道中、ヤフーに加入している娘から「お母さん意見書出した?」と聞かれた。娘はメールを読んですぐ意見書を送ったらしい。読み流してほっておいた自分がちょっと恥ずかしかった。
昨日の朝、総務省総合通信基盤局電波部移動通信課というところへ意見と理由を添えて初めてメールを送った。
今何もしなかったら携帯電話料金がH24年まで現状のままということになる。本当にこういう形での個人の意見が反映されるのかどうかこれからの総務省の対応が気になる。

9月6日 (月)
先週、友人からミウラート・ヴィレッジ(三浦工業の美術館)で開催中の 『岡本太郎展』 へ行こうと誘われたので今日出かける。
意外な人(長年の付き合いだが美術展など無縁の人と思っていた)から意外な企画展への誘いなので驚いている。岡本太郎が大好きらしい。
私自身、岡本太郎の作品は大阪千里の万博会場跡の太陽の塔だけしか見たことがないので(それも高速道路から)行ってもいいかな・・・くらい。
生前、テレビで『爆発だ〜〜!』なんて馬鹿っぽい事をしていたのであまり好きになれずにいる。
先日の土曜日、テレビを見ていると女優山口智子さんが岡本太郎の書いた旅行記、その中の写真が大好きで、今、山口智子さん自身国内旅行にはまっていると話されていた。私も今日、岡本太郎展で山口智子さんの言っていた本も同時販売していたら数冊買ってこよう、とそれも楽しみの一つにしている。
岡本太郎の作品は美術館内、外に展示されていて見ごたえがあるらしい。

9月5日 (日)
昨日は同居人の知り合いのお見舞いに松山まで出かけた。出かけたついでに小田方面までドライブしようという事になる。R33からR379を通って広田へ。そういえばこのR379砥部⇔小田線は今年の1月新しくオープンしたスキー場『サラガドーレ・プラーナ』へ行った時以来久しぶりの道。いつもはさっと通り抜ける道だが昨日は気ままなドライブ。砥部にある伊予ダム、広田の仙波渓谷などへ寄り道しながら小さい秋を探す。広田では栗がたわわに実り、彼岸花もチラホラ。稲穂も今刈入れ時期で黄金色に輝いている。深い山あいから少しだけ見える狭い青空。そんな閑静な道をドライブしていると思わずシューベルトのセレナーデが自然と口をついて出てくる。小田まで行かず途中広田からR42で久万へ。R42沿いは静かで趣があっていいルートだ。初めて通った。
どうせ田舎に住むならこんな風情のある田舎に住んでみたい・・・
シューベルトのセレナーデは『冬のソナタ』『秋の童話』に継ぐ、四季バージョン『夏の香り』のテーマソングである。最近見終わったので美しい景色を見ると自然に口ずさんでいる。
今日からBGMもシューベルトのセレナーデにしてみた。もちろんドラマで聞いていたのとは演奏がだいぶん違うが・・・


9月4日 (土)
蛇、ミミズ、やもり、蜘蛛←気持ち悪くて私の嫌いな生き物
田舎に住んでいるとこれらとは仕方なく共存という事になる。
今、蜘蛛が家の外も、中も大氾濫。
庭に一歩出ればジョウロウグモの張り巡らした巣に引っかかるし、家の中は脱皮を繰り返し体調10センチくらいに成長した足の長い胴体の太いオオグモがどこかしこといるし〜
今朝も電気をつけるとパソコンと隣り合わせの壁にオオグモがじっとしている。危害を加えるわけではないが、このつぶやきを書こうとしているキーボードの20センチ近くにこんなオオグモがじっとしていると気持ち悪くて気になって仕方ない。そこで竹製の長い菜箸で蜘蛛の足を掴んで家の外へ出そうと試みたがやっぱり蜘蛛の逃げ足のほうが早くパソコンの裏側に逃げた。(以前一度この方法で成功した事がある)
お風呂へ入ろうとすると風呂場の壁にオオグモ。追い出そうとしても風呂場の壁を逃げ回るだけで外へ出ないので結局私が身を小さくして蜘蛛の顔を見ながら浴槽の中で息を潜めている。
家の中は蜘蛛の抜け殻もふわふわしているし・・・
私はやっぱり田舎暮らしは向いてないな。なんて思いながら25年もここで生活している。

9月3日 (金)
先日、高縄山頂あたりから昇った十五夜がきれかった。
デジカメで撮影してみる。今までお月さんもたびたび撮ってみたけれど三脚なしでズームで撮影していたので手ぶれしてまともな写真が撮れたことがない。そこで、車庫の屋上の手すりにカメラを固定して光学ズーム3倍で撮影。パソコンで見てみると手ぶれなしで本当に真ん丸く写っているので自分でビックリ。光学3倍ズームだから月はとても小さく写っていて、フォト加工ソフトで月を拡大して切り取る。コレが出来上がった写真。
夜の撮影でカメラの機能設定が見えず、デジタルズームで撮影できなかったのが残念。そういえば先日の花火の日、カメラマンは懐中電灯で照らしながらカメラの機能を触っていた気がする。
そこでお勉強・・・エプソンのHPより拝借
デジカメのズーム機能には「光学ズーム」と「デジタルズーム」がある。光学ズームはフィルムカメラと同じように、レンズを操作することで被写体を拡大していく方式。それに対し、デジタルズームは、光学レンズで得られた本来の画像を、デジタル処理を行うことでさらに拡大できる機能。 画像の低下を伴うものの、よりアップで撮りたい場合は有効的。
 デジタルズームは、光学ズームでは撮影できないほど遠方の被写体を撮影する際、それを補助する目的で使われることが多いため、通常は「OFF」の設定になっている。デジタルズームを使うときは、カメラの機能設定で、これを「ON」にしよう。

9月2日 (木)
昨日、帰省中のお嬢さんがジグマという蜂に刺されたというメールを頂いた。刺されたときは軽いショック症状を起こしたとの事。
私も蜂に二度刺された。
最もジグマという、さも怖そうな蜂ではなくかわいいあしなが蜂だけど。
子どもの頃、チョウが大好きで、夏休みは毎日、網と虫かごと注射器を持って昆虫採集に出かけていた。自転車に乗り同級生の古味君(この人はなぜか昆虫採集のときだけの友達)と二人でちょっと遠くの山へせっせと出かけていた。そこであしなが蜂にやられたのである。手を刺され、手の先から肩口までみるみる間に真っ赤にパンパンに膨れ上がり、あわてて家へ帰りすぐに病院へ。直径2センチ長さ20センチくらいの大きな注射器でゆっくりと身体に薬を入れていると、腫れが瞬く間に引きすぐにケロリ。
二度目は年頃の娘になってから。お風呂から出てパジャマを着ていると背中が強烈にチクッ!みてみるとなんとパジャマの中にあしなが蜂。鏡の前で化粧水をつけていると顔がみるみる腫れてきてお岩さん状態。慌てた父が私を車に乗せ外科へ。夜が遅かったので当然病院は閉まっていたが、父の執念で先生が出てきてくれ、そこでも大きな注射をしてもらう。薬の威力はすごいもので自宅に帰った頃は腫れもすべり、蜂に刺された痕がぽつんと残っているだけ。いまだに注射の名前はわからないが毒を中和する薬でも入っていたのだろうか。
昆虫採集の折、ミツバチの巣を誤ってつついたためミツバチの集団に追いかけられた事もある。そうとう走って逃げたがしつこいほど追いかけられた。ミツバチの集団もバカにできない。
隣の家のおじさんが「○○ちゃ〜ん、網もっておいで〜〜」私はすぐに網と注射器を持ってとんで行く。胴体がころっとしていて真っ黒いクマ蜂を捕獲。網の上からブチュと注射。
蜂に刺されたという昨日のメールから子どもの頃の元気な夏休みを思い出し、当時のかわいいshizukagozenにひとりでニンマリ!
M・Kさん、「蜂に刺されて痒さのため娘そのものが蜂状態」というお嬢さん、お大事にね・・・

9月1日 (水)
昨夜は十五夜。高縄山頂附近から真ん丸いお月さんが昇る。夜風はすっかり秋の気配で日中の暑さがウソのよう・・・
私どもの組内のお嬢さんの結婚が10月に決まり、大安の今日、組の皆で揃ってご自宅へお祝いに出かける。
これから結婚する人もいればとうにトウがたった私のような人間もいる。
そこでちょっと悪妻度チェックをしてみる。
なるほど、すごい結果が出ましたワ!