2004年8月つぶやき・・・


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2004年
8月31日 (火)
台風16号、昨夜7時ごろから暴風域に突入。周りにさえぎるものがないのでまほこにぶち当たる暴風雨にただひたすら耐えていた我家。
南側の雨戸に大粒の雨の叩きつける音。庭の大木も大きく揺れているのが気配でわかる。やがて風向が変わったのか裏である北側にずらっと並んだ樫やヤマモモの木も暴風に翻弄されはじめ、家全体が台風の風になすすべもなく立ちすくんでいる気配。
10年前バリ島で買ったすずめ脅しがカラカラカラカラと強風でけたたましく鳴る。我家はリキと二人っきり。壁一枚隔て、外にいるリキに「リキ我慢よ!もうすぐ台風行くからね」と何度も声を掛ける。最初は台風のあまりのすごさに家の被害等でまた困った事になると悩んでいたが、一人でまだ起こったわけではない被害に悩むのがだんだん馬鹿らしく「もうどうでもいい。その時はその時のこと」なんて居直ってから気が楽になる。
10時過ぎローカルバスも北条線だけ運休になったとかでタクシーで同居人の帰宅。やはりバス路線である海岸沿い(粟井坂)は高潮で通行止めになっていたそう。
昨夜5〜6時間暴風にさらされ風の音を聞いているだけで疲れきった。
先ほど外も少し白んできたので家の周囲を点検してみると瓦も飛んでなく、家自体には被害もなくほっとしているが、辺りに散乱した木々の小枝や葉などの掃除に取り掛からなければ・・・
今日で8月も最後。ここらあたりの子ども達の夏休みも終わり。

8月30日 (月)
大型で強い台風16号。
九州から朝鮮半島へ抜けるかと思っていたら、くるっと向きを変え四国へまっしぐら。速度が遅いので今日から明日にかけ台風の真っ只中にいなければいけない。
先ほど(AM7:00)数年ぶりに家の雨戸を閉め、台風に備えた。
T先生より雷によるパソコン被害のメールも届いていたりして、気が気じゃない。
今年は台風の当たり年と言っていたけどひどすぎる〜〜〜。
先日もM・Kさんとメールで刈入れ間近の稲の心配をし合ったが自然と向き合う職業はこういうときお手上げだ。

8月29日 (日)
きのうの続き
あーちゃのHPで『天使のWEB検索』を知った。
生まれながらに障害を持った子ども達のHP。
その中でクレチン症の子どものHPをみかけた。
忘れようにも忘れられない病名、クレチン症(先天性甲状腺機能低下症)。
平成10年娘に第一子が生まれた。生まれた時から体重も少なく黄疸もひどく(血液型母親O型父親A型)、痛々しい子だった。あまり体重増加もしないので玉川のじいちゃん(婿のお父さん)が心配して「毎日体重を計るように」と言ってベビー用の体重計を買ってきた。そんなこんなで実家で産後を過ごしていた娘のもとに出産した総合病院から電話。生後5日目に赤ちゃんの踵から採血した検査結果に異常があったこと、再検査にすぐ病院へ連れてくること。
病院で「クレチン症の疑いがある。」と言われ再検査。
再検査の結果が出るまでクレチン症について徹底的に調べた。
もし、クレチン症だったら・・・そう思うと娘と生まれたばかりの孫が不憫で、おばあちゃんとなった私は娘や孫と共に一生病気と向かい合おうと一大決心までした。病院の先生にも詳しくクレチン症の説明を受ける。
検査結果は陽性になったり陰性になったり不安定な状態だったが数回の検査の結果、結局はクレチン症の疑いは完全に消え、生後3ヶ月目ころほっと胸をなでおろした。
自分の孫でこういう経験があるから、生まれながらの障害児のことは人ごととは思えず、真剣に『天使のWEB検索』を読んだ。
障害と向かい合っている人のなんと多い事。何とか頑張ってほしいとかげながらエールを送った!
クレチン症の疑いで命が縮むほど心配した孫
のゆうきくんも元気で来月6歳の誕生日を迎える。

8月28日 (土)
先日T先生からのメールで、日テレの24時間テレビに出演した中途障害児あーちゃ(あすみちゃん、現在13歳)の事を知った。あーちゃのお母さんの作っているHPもあり先生も興味深く読んだとの事。
私も早速そのHPを見てみる。
5歳で中途障害になったあーちゃのこと、あーちゃママの心の葛藤など。
隅々までHPを見させていただき、あーちゃの頑張りとお母さんの心にふれ深い感動を覚えた。特にお母さんの手記は涙ながらに読んだ。
中途障害・・・
健康体で生まれた子どもが病気や事故で障害を持つようになる。
私も3人の子どもを育てて来たが、その過程で何度も危機があった。
度々の40度を超える高熱、2度の骨折、自転車事故、自動車事故、薄いガラス戸に頭から突っ込みもう少しで首の動脈を切る寸前などなど・・・たまたま運がよく大きな障害にもならずなんとか無事育った事は今まで当たり前のように思ってきたが、本当は奇跡に近いことだったのかもわからない。
そんなことを思いながらHPを読まさせていただいた。
あーちゃママは今でもあーちゃが中途障害になった事で自分自身を責めている。自分を責めながらあーちゃのことで、できる限りの最大の努力をしている。そのけなげな姿がたまらなく、近くにいたら同じ母親の立場であーちゃママを優しく抱きしめてあげたいとさえ思う。
あーちゃママのHPです。
Step step step !

8月27日 (金)
一昨日のつぶやきで月下美人の木の高さを2メートル以上と書いたが実際には3メートル近い巨木。まあ手入れもせず伸び放題というところ。
我家にはもう一鉢、始末に終えないほど伸び放題の観葉植物がある。私が今から17、8年以上前3800円で購入した鉢植え。そのときは高さが1メートル位の上品な観葉植物だった。それが次々と葉を出し、茎が伸び根が伸び今では高さ5メートル以上。吹き抜けの玄関の天井に後2メートル弱で届いてしまう。初めて我家を訪問するおおかたの人がジャングルのような玄関に驚く。
この観葉植物の事を年に一度お札を届けてくれる神主さんは「奥さんとの相性がいいのでしょう。」と同じ言葉で毎年ほめてくれる?
そっか、私との相性がいいのか!
それはそうだ、表面の土の乾燥具合で水をやるタイミングが季節によって、私にははっきりわかる。もうわが子も同然だ。
だが植物にも寿命がある。そのときが来たら月下美人も、この室内の観葉植物も2世が同居人の妹宅ですくすくと元気よく育っているので、それを分けてもらい3世としてまた育てなおそうか。
アルゼンチンのイグアス滝近くのジャングルに行ったときうちの観葉植物と同じものが大きな葉を茂らせて他の木に絡まり生い茂っていた。やっぱりこの植物の原産はジャングルだったんだ。
残念な事にいまだこの植物の名前を知らず。
こんな植物です。名前をご存知の方教えてください。

8月26日 (木)
今、韓国ドラマ 『ロマンス』 をDVDで見ている。
高校女性教師と高3男子生徒の純愛ドラマ。その中で高校生の会話の中に「ニルヴァーナ」が度々出てくる。
アメリカのロックグループの名前である。
この名前を聞いてそうとう懐かしかった。長男が高校生の頃、ニルヴァーナにはまっていた。私の車の助手席に乗せると必ずこのカセットを入れて、車内はガンガンのロックで充満していた。うるさいとも言えず私もだまって聴いていた。慣れとは不思議で激しくてちょっと憂いを帯びたニルヴァーナのロックを私自身だんだん楽しんで聴くようになった。その当時人気だったもっとハードなメタリカの曲もよく聞かされた。ロックにはまっていた息子はベースやギター、ドラム、アンプなども購入し、本格的に自分の部屋でガンガンやっていた。あれからもう10年くらいが経つ。ロックの息子も今はお盆にも忙しくて帰省できないほど仕事をする普通のサラリーマンになっている。
昨夜はインターネットで「ニルヴァーナ」を検索し、久しぶりにロックを聴く。
車の助手席に息子を乗せニルヴァーナを聴きながらいろいろな事を話し合ったあの当時の事が頭をよぎり懐かしさで涙がじわ〜り。

8月25日 (水)
月下美人が今年2度目の開花。
今年最初の開花は7月20日。3個。残念ながら私は信州旅行中で留守。せっかくの開花を誰にも見てもらうことなく花の命を終えていた。
昨夜は10個が開花。PM8:00 リキの妙な鳴き声。毎年月下美人の強烈な芳香が漂い始めると何故か「ウォ〜〜〜ン」と妙な鳴き声を発する。好きな香りか嫌いな香りかリキに聞けるものなら聞いてみたいものだ。
ー1996年8月2日ー
我家で月下美人が始めて咲いた。主人は単身赴任中で気楽なひとり住まいの生活を送っていた私はその日友人と夕食に出かけていた。8時過ぎ真っ暗な玄関に一歩足を踏み入れあまりのむせ返るようなすごい匂いに(香りというには強すぎた)「なに、これ!」とあわてて電気をつける。まだ小さい月下美人の鉢に大きな花が二輪。たった二輪の花が誇らしげに自分の存在を撒き散らしていた。話にはよく聞く純白の月下美人の花を私がはじめて目の当たりにした日。聞きしに勝る美しさに一人惚れ惚れと夜中まで眺める。
ー1999年7月17日ー
月下美人の木も勢いよく大きくなり一度に13個蕾をつけた。開花の日がちょうど休日と重なったので皆さんに見て頂きたくて、月下美人を仰々しく座敷に上げ15人ほどで『月下美人を観る会』を開いたりもした。
現在月下美人の鉢も2メートルをゆうに超え、年数回に分けて合計50個以上の花をつける。

※我家の月下美人いろいろ 『寄り道 植物編 月下美人より』

8月24日 (火)
昨日の事。
夕食の準備もでき、同居人の帰宅を待つのみの状態になりほっと一息ついていた6時過ぎいきなり大きな雷鳴とともに停電。
外はまだ明るかったが、家の中はもう薄暗くろうそくの明かりを3箇所ともす。テレビも消え、冷蔵庫のモーター音もなく静寂のひととき。する事もなくただひたすら同居人の帰りを待つ。6時半過ぎ、同居人の帰宅。
お互いの声で薄暗くって静かだった家の中が急に活気づく。
エアコンも切れた室内は蒸し暑く、さっさと食事を済ませ二人で外へ出てみる。なんと高縄山に虹。あわててカメラを取りに家の中へ。二人で車庫の屋上に上がり、同居人が傘をさし掛けてくれ虹を撮影する。虹が近すぎて大きすぎる。全景の撮影は無理。夕日の落ちかけた西の空も異様にきれい。何枚か撮影。
やがて外も真っ暗になり家の中に入る。
ろうそくの明かりが3個ボーっと、部屋を照らしている。
明かりはこのままでいいんだけど冷蔵庫の中、びっしりと詰まった冷凍食品が気になる。「早く電気が復旧してくれないと大変!」と急に所帯じみた考えが湧く。
8時45分電気がつく。2時間半以上の長い停電だった。

8月23日 (月)
今朝は3時までマラソンを見た。
正直金メダルは期待してなかったが、小柄な野口みずき選手が見事手に入れてくれた。高橋尚子選手のような華はなかったがはがねのような鋭く柔軟な脚力は見ているだけで小気味よかった。アテネの夕日に顔を染めながら、また時にはアテネの夕日のスポットに包まれながら、野口選手はただ優勝だけ目指して走っていたに違いない。野口選手の傍らを駆け抜けるオリンピック発祥の地アテネの街並も夕日に染まり美しかった。
新たなヒーロー誕生の瞬間に立ち会えて今朝の滑り出しは上々。

8月22日 (日)
もう朝の6時だというのに外は明けきらないほの暗さ。
空気も水分をたくさん含みじっとりと肌にまといついてくる。
愛媛は午後から雨になるそう。甲子園は曇り。
今日は夏の全国高校野球大会最終日。午後からは最終日まで勝ち進んだ済美高校の野球の応援をしよう。
夏の高校野球が終わると毎年一抹の淋しさがただよう。
季節が秋にうつろい始めるからだろうか・・・
昨夜は屋外はもう秋風だった。海の心地よい潮風に当たりながら埠頭で花火見物。私のデジカメで、それも三脚なしで花火を撮るのは相当難しい。埠頭には三脚をすえて撮影する大勢のカメラマンもいたがたくさんの人出の中でのかさばる三脚使用は端から見ると迷惑至極。最近カメラマンのマナー云々が取りざたされる事が多いがそういう話を聞くにつけもうすぐ一眼レフのデジカメを持つであろう私もマナーに気をつけなければと思う。

8月21日 (土)
オリンピック応援?のため連日午前2時位までTVに釘付け。
が、昨夜はとうとう睡魔が襲ってきて女子柔道の78キロ超級塚田、男子柔道100キロ超級鈴木、女子水泳800m自由形柴田の金メダル獲得の瞬間を見逃してしまい、残念!
まあ、日中何度もテレビで再放送するのだから何もリアルタイムで見る必要もないのだが・・・
台風15号も四国に大雨の被害をもたらし東北地方では収穫前の果樹園を強襲、南から北まで日本中をかき混ぜながら消滅していった。
今日は台風10号のため7月31日より延期となっていた『風早海まつり』。
娘や孫たちも花火見物のため泊りがけで遊びにやって来る。
またまたにぎやかな一日になりそうだ。
さあ、今夜は孫達に何を作って食べさせようか!
レパートリーの少ない主婦としてはこのことがちょっと重荷である。

8月20日 (金)
田植えをしてからちょうど2ヶ月。
稲もだいぶん伸びて、昨日の早朝から遠くですずめ威しの空砲が聞こえ始めた。あと1ヶ月ちょっとで収穫を向かえることになる。
どの家のあちこちの田んぼにもそろそろ案山子などおでましして本格的にすずめやカラス対策が始まる。
私の家から車でわずか10分ほど山の方へ行くとそこはすずめやカラスの被害どころではないようだ。その近くに住んでいらっしゃるM・Kさんより先日メールを頂いた。
『最近、田畑に猪が出ています。収穫まじかの稲に被害が出ないよう、トラハサミやワイヤー、電柵、ガス鉄砲等、人間と猪の知恵比べです。』
このように猪による被害で、その対策を講じるのに一苦労のようだ。
とにかく無事収穫を迎えるようになるのは並大抵ではない。

8月19日 (木)
きのうのつぶやきの続き…
昨日のHPと時期を前後してネットサーフィンでたどりついたHP『天気草』。
またまた、やるせないHPだった。
「まだ幼い子供たちのことを思って、下の子が成人するまで後10年、生かして下さいと、主治医に手紙を書いてもいた。・・・・しかしそれらの願いもむなしく、平成14年、妻はどこかぼくたちの手の届かないところに、旅立っていった。」とHP作成者であるご主人さんは綴っている。
HP作成者加藤幸一さんは奥さん亡き後、ガン闘病記『天気草』、奥さんへの想いを『天気草日録』という2冊の本にして残された。
HP上で偶然にも同じような病気で家族に心を残しながら旅立って逝った若い二人の女性に出会い、これも何かの縁とこの2つのHPを『お気に入り』に追加した。
これらのHPを何故か時々開けてみたくなるのは一体何のなせる業だろうか?2つのHPは今でもお気に入りから消せないでいる。

8月18日 (水)
昨年の事、ネットサーフィンで、あるHPにたどり着いた。
ふわっとした感じのHPで、清潔さとデリケートな雰囲気を持ち合わせたなんとなく気になるHPだった。ご主人さん運転の車で南房総千倉の海をドライブした写真も、曇り空の海の暗〜い写真。 「あえて、暗いままで載せました。ありのままが好きだから」 とコメントしてある。
そのHPを次々と開いていると驚いた。突然 「○○の夫です。7月17日は○○の1周忌でした。大切な日々が過ぎていきますね。私達、残された親子もようやく心の整理がつき始めました。 時間って、本当に、とても大切なものなのですね!・・・・」 とご主人さんのメッセージ。そのHPは2001年から更新されていない。このHPを通して、若くして亡くなった一人の女性の人生を垣間見たようで心が疼いた。HPはこういう悲しみも、運んでくるのだ。

8月17日 (火)
お盆も終わり、やっと平常の生活に戻った。
オリンピック、高校野球とテレビに釘付けの人もまだまだ多いんだろうな。
高校野球も愛媛の代表・済美高校が昨日も順調に勝ち進み愛媛の高校野球ファンにはますますたまらない夏となりそう。
済美高校野球部の副部長をされている林先生はお寺の息子で僧侶。私の里はそのお寺の壇家である。14日に林先生のお父様がお盆のお経を上げに来てくださったとき、息子さんが今年は甲子園に付きっ切りで、お寺を手伝うことができないので一人で檀家回りをしているとお話されていた。汗を拭き拭き一人でたくさんの檀家回りを頑張った林先生のお父様のためにも是非是非春夏制覇という偉大な目標を達成してもらいたいものだ。

8月16日 (月)
オリンピックも開幕し、深夜もテレビに釘づけで疲れる事この上ない。
昨夜は(といっても今日の早朝になるのだが)福原 愛ちゃんの卓球シングル女子2回戦をみた。2回戦だが愛ちゃんは初戦だった。初めてのオリンピックの大舞台での試合。15歳の愛ちゃんは2セットを相手選手に簡単に奪われる。幼い時、試合に負けて泣く愛ちゃんをテレビで度々見てきたものだから、愛ちゃんの表情が今にも泣き出しそうで、はらはらする。だが愛ちゃんはとてつもなく大きな人物に成長していた。3セット目も相手選手優勢で試合が進められたのだが数回のラリーで得点に結びついたときなど、女性らしい控えめな小さいガッツポーズも度々出て“やっと”という感じで3セット目を制す。その後だんだん愛ちゃんらしさがでてきて、本当に接戦だったがフルゲームの末、やっとオリンピックの初勝利を手に入れた。1988年卓球がオリンピック正式種目に採り上げられた年に誕生した愛ちゃん。3歳から卓球をはじめ、愛らしい姿をテレビで何度も拝見し、一視聴者として成長を楽しんできた。ご両親の熱心な援助のもと、あの幼かった愛ちゃんが大輪の花を咲かせた。「夢の夢の夢」と愛ちゃんがいい続けたオリンピックの舞台。愛ちゃんの初勝利は我が事のように嬉しかった。
しかし、どんな子育てをすればわずか3歳にして目標を持ち、夢を実現させるような大人に成長させる事ができるのだろうかと、子育てをすでに終えた私は親御さんの方により興味が湧いた。

「ほっとしました」 愛ちゃんのオリンピック初勝利の言葉。

8月15日 (日)
私の大好きな曲 さだ まさしの “精霊流し(しょうろうながし)”
♪去年のあなたの想い出が テープレコーダーからこぼれています ・・・・線香花火が見えますか 空の上から・・・♪
いまだかつてこの歌を完全に歌えたことがない。テープレコーダーからこぼれてきます…のあたりから胸が詰まって歌えなくなる。
今日15日はご先祖様の霊を送るとうろう流しをするところが多いと聞く。長崎では精霊流しというらしいが、長崎の精霊流しは長崎県出身のさだまさしの歌の世界のように静かに繰り広げられるのかと思っていたら、なんと爆竹と豪勢な精霊舟でにぎやかなこと。歌のイメージとかけ離れすぎて少しがっかりしている。
むしろ北条市の夏祭りと合わせて行われる鹿島海上のとうろう流しの方がよりさだまさしの歌の世界に近い。北条にきて、始めてこのとうろう流しを見たとき、群青色の海面にろうそくの灯をゆらゆらさせながら潮流にのりゆったりとはるか沖の彼方に向かって流れていく無数のとうろうの風情がせつなくて物悲しく、まさにさだまさしの精霊流しの世界を彷彿とさせた。今年もいろいろな人の想いをのせて精霊流しがはじまることだろう。

8月14日 (土)
12日に松山市の、あるお宅へ新盆見舞いに行った。その家で詳しく松山の新盆のことを聞いてみた。
〜7月の末にお坊さんが 『明かりともしのお経』 をあげに来てくれたらしい。それから軒下に盆提灯を下げて新仏さんのお帰りを待つ。新盆見舞いは12日までに、というようなことらしい〜
昨年晩秋、ご主人さんを亡くされた奥さんは、今なお傷心の日々を送っている様子が面やつれした顔から伺えた。訪問中二度も、「来てくれて嬉しかった」と言って下さる。その言葉を聞いて私も新盆見舞いに伺ってよかったと心底思う。
嬉しいときはこの人のように言葉に出して素直に「嬉しい!」と言おう。
いい言葉を教わった。
今日は三軒のお墓参り。夕食は里で大勢で焼肉パーティー。多分20人近い人数が集まる事になる。今のところ皆元気で、にぎやかにできるという事はありがたいことだ!

今年の6月6日にHPのカウンターを設置してから2ヶ月あまり。たくさんの方に訪問して頂いております。貴重なお時間を割いてご覧頂き本当に有難いことです。今日か明日、カウンターの数が1000に届きそうです。私にとって、記念の1000カウンターにご訪問いただいた方、お手数とは思いますが是非メールなどいただけたら嬉しいのですが。よろしくお願いします♪

8月13日 (金)
今、日付を打っていて気づいた。今日は13日の金曜日なんだ。
映画 『13日の金曜日』 のチェーンソーを持った怖ーいジェイソンをついつい思い浮かべてしまう。20年くらい前の一番怖かった映画.。
今から20年くらい前のことで、そのときに一緒だった人はその日の出来事をよく覚えているのに私だけがすっかり忘れている事があった。
当事、某会社の松山の社宅住まいだったayamiちゃん宅へ妹と久しぶりに遊びに行った日のこと。
妹は出してくれた食事まで覚えていた。
私は行った事すら覚えてない。
その日、久々に会った私のことをayamiちゃんが友人のTさんに話したらしい。「shizukagozenはちっとも変わってなかった。髪形も前のままだった。」
Tさんはayamiちゃんが話したこの言葉を20年後の今でも覚えているというのに、行った当人はすっかり忘れていた。
「皆が覚えているのに私はすっかり忘れてしまってどうした事でしょう。ごめん。」と先日メールを送った。今朝メールを開くとayamiちゃんから「あの当時は忙しかったのでしょう。」と優しいメールが届いていた。
「ayamiちゃんゴメンネ。20年前確かに忙しかったんだけど映画 『13日の金曜日』 のジェイソンの事はしっかり覚えてた。」
この文中に出てきたayamiちゃんとTさんは現在神戸の芦屋住まい。
田舎住まいのshizukagozenとは雲泥の差のある優雅な生活を送っているようだ。芦屋ってどんなところだろう。ayamiちゃんは今や芦屋夫人なんだ。いつか遊びに行くからね!

暑さのせいか、脳の老化のせいか支離滅裂のわかりにくい文章になってしまった。

8月12日 (木)
今日は新盆見舞いに松山へ。
新盆も所によりしきたりが違うらしく、松山は8月の盆月に入るとすぐ新盆の人の精霊をお迎えするようだ。平成8年、里の母の新盆の時も7月末には祭壇(盆棚)を整え新盆の準備ができていた。8月に入った途端、新盆見舞いの人が次々と訪れてくれ、結局8月16日のお盆の明けの日まで家を開ける事ができず、里の妹が「盆月は家を留守にできない」とこぼしていたような気がする。
義父の新盆のとき、私も盆月の1日から祭壇(盆棚)の準備をして来客を毎日待っていたが、いっこうに訪問がない。それが13日のお盆の入りの日になると結構早朝からどっと、という感じで新盆見舞いに来てくださりビックリした。ここ北条では新盆見舞いも通常のお盆と同じく8月13日から16日の間のようだ。
松山の新盆見舞いは8月1日から12日までらしく、一応新仏さんとそうでない仏さんの区別をつけているようだ。
これも私の知っている範囲の事だから同じ松山・同じ北条でもまた異なるお迎えの仕方をするのかもわからない。

8月11日 (水)
スカーフが好き!
コレクションというほどでもないが独身時代から気に入ったものを買い求めているうちにいつの間にか100枚を超えるスカーフが手元に集まっている。そのスカーフ一枚一枚の買った場所、値段、使用した時の状況・服装等だいたい覚えているからこの点はすごい記憶力だと感心する。値段は1000円から75000円くらいまでかなり格差があるが、私にとってこの値段の差は関係ない。すべてが自分の好みで収集されたものだから愛着は同じ。
新婚旅行の時、オーダーのスーツに合わせて選んだ中判のスカーフなど今でもそうとう気に入っているがあの当事と肌のはり、透明感が違うから当然顔映りも変わって、今は収納ケースの一番下に思い出の一枚として眠っている。
夏用、冬用、ちょっと流行のちがうもの、と3つの収納ケースに分けて整理しているのだがいずれも窮屈そうで押しつぶされたスカーフがかわいそうだなと常日頃思っている。
先日友人の誕生日プレゼントを購入するために輸入雑貨のコーナーへ立ち寄ると真っ先に目に飛び込んできたチェストがあった。シックなグリーンのリーフが描かれたネコ足の3段のチェスト。ゆったりした引き出しを開けて、「ここにスカーフを並べたらスカーフたちが生き返るだろうな」 と想像をめぐらしたが、自分の残りの人生の年月を計算したとき、このチェストもこれからの私に不用なものかもわからないと、購入を断念。
そう、最近身辺整理ということをよく考えるようになった。
気は乙女心を充分に持っているのだが、頭の中は残りの人生を計算しながら生きている。

8月10日 (火)
5日前Wordを実に10ヶ月ぶりに開いて使用した。
昨年の今頃はWord2002とExcel2002のMOUSの資格を取ろうと頑張って勉強していた。Wordは自主学習しながらテスト問題でわからないところだけ先生に聞いてマスターした。Excelは教材本を買って応用まできっちり勉強してテスト問題に入った。
テストの点数も合格点に充分達していたが受験には至らなかったのだが。
またWordは広告やパンフレットを参考にまったく同じに制作していくという練習を積み重ね、自分でも驚くほど進歩をした。
それほど自信のあったWordはHP作りに専念し始めた昨年11月くらいからまったく使う機会をなくしていた。5日前にざっとした料理のレシピを1枚制作するために久々にWordを開き、制作する。さわり始めて驚いた。10ヶ月という歳月はWordを忘れかけるのに充分な歳月だったようだ。まあ、使い始めるとじわじわ思い出してレシピは無事完成したのだが、この歳になると頭の中も猿以下で繰り返して勉強するということの大事さを痛感した。
Excelで表をつくり点数と間違った箇所にコメントをつけて管理していた。頑張っていたんだなとこれを久々に見て自分で感心する。
さあ、今日はT先生と2週間ぶりにお勉強。何か新しい発見はあるだろうか?楽しみだ!


8月9日 (月)
頭の中にこびりついている光景
30年以上前、有吉佐和子の 『紀ノ川』 を読んだ。本の内容などすっかり忘れているのだがその中で主人公が生卵を飲むシーン。これが忘れられない。珊瑚のかんざしを抜き、卵の尖っているほうをかんざしの先で薄い膜を破らないように殻の部分だけをつついて砕き、その後指先で膜を取り除き、顎をあげて中味を吸い取る。これをあのシーンを読んでからずーっとしてみたいと思うのだが風流な珊瑚のかんざしなど頭にさしてないのでできない。私の脳は殻を砕くのは絶対珊瑚のかんざしでないと駄目とインプットされている。
子どものころ、夏休みになると毎日泳ぎに行く池があった。道中、幅30センチくらいのきれいな水がたっぷり流れている小川があって、その川でおばさんがかぼちゃの種を指先でごそっとかきだしていた。一度にごそっと気持ちいいくらいにかぼちゃの種がとれ、ぷかぷかと流れていった。横目で見ながら通る私もなんかすっきり。やがて自分が主婦になって、かぼちゃの種をスプーンでチマチマすくい出しているとき必ずあの光景があの日のままで思い浮かぶから大変。かぼちゃ料理をした回数分思い出した事になる。これからもそれがずっと続くと思うと気が重い。
ずーっと覚えてないといけない事は忘れるのに、どうでもいいことが死ぬまで頭の中についてくると思うと人間の脳も厄介だ。
あなたも死ぬまで引きずっていきそうな光景ありますか?

8月8日 (日)
メル友Y・Kさんのメール。感動したのでほんの少し紹介。
『長男夫婦が帰ってくるので、ペアのパジャマを作りました。四年前から帰るたびに作っております。嫁は最初は手作りのパジャマに感動していましたが、今ではあてにしているようです』
こんなに思いやりのあるお姑さんがいるのかと驚きました。
これならお嫁さんも喜んで遠くからでも帰ってくることでしょう。こんな素敵なお母さんにめぐり会えたお嫁さんはとってもラッキーですね。

メル友のY・Kさんとは2年ほど前、日赤リウマチセンターHP上で知り合い、個人的にリウマチの情報交換をするようになりました。お互いの事だいたい知りつくしていますが、まだお顔を見たことがありません。
私のパソコンが壊れてメールアドレスがわからなくなったとき初めて電話でお声だけ聞くことができました。会おうと思えば松山市内在住ですからすぐ会えるのですが、あえて今の関係を続けています。去年の秋、一度だけ旅行中の私の写真を送りました。「こんな顔、どこかで見かけたら声をかけて下さい。」とメッセージを添えて。

8月7日 (土)
4年前の夏、近所の3夫婦で呉松山フェリー主催のチャーター船を利用して尾道へ花火見物に行く。とても楽しかったので翌年も同じメンバー、同じ船で今治おんまく花火大会へ。花火の火の粉が降りかかるくらいの近さで、それも特等席で(立ち入り禁止の場所を船員さんが私たち6人のために明け渡してくれた)海上より花火を見る。その翌年(去年になる)も今度はJAF主催で同じチャーター船に乗り今治の花火大会へ行く事に。あいにく、花火大会直前に一組のご主人さんが体調を壊し急遽別メンバーが加わっての花火見物となる。
3夫婦揃っての楽しい花火見物、いつまでも続くと思っていた。
いつどのようになるかわからないのが人の健康。やっぱりその時その時を大切に過ごし、いい思い出をいっぱい作らなければとつくづく感じている今日この頃である。
お月見には芋炊きしたり、西条のビール園までジンギスカン食べに行ったり、クリスマス頃には梅錦ガーデンでイルミネーションを見ながらのお食事会をしたり・・・
叶うことならもっともっと3夫婦の思い出を重ねたい!

8月6日 (金)
最近、T先生にお借りしている韓国ドラマ 『秘密』(字幕) のDVDを時間の許す限り見ている。ちょっとはまってしまった。登場人物の声がいい。話し方がいい。興奮したり甲高い声で早口のしゃべりの時はイタリア語のように聞こえ、その反対に、落ちついた物静かな語りの時はまるでフランス映画の世界に入り込んだような錯覚がおきる。イントネーションがフランス語に似ているのだ(すみません、フランス語は知りません。私が勝手に想像するフランス語です)。とにかくフランス語のような韓国語が非常に心地よく、韓国ドラマの世界に浸っている。
心地よいフランス語で思い出す事。エジプトのルクソールで 『カルナック神殿の光のショー』 を見たとき。漆黒の夜空に細い三日月、やがて明かりがともり、光りの中に神殿が厳かに浮かび上がり、トーンの低いフランス語で神殿の物語りが始まる。美しい詩の朗読を聞いているような、耳元でそっとささやくような、そんなフランス語の心地よさにいつの間にかコックリコックリ。そうこうしている内にショーは終わる。ホテルへ帰り、展望バーで旅仲間数人とアルコールを飲みながらくつろいでおしゃべりしているとき、「ショーのときはよくうなずかれていたようですが、フランス語がお分かりなんですね。」と冷やかされ、ちょっと恥ずかし・・・

8月5日 (木)
登場人物がすごい夢
【その一】
石原裕次郎さんと同じ病棟に入院していて、私も裕次郎さんも車椅子。何をおしゃべりしていたのか内容はわからないが、楽しそうに語り合い、とっても仲良しのようだった。
【その二】
美空ひばりさんと河原の土手に座り込んで悩みを聞いてあげていた。財産管理のことで困っていて相談を受けたので、私が 「舛添要一さんにお願いしてあげる」 と言うと、とっても喜んで安心したように 「お願いね」 と頼まれた。この夢は割合長い夢で、ひばりさんがしみじみと身辺の悩みを打ち明けていた。(舛添さんは松山空港福岡行きの待合室で私と向かい合って座った事がある。色が黒くて精悍なかっこいい男性だった。そのせいで舛添さんの名前が出たのかな?いまだにひばりさんの財産管理を舛添さんに頼んでない。だって彼は経済専門ではないから、そして・・・夢だから・・・)
【その三】
登山をしていた。私の前には中村敦夫。私の後ろには高倉健。
超豪華な二人を従え楽しそうに山を登っていた。夢から覚めた後も満ち足りた余韻がしばらく尾を引いていた。できたら目を覚ますことなくこのまま山登りを続けていたかった。その日はそんな風に思って一日を過ごした。
(中村敦夫も高倉健も私の好きなタイプではないが夢の中の彼らは特別かっこよかった!)
【その四】
これは私の母が見た夢。俳優・大出 俊がヘリコプターで私を迎えに来て、私は嬉しそうにそれに乗り込んだ。驚いた母が「○○さん(同居人の名前)はどうするんぞね」と聞くと「かまんのよ」といって平然とヘリコプターに乗って行ってしまったそう。母もおかしな人。なんでこんな夢見たのよ。あの当時、結婚記念日も忘れるほど仕事人間だった私に母が私たち夫婦の危機という不安を抱いていたのかも。

※いづれも10年以上前に見た夢。石原裕次郎さんと美空ひばりさんはもう亡くなっていた。今でもなんでこの人たちの夢を見たんだろうと不思議。特定の芸能人に熱をあげたことなど一度もないし、登場した人たちの事考えた事もない私が、なんでだろ〜なんでだろ〜。いづれの人物も私よりかなり年上なのがちょっと気になるところだが。

8月4日 (水)
つながりが面白い!
7月26日の 「つぶやき」 でおいしい手打ちそばを高知県本川村へ食べに行った事、そこで感動する冷酒 「桂月」 に出会った事、その清酒の名前が高知県出身の紀行作家大町桂月に由来している事、などを書いた。
昨日の愛媛新聞朝刊 18 面、「旅で出会う本」 の中で大きな見出しで 「大町桂月」 の名を見かける。
あれっ?と、目に留まったので読んでみるとやっぱりあのお酒と関係のある大町桂月の事だった。
大町桂月という人自体、インターネットで 「桂月」 を調べるまで知らなかったのだから、わずか一週間後に再びこの名前に出くわすことは、わたし的にはこの偶然のつながりが相当面白い、と一人で悦にいっている。
これを機会に大町桂月の紀行文を読んでみようと思っている。
文章は私の大好きな文語体、それも名文とある。
この本読んで、また新たな旅の楽しみを見つけてみよう。
そういえば、今から30年以上前にも、本との出会いから小説の舞台となった地へ旅したことがあったなあ〜。
藤原審爾(ふじわらしんじ)の小説 「秋津温泉」 を読んでそのモデルとなった岡山の奥津温泉へ大の仲良しの友人と3連泊の旅をした。
小説に出てきた場所を訪ね歩くのんびりした旅。
奥津温泉滞在中、ウランの出る人形峠までローカルバスで足を伸ばし、太陽にキラキラ輝く日本海の美しい景色を眺めていると一匹のスズメバチにしつこく追いかけられ、若い娘二人はバッグを振り回しながら「キャーキャー」逃げ回ったなあ〜、なんて今、思い出している。

8月3日 (火)
2002年から2003年にかけて毎日テレビ系で放送されたお昼のドラマ
「ピュア・ラブ」 を見たことありますか?1話30分間、3作に分かれて多分120話ぐらいあったと思うんだけど。小学校の先生・木里子と、禅宗の雲水(修行僧)陽春との運命的な恋を描いた「ピュア・ラブ」。白血病の木里子のドナー(骨髄提供者)に陽春がなったり、心温かなユニークな登場人物も多数出てくる最近まれに見る暖かいドラマだった。その陽春さんのいるお寺、龍雲寺の偉いお坊さん宗達老師様がドラマの中でいつもためになるお説教をしてくれた。
その中からだいたい覚えているものを2つご紹介したい。

『さしあたる 今日の事のみ思えたら
       昨日忘れず 明日(あした)はきたらず』

この命は今日を生きている。すでに過ぎてしまった昨日の事で悩んだり悔やんだりする事は妄想だ。まだこぬあしたの事を心配するのも妄想。今、この今という時間を生きるのが一番大事だ。

『空手(くうしゅ)』
  空手にしてきたり・・・・・何も持たずに生まれてきて
  空手にしてかえる・・・・ 何も持たず死んでゆく

昨夜は久しぶりに高縄山頂付近にまーるいお月さんの顔を見かけました。月齢15・6の満月でした。


8月2日 (月)
月命日
昨夜は家の近くを駆け巡る雷と激しい雨で屋外は騒然としていた。今もまだ雷がなっている。
泊まりに来ている孫達は雷さんもなんのその、可愛い顔してすやすやと楽しい夢の世界をさまよっている。
私はいつものように4時起きで、パソコンに向かっている。
今日2日は母の月命日。
月命日には必ずお墓参りに里へ行く。もう丸9年続いている私の月一の決まったお出かけである。この日は里の父も妹もそして死んだ母も私を待ってくれている。いまだに私を待ってくれている人がいることは幸せな事だと思っている。
母は孫たちの結婚式に立ち会うこともなく、そしてひ孫の顔を見ることもなく早々とこの世を去った。
「母さん、可愛いひ孫たちも今は7人とおなかの中に一人と、合計8人いますよ。今日は夏休みなのでうちの孫4人引き連れて行くからね。」


8月1日 (日)
昨日の台風10号による被害はありませんでしたか?
台風の風はしばらく我慢の子をすれば遠ざかってくれますが、水被害が大きい所も多々あり、お気の毒に思います。
我家の今朝の庭は木々の葉が枝ごと折れたり、ちぎれ飛んだりと結構壮絶なものになっていますが、床上浸水した家の後始末に比べるとすずめの涙ほどで、午前中には片付くでしょう。
何年前だったか大型台風19号が直撃のときは屋根瓦が数枚ずれたり飛んだりして、同居人にお尻を押し上げられ脚立も利用しながら2階の屋根の上に上がり、一人でコツコツと補修しました。
初めて上がった2階の屋根の上、台風一過の青空が近くてまぶしく、見晴らしも上等で、しばらく風景を楽しみました。近所の人も2階の屋根の上で作業する勇ましいshizukagozenを見直したようです。
我家の屋根は焼付けのスパニッシュ瓦、傾斜が普通の家より大きいのです。滑りやすくて結構危険な屋根瓦。
今は握力もなく、体重もかなり増えたのでもう2階の屋根に上がるのは無理になりましたので、我家の場合、また瓦が飛んだらどうしようと…
台風は風におびえています。
昨夜は娘と孫が泊まりに来ていましたので、朝食後、総出で庭掃除です。
いくら小さい孫とはいえ
ただでご飯を食べた分働いてもらわなくっては…(^0_0^)