2004年7月つぶやき・・・


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7月31日 (土)
7月も今日で終わり。HPを立ち上げて2ヶ月、私の生活も少しずつ変わろうとしている。メルトモも少し増えた。とんでもなく稚拙な文章をつづるこの『つぶやき…』コーナーも毎日見てくださってる人などもいて、感想などお寄せいただくとずいぶん励みになりなんとか続いている。
流れる文字をHP上で使ってみたくって練習で何気なく『つぶやき』という文字をHTML言語の中に組み入れたら、本当に“つぶやき・・・”が流れた。せっかく流れる文字ができたのだからこのコーナーで独り言か何か・・・そんな軽い気持ちで書き始めたが、このコーナーのおかげで感想のメールなどをお寄せいただけるようになり、本当によかったと思っている。
昨日は午前と午後メールが4通(実際には2通だと思うが)
マーク付でMail Delivery System などより届いて開封できないでいる。メールの重要度が高になっている。お寄せいただいたメールには必ずご返事をしていますので、もし、返事の届かなかった方はこのような事情でメールが開封できなかった由、お許し下さい。
一昨日の29日には私の娘時代勤めていた会社の一つ上の先輩Tさんと、高校3年間同じクラスだったKくん(本当は気軽にKくんとは言えないんです。今は立派な僧侶になられているから)よりメールをいただき嬉しい嬉しいつながりがまた一つ増えました。

今日の四国は日中は台風10号にすっぽり包まれて、大変な一日になりそうです。久しぶりの雨ではありますが、地面にほどよいお湿りを・・・、そんなに都合よくいきませんかねえ。セミが鳴いています。鳴き声がいつもと違い今日はハスキーな気がしますが、気のせいでしょうか?風のせいでしょうか?
被害が出ない事を祈りつつ・・・AM5:00


7月30日 (金)
デジカメを買って一番楽しい事は撮った写真をパソコンですぐに見ることができる事、またその写真を簡単に加工できる事。
こういう加工ができるソフトをフォトレタッチソフトという。
今はちょっと難しいソフト、フォトショップを使っているが、一番最初に使ったソフトがJTrim(ジェイトリム)。インターネットで無料でダウンロードでき(いわゆるフリーソフト)、初心者の私でも簡単に操作できる超お気に入りのソフトである。
まだフォトレタッチなど経験されてない方に是非お勧めしたいと思う。
写真のコントラストをちょっと強めるだけで、撮った写真が確実に生き生きしてくるから不思議。
JTrimのHP
から手順に沿ってダウンロードすればすぐに使用できる。

※我家の愛犬リキをモデルにJTrimでちょっと遊んでみました。


7月29日 (木)
同居人の同僚の自宅へ「ご主人が交通事故を起こし面倒な人が絡み厄介な事になっている…」云々と言う電話が入る。たまたまご主人が食あたりで会社を休んでおり、奥さんが「主人なら家にいますけど。」と言うとガチャンと電話を切ったそう。松山市石井で3日前に起こった話。
「社会保険所ですが○○さんの住所を教えてください。」とうちに電話。「どちらの社会保険事務所からおかけでしょうか?」ちょっと一呼吸おいて「名古屋です。」「うちは名古屋で働いているものはおりません。」ガチャンと電話が切れる。
匿名で2億円気前よく寄付する人がいれば、あの手この手で詐欺の手口を考えているやからもいる。
オレオレ詐欺まがいの魔の手がいつ自分に伸びてくるかと思うとおちおち家で過ごす事もできず?映画館へ逃避する事に。
見た映画は『キング・アーサー』
祖国ブリテン(今のイギリス)の自由を勝ち取るため円卓の騎士と共に戦う伝説の王、アーサー。私利私欲でがんじがらめになっている今の日本のリーダー達に原点に立ち戻るために是非見てもらいたい映画だった。
匿名の寄付の主は現代のキング・アーサーかもわからないと思いながらつぶやきを書いている。


7月28日 (水)
先週同居人が体調を崩した。鼻水が出たり目が充血したり、少し微熱も出て花粉症状態。ユリが室内で咲いていたので「きっとその影響よ」なんて言っていると段々具合が悪そうに。本人はそうとうたちの悪い病気だと思い、数年前に開業した近所の医者にかかる。先生は「たいしたことない」と一言。ただの風邪で同居人は何故かがっかり?
近所の人も,、胃がチクチク痛むので先生に診てもらうと「2・3日絶食したら治る。痩せるしちょうどいい」と言われたそう。面白すぎて笑っちゃいました。注射はしない主義。薬に自信あり。こんなさっぱりした先生大好き。まだ先生の顔も見たことないが、口の周りに髭ボウボウ、頭ボサボサの熊のような先生を想像しているのだが・・・今度病気になったらこの先生に診てもらおう。 た・の・し・み(+_+)
「家でおとなしく寝ておれ」なんて言われそう。


7月27日 (火)
孫のゆうきクン
この間の日曜日孫達が遊びに来た。
5歳のゆうきクンとカルタ取りをしてばあちゃんが何度も圧勝。
悔しがるゆうきクンは頑張った。
そしてついにばあちゃんに数枚の差で勝った。
得意げな顔をしていたので「よかったね、ご褒美のチューしてあげる」というと嬉しそうに飛びついてきてブチュー!
弟の4歳のこうき君にも声をかけた。
「こうきクンもチューしてあげようか」
「かまん」
「遠慮せんでもいいよ。ばあちゃんがチューしてあげようというのも今のうちよ」
「・・・」
ゆうきクンがこうきクンに言った。
「可愛いうちじゃないとしてもらえんぞ、はよしてもらえや」
ホント、もうちょっと大きくなったらばあちゃん、気持ち悪くてチューはごめんだな。今のうち今のうち・・・
ゆうきクンはいつもいつも「ばあちゃんがご褒美にチューしてあげる」とか「ギューっとしてあげる」という言葉にそうとうハッスルして頑張る。
頑張る姿が可愛くて面白い。
taekoちゃん曰く「ジャニーズ系」のカッコいいゆうきクンであります。

7月26日 (月)
1997年のちょうど今ごろの時期だったろうか、妹とその友人と娘と私の4人で高知県本川村にある『時屋』へ手打ちそばを食べに行く。
西条市の加茂川沿いにR194を高知方面へ。道路は新寒風山トンネル建設中のため工事箇所が多かった。トンネル工事現場を右に見ながら娘の達者な運転で曲がりくねった薄ほの暗い、細い山道を延々と走る。
やがて寒風山トンネル。これが名前ではよく聞く寒風山トンネルか、とちょっと感無量。
離合ができない細いトンネル。トンネルのたたずまいから歴史を感じる。
トンネルを抜けると高知県本川村。
葛原川を右手に『時屋』の看板を探しながら走る事数分。木の趣のある小さな看板を見つけ葛原川を渡り山道へ。本当にこんなところに店があるのだろうかと思うほど山の中に入る。
時屋の駐車場にたどり着いたときは正直ほっとした。
田舎のおばさんが出迎えてくれ、清流のせせらぎが聞こえる涼やかなきれいな部屋に通され、予約してあった5千円の山の幸、川の幸たっぷりの懐石料理をいただく。
お酒好きの妹と私は早速懐石料理に合いそうな冷酒を頼む。
冷酒を一口飲んで驚きましたがな。
こんなに口当たりのいい冷酒があるとは・・・。
その冷酒が、また、山菜の素朴な料理によく合い妹とお銚子を何本もお変わりをして、顔はほろ酔い気分でほんのりと。
もうこれ以上食べられないと思ったところへ締めくくりの手打ちそば。おばさんがそばには命がありますからすぐに召し上がってくださいと言う。特別そば通ではないがこんなおいしいそばを食べた事がないと云うのがのどを通過したときの正直な感想。これ以上食べられないと思ったおなかはなんとケロッとそばを受け入れていた。
そばは最高だった、だがそれ以上に冷酒が印象に残る。
おばさんに銘柄を聞くと高知のお酒で『桂月』。
あれから桂月を探して数年。(ちょっとオーバーかな?)
先日インターネットで見つけた。
土佐酒造の『桂月』。
〜名酒桂月の名の由来となった文人、大町桂月は土佐の生んだ山河跋渉の紀行作家であった。喉ごし抜群!飲みあきしない。又、料理を選びません。燗酒、常温、冷やしてお飲みください・・・〜と載っている。
幻のお酒はインターネットで手に入る事がわかった。
時屋を後にし寒風山トンネル手前から未舗装の瓶が森林道を通り、土小屋へ抜け、石鎚スカイライン経由で松山へ。
このときから2年後、新寒風山トンネル(5432m.)が開通し西条⇔高知間は通行が非常に便利になり、開通後何度も194号線を通ったが、あの日のように思い出に残るドライブはもう二度とないだろうと一緒に行った連中の顔を浮かべながら思う。
清酒『桂月』と、手打ちそばの命と、旧寒風山トンネルと、瓶が森林道万歳!!

7月25日 (日)
shizukagozenのHPを見て、K・Tさんを通じてくすぐったいような感想をお寄せいただいた。「さぞかし美しい方なんでしょうね。ポートレートでものせればいいのに」(男性)
アチャー!!こんな事言われると困りますがなもし。
さーて、作り手の顔の見えないHPは怖いものがある。
小説を読むのとおんなじで勝手に主人公の像を作り上げていく。
想像するのは結構楽しいものだ…だが見えぬがハナという事も多々あるからあまり期待しないほうが・・・
ところで、今のshizukagozenは画像加工ソフトphotoShopが使える。
顔のしみも、しわも、輪郭も、ヘアースタイルも自由に変えることができ、ひょっとしたらHP上で七変化でお会いする事になるかもわからない。
もし、そんなshizukagozenがHPに登場したら、幻像に惑わされないようにしていただきたい。
photoShopはとても便利なソフトで
写真に時々邪魔な物が(これは同居人のことが多いのだが)写っている場合、shizukagozenがあまりにもチマチマときれいに消しさるので同居人に 「わしを殺すなよ!」 とドスの効いた声で脅されている。

※ このHP上で一枚だけshizukagozenが写っている写真がある。
   さ〜て、この莫大な写真の中から見つける事ができるかな?
※ 念願の 『キレンゲショウマ』 を撮影してきました。
7月24日 (土)
知人に『冬のソナタ』の大ファンがいて、いまだにレンタルビデオで繰り返し見ているという。通販で冬ソナのビデオを販売していたから買うつもりとまでいう。もったいない。「DVDでよかったらダビングしようか?」とつい口を滑らせてしまった。彼女はそうとう喜んで「再生専用のDVDデッキ買って待っているよ」shizukagozenは頑張りました。延べ日数7日間、かかった時間約40時間。T先生にプレゼントしていただいた冬ソナのDVDをDVDデッキのハードディスクにダビングし、ハードディスクからそれをまた新しいDVDにダビングする。この間テレビもつけっぱなしだったので家の中は冬ソナの音楽と映像と会話で満ち満ちていた。おかげでshizukagozenは冬ソナ通に!T先生がラベルマイティーでコツコツ作成された素敵なCDラベルまでお借りして何とか完成にこぎつけた。彼女の喜ぶ顔が目の前にチラホラ。来週持って行くからねー   

7月23日 (金)
昨日の夕方松山に住んでいる同居人の80歳近い叔母から電話が入る。
先週の金曜日、老人会の行事で北条鹿島へ来たらしい。
北条で生まれ育ったので、
「高縄山がそれはそれはきれいに見えて懐かしかったわい。そこで俳句詠んでみたんよ。聞いてくれる?」

    
高縄の 山誇らしく 雲の峰    仙波 節子

※ 雲の峰とは俳句用語で入道雲のことをいうらしい。
節子叔母さまおそれいりました。
この叔母は昔の女学校を出ているそうで(昔人間はこういう事をなぜか自慢げに話したりする)、頭もよく、愛媛新聞に投句したり詩を出したりと結構趣味が高尚。ちょくちょく紙面で名前を見かける。この句も新聞に出してみようかと思うなどと言っていた。
俳句の話が出たついでに叔母に「私もお父さんのことを法事のとき俳句もどきで作ってみて、“夏めきて”と勝手に季語いれたけれど“夏めきて”は本当はいつ頃の事を言うんでしょうか?」と訪ねた。
「俳句習いよるんかな!」
「いいえ、ど素人です」
「歳時記見てみるからちょっとお待ちな!」
といって教えてくれたのが春の終わり、まあ夏に入るちょっと手前らしい。
「使い方はまちごうてないぞね」
「ありがとうございます。節子叔母様」
というような事で俳句談義おわり。

こういう頭のよい人物が一家に一人いるとshizukagozenも賢くなれたかもわからないのにちょっと手遅れ!
  ※ 『寄り道国内編』に信州の旅をUPしました 

7月22日 (木)
昨日は土用の丑の日、うなぎ食べましたか?
朝からさわやかな風が吹いていて、気持ちがよかったですね。土用ごろ吹くさらっとした風を『土用風』と言うそうです。
我家の前を散歩中の賢そうなおじいさんに教えていただきました。

善光寺戒壇廻り(ぜんこうじかいだんめぐり)
高知県生まれの坂東真砂子という作家をご存知だろうか?
『死国』や『狗神(いぬがみ)』など映画化もされ、一時ブームだったんだけど。その『狗神』の本の書き出しで信濃善光寺の戒壇廻りの場面が出てくる。出張で長野に来たサラリーマンが帰りの時間つぶしで立ち寄った善光寺で戒壇廻りをする事に。この戒壇廻りの地下で、すでに死人となって「極楽のお錠前をさがしに・・・」やってきた主人公の美しい女性美希(映画では天海祐希が演じていた)に出会う。本はここから高知県のとある村で起こる狗神にまつわる物語へと入っていくのだが、この書き出しが鮮烈で善光寺へ寄ったら絶対戒壇廻りをすると決めていた。
右手で壁を触りながら漆黒の闇を手探りでお錠前を探して歩く。今回は戒壇めぐりも込み合っていて小説のように不気味な気配は味わえなかったが、同居人の後ろを歩いていた女性はよっぽど怖がりなのか同居人のシャツを後ろからボタンがちぎれそうなほど引っ張ってついて来たそうな。明るいところへ出てから小柄で華奢な中年の女性が同居人に「すみませんでした。あまりにも怖かったもので…」なんて誤っていたけど、shizukagozenはそういう所はちっとも怖がらない女性なもので、同居人は怖がる可愛い女性にまんざらでもなかった様子。
戒壇廻りその二
西国三十三ヶ寺の三十三番札所谷汲山華厳寺にも戒壇廻りがある。平成十四年、初めてここで戒壇廻りをする事に。私たちが地下へ続く階段を降りはじめると四谷怪談のお岩さんを張りつけたような木のごつい戸板が上からバタンとしまる。地下は一瞬にして真っ暗闇。右手で触る壁板だけが頼り。そろそろ歩く。真っ暗闇で目を開けて歩くのはそうとう不安。目をつぶってみる。心の目がじんわりと開き、心落ち着いて歩く。突然同居人が
「ワ〜〜ッ!」と叫ぶ。「どしたん?」「なんか生暖かいブヨンとした物に触れた」「それわたしの手じゃがね。失礼な!」真っ暗闇のそれも仏さんとつながる空間で笑い声を響かせた無礼な参拝者になってしまった。今でも、「お父さんが死にかけて、私がお父さんしっかりしてと手を握るとブヨンと生暖かい手の感触でビックリして生き返るかもね。」とその時の話を同居人にチクリチクリと話して聞かせている。
戒壇廻りその三
四国八十八ヶ寺の75番札所善通寺でも戒壇廻りができる。
ここではまだ戒壇廻りをした事がないのでお参りした際には是非廻ってみようとおもっている。

※興味のある方は単行本でしか出てないけど『狗神』を読んでみてね。映画よりはるかに面白かったよ。四国遍路に関心のある方は逆打ち参りのちょっと不気味な『死国』もどうぞ。

7月21日 (水)
心遣い
短い旅行だったがよい事も嫌な事も妙に沢山入り交じった3日間だった。
3日間とも昼食はオプションだった。3日目のこと。『おぎのや』というところで信州そばの昼食。当然申し込みをしておいた人だけが食べるのだが、どうも2人分足りないらしい。いろいろ添乗員が調べていると申し込みをしてないご夫婦がちゃっかり座って食べ始めている。70歳過ぎの仲のよいご夫婦だった。もちろんその老夫婦がうっかりしているのが悪いのだが、それがわかったとたん添乗員が「お金いただきます。」と冷ややかに集金を始める。食事中にである。老婦人は本当に申し訳なさそうにバックをガサガサされ財布を取り出し支払っていた。別に逃げだすわけでもあるまいし、何故食事を終えるまで待ってあげる事ができなかったのだろう。おいしい食事だったがそのご夫婦はきっと間違った申し訳なさと、添乗員の対応に砂を噛む思いの食事だったに違いない。もちろん食事を頼んでいて食べられなくなった人はもっと悲惨である。そのお店の中の別のレストランで二人だけで腑に落ちない食事をされたに違いない。バスの中で添乗員が悪びれた様子もなくサバサバと食事のできなかったご夫婦に「お金お返しします。」
もともと添乗員が食事に出かける前バスの中で「申し込みされている方の食事」という事を念を押してさえいればこういうことは起こらなかったのではと思うと添乗員の説明不足で起こるべくして起こった事と残念でならない。今年4月この会社の社員になり今回急に添乗をおおせつかったらしいが、最後の挨拶で「僕も不慣れなもので…」云々の挨拶が妙に白々しかった。たとえ老夫婦に非があったにしろあの時、もっと心のこもった対応ができていたら次回も是非この人の添乗するツアーに参加したいと思ったはず。間違って食事をされたご夫婦はもう二度とこの会社の旅行には参加しないだろうなとそんな考えが頭をよぎった。
2日目の善光寺でのこと。私ぐらいの年恰好の女性がトイレの前で転んで右手小指を骨折か脱臼。救急車が来て治療を受けたが病院へ行ったほうがよいという事で救急車でそのまま病院へ。治療を受けて軽井沢で合流した。長野駅から新幹線で軽井沢まで来たらしい。ベテランのバスガイドが「怪我はよくなかったですけど、あのきれいな新幹線で軽井沢へ来る事なんぞめったな事では体験できないからよかったですね。」と、ともすれば落ち込みがちな女性に声をかけられた。怪我は脱臼との事で軽くすみ包帯で手を固定した奥さんをご主人さんが甲斐甲斐しくお世話されていた。バスガイドの一言で車中はほっとした雰囲気に、そして新幹線で軽井沢に来る事ができた事をうらやましがったり。
団体旅行は皆が少しずつの心遣いを出し合う所、と私は考えているのだが…。
小難しい事をごたごた並べ立ててしまいました。悪しからず。

明日は善光寺の戒壇めぐりのお話をしてみたい。

7月20日 (火)
17日AM 6:30 愛媛県松山を出発。香川、岡山、兵庫、大阪、京都、滋賀、岐阜、愛知、長野、群馬と11県にまたがる長〜いバス旅行。昨夜我家にたどり着いたのがPM 11:45。おもな旅行先は長野県。天候は1日目は長野に入り、少し小雨がぱらつく。夜中はすごい雷雨だったそうな?(翌朝周りの皆が怖かったと話していたがshizukagozenはまったく知らなかったので話に参加できず。それほど怖い雷鳴を知らなかったとも言えないし…)。2日目、3日目は上々の天気。軽井沢日中28度、志賀高原の朝は19度と心地よさ最高。高原の空気を身体いっぱい吸い込んでまた少し空気膨れしたかも。
帰ってきたら近所のHさんから「小玉のスイカができました。甘くておいしいよ。取りにいらっしゃい。」と嬉しいメールが入っている。これから頂に行こう・・・
やっぱり家はいいなあ〜
軽井沢では隣の教会に移動中の花嫁に出会う
花嫁は堂々と闊歩して花婿は後からとぼとぼ・・・
まあ、結婚式はどうしても花嫁が中心になります

7月17日 (土)
きのうT先生と一緒にオーディオの操作パネルをつけたのだが
皆さんの使い心地はいかがなものだろか?と心を残してshizukagozenはこれから3日間の旅にでる。行き先は?ウ〜ン・ここよりはきっと涼しいであろうところ。帰ってから報告する事にしよう。ダイレクトメール見て、安ーいツアーに10日前に申し込んだら偶然キャンセルが2席出ていて参加する事ができるようになった。昨夜はビデオカメラのバッテリーの充電、デジカメの電池の充電、着替えの用意、常備薬の準備、と忙しかった。それでは行ってきま〜す。
というようなことで明日とあさってのつぶやきはお休みします。
皆さんもよい連休をお過ごしください。


7月16日 (金)
『天涯の花』 と“キレンゲショウマ”  
とくべつ宮尾登美子さんの小説が好きだったわけではないが、本屋でたまたまこの 『天涯の花』 と出合う。 “剣山の清澄な四季を背景に、無垢な魂を持ち続ける少女の恋” 本の帯に書かれたキャッチフレーズの中の剣山という文字に誘われて購入した。みなしごの少女珠子が恋に心揺れるようになるまでの物語。文中からは珠子の清らかさがそこはかとなくあふれ出て、読んでいる私自身も心が澄みわたるような本だった。本を読み終えて楚々として美しく清らかな珠子さんにどうしても会いたくなった。実在すれば私より3つ4つ年上の女性。会えるはずのない珠子さんに会いたくて剣神社まで出かけて行ったことはこのHP 『私のこと』 でも書いた。
7月14日付けの愛媛新聞 8 面。 “キレンゲショウマ” 暑さにも涼しい顔して花開くという見出しに釘付けになる。新居浜の別子観光センター(筏津山荘)で花開いたらしい。その紹介文に剣山を舞台にして書いた小説 『天涯の花』 でキレンゲショウマは話題になったと載っている。
キレンゲショウマは小説の中でこのように書かれている。
『木々の茂みの下、これはみごとな花の群落、見渡すかぎり黄の点々は拡がり、それは小暗い木漏れ日を浴びて、まるで一つ一つの花が月光のように澄み、清らかに輝いてみえた。茎の高さは一メートルほど、葉はたっぷりと大きく幅は二十センチはあろうかと思えるが、その立派な葉を従えるように、さわやかな月光の花は凛、として気高い。』
キレンゲショウマの神秘性と珠子さんの清らかさは小説を読み進めるうちに私の中で一つになった。
“キレンゲショウマ” できることなら剣山の行場で小説の光景のように凛として開花している姿を見たかったのだが、ひとまず先に別子山へ足を運んでみようかと思っている。7月下旬が盛りらしい。
くしくも、キレンゲショウマの記事を見た日、M・Kさんからのメール。HP 『私のこと』 のコーナーに感動した本の一冊として取り上げた、ダニエル・スティール著 『幸せの記憶』 上・下巻を図書館で借りてきたとの事。
14日は私の感動した本 『天涯の花』 と 『幸せの記憶』 これら2冊に再び出会えたような心満ち足りた一日であった。


7月15日 (木)
今日は 松山 ⇔ 上海 便就航の記念すべき日。
上海に関してはちょっと残念なことがあった。2年前の7月8日私たちは本当は上海方面へ旅行に行くはずだった。その頃は観光ビザ(団体ビザ)も必要だったので手続きも完了し、後はスーツケースに着替えを詰めて出かけるだけ。その出発の1週間前、同居人に転勤の人事異動が出た。それも7月8日付。サラリーマンの身では勝手もできず、旅行は中止。1週間前だったからキャンセル料も支払い散々だった。中国旅行はあまり気乗りしていなかったので、その私の気持ちが災いしたかな、と今でも思っている。現在はビザも必要なく、簡単に中国へ行けるようになった。しかも松山から100分で。
同居人が定年退職でもしたら中国で一番行きたい所 『九寨溝』 へ、この 松山 ⇔上海 便に乗って行くことにしよう。それまでこの便が就航していますように。


7月14日 (水)
今流れている曲がボサノバで最もポピュラーな『イパネマの娘』
MIDIは著作権がどうのこうのといってHPでの使用が制限されたりするらしいけど、そこらあたりはよくわからないので今週末T先生に聞こう。きのうのつぶやきでイパネマの娘が好きと書いたら早速T先生が3つのHPを紹介してくれた。私はネットで自分の探したいものが探せない。インターネットで自由にいろいろ検索できたら楽しいだろうな。taekoちゃんは可愛いTシャツ見てるなんて言ってたし、みんな活用しているんだ。もっと勉強しよう。
ブラジルのリオにはイパネマとかコパカパーナとか有名なビーチがあり、見とれるほど素敵なプロポ−ションのトップレスの女性がビーチで戯れている。写真で見るのと同じ。そんな垢抜けたビーチのココナッツジュース売り場で田舎者のおじさんとおばさんはココナッツをパンと斧で割ってもらい、ストロー2つさして頭寄せ合って「おいしいね」。ちょっと生ぬるくて、ほんのり甘いココナッツジュースの味、美しいビーチとともに今でも思いだす。

7月13日 (火)
T先生やK・Tさんからのメールを開けると素敵な曲が流れてくる。T先生は、冬ソナ。K・Tさんからは少年時代、真珠とりのタンゴ…など。うっとり聞いている。
私はこれらのメールに貼り付いている(注・添付ファイルではない)曲を頂くことができるようになった。HTML語で書かれたメッセージのソースから頂く。メッセージソースをコピーして一度メモ帳へ貼り付けてそれをデスクトップへ拡張子.emlで保存して、・・・ちょっとわかりにくいかな?まあ、いろんな事して、いただけるようになったわけ。一人で勉強したんだよ (*^。^*)。
音楽の話を書いたついでに・・・もう一つ。
この『つぶやき』を書いているときは私の頭の中はボサノバ!ボサボサじゃないよ、音楽のボサノバ。shizukagozenはボサノバが大好き。
どなたかボサノバの曲、送ってくれないかな〜〜。
できたら『イパネマの娘』など・・・。
最初のページを模様替えしました。少し暑苦しくなったのであっさりとしてみたんだけど、ちょっと間が抜けてしまったかな?
感想などお願いしま〜す。

※昨日の発見 『銀次郎』
今度松山三越へ行ったらここでお食事してみて。三越南口出たとこ。
お昼は 『桶膳』 1500円なり。桶の中に小鉢が7、8個かな?おいしかったよ。私はご飯のお代わりもした。食後にドリンク付。お店の中に川が流れている。話の種に一度行かれるといいかも。

7月12日 (月)
夕べはなんか疲れちゃって疲れちゃって早寝。
そのせいで今朝は2時起き。メールを3通出す。

先日どこかの店で見かけたんだけど、ちょこっとアイデア!
その一・・・インスタントコーヒーを香りよくいれるコツ
  インスタントコーヒーをほんのちょっとの水でよーく練って、
  その上にお湯を注ぐとコーヒー豆のいい香りがしてくる。
その二・・・刻みねぎ、刻みパセリを上手に冷凍する方法
  刻んだねぎをチャックつきのポリ袋に入れる際、フーッと空気をいれる。
  冷凍できたらかさばらないように空気を抜く。そうしておくと使うときバラ
  バラと外れるので使いやすい。パセリも同じ。

※コーヒーのほうは試してみると練っている間にいい香りがたって豊かな
 気分に。冷凍ねぎはまだ試していない。

7月11日 (日)
協同作業
法事の準備はどなた様が決めたのかわからないがだいたいその家の嫁の仕事。私も一応長男の嫁なので万事不都合のないようにお寺への連絡から始まり、宴席の準備にいたるまで段取りをする。だが、一人より二人のほうが断然効率がいいのが祭壇の飾りつけ。飾り壇の組み立て、その上へ敷物、回転灯篭の組立て、大きなハスの花の飾り物の組み立てなど。同居人と頭を寄せ合い、ああでもない、こうでもないといいながら一つずつ仕上げていく。4年前の3回忌の法要のときもここで、同居人とああでもない、こうでもないといいながら今とまったく同じ作業したなあ・・・なんて。あまりにも変わらない光景をおかしく、そしてちょっと感傷的になりながら振り返る。仲よく作業する私たちの姿見て写真の中のお父さんが笑っている。さあ、出来上がった。無事に明かりがともるかな?同居人が点灯式。4対、8個の飾り物に明かりがともった。回転灯篭も上品にゆっくりとまわりはじめる。昨日の私たちの協同作業。

7月10日 (土)
明日は父の七回忌の法要。今日は家の片付けから始まり、祭壇つくりやもろもろのことで一日中コマネズミのように働かなくっては。

お父さんは2回の大手術を含め23回の入退院を繰り返した。
一人で病院通いできないときのアッシー君だった私は日赤へ通う道中、お父さんといっぱい話した。コーヒーの好きだったお父さんにせがまれ日赤のパーラーへ何度も入った。お父さんと私だけの内緒の話もした。金婚式のおり、松山駅前露店でお母さんに指輪を買ってあげたお話は胸を打たれた。生涯農作業に携わり、生活していくのがやっとだったけれど正直にまじめに働き一生を終えた。平成10年6月23日、尿が出なくなって痛がるお父さんを午前3時日赤へ連れて行ったのが最後の入院。その3週間後19年に渡る闘病生活にピリオドを打ち息を引き取る。
死ぬ前日、リウマチの私をいつも気遣ってくれていたお父さんに 「大事にしてくれてありがとうございます」 とお礼を言うと 「いやいや、・・さんのしてくれたことの何百分の一もお返しができなくて・・・」 と言ってくれ、後に残される連れ合いを気遣い 「かあちゃんをおねがいします」 と一言。
お父さん、あれからいろいろなことがあり、私もいっぱい頭を悩ましているんだけど何とか頑張るね。
入院する直前、大の字に寝転がって黙って見上げていたキウイ畑もあの日と同じように緑の大きな葉をつけているよ。ちょうど今頃の時期だったね。

夏めきて キウイの葉陰に 父偲ぶ

7月9日 (金)
昨日の夕立、すごかった。父(舅)の七回忌の法要が11日にあるので出席していただいた皆さんに渡す 『志』 を購入するため私はあの夕立のとき、高島屋に向かって車を走らせていた。
高島屋の7階と地階を行ったりきたりしながら品物を選んでいると、品物選びの応援を頼んでいた娘が孫たちを連れてやって来る。品物も決まり包装をお願いしている間、皆で 『くるりん』 に乗ることに。あの大きい観覧車、乗客は私たちだけ。外はすっかり青空。
先ほどの夕立で松山の街は緑が映えて。石手の山の見上げるほど大きいお大師さんが小粒に、遠く南東の山すその小高いところに孫達が通っている幼稚園、三越もすぐそこに、玉川のじいちゃんの立体駐車場も、松山城は手の届きそうなところに、孫達が生まれた病院も見えママは孫に説明している。右下を見ると南高校グランド、野球をしている姿が。真下にお墓、境内に子規堂のある正宗寺内の墓地、あの小さな一角に玉川のじいちゃん宅のお墓も。
まぶしいっ。景色は太陽に輝く瀬戸内海へ。本当に小さい島がいっぱい折り重なってまるで水墨画のよう。いつしか無口になって景色に見とれる。あっ、飛行機が飛び立った。ぐるっと旋回している。大阪行きかな?眼下に高島屋屋上が見えてくる。仕事帰りのサラリーマンが小さいテーブルにいっぱい食べ物並べてビールを飲んでいる。ビアガーデン楽しそうだなあ。同居人もああやって仕事仲間と楽しくビール飲むのかなあ・・・そんなことを考えていると終点。もう一度乗りたかったけど、感動は一度で充分。
時間も6時半。頼んでおいた品物も仏事用のモノトーンのバラの包装紙にきれいに包まれ、これまたきれいな落ち着いた紙袋までたくさん入れていただき今日の用事完璧に完了。娘が駐車場まで大荷物を運んでくれありがたやありがたや。

さて、今日は午後から2ヶ月ぶりの日赤リウマチセンター。前回の検査結果を言ってくれるのだろうが2ヶ月も前の結果では参考になりかねる。

7月8日 (木)
毎度お酒の話ばかりで申し訳ないがビールの話!
ハワイのマウイ島でのディナー。飲み物リストを見ていると日本語で地ビールとある。ヤッター、ハワイの地ビール!
さ〜て、銘柄が5種類ぐらいあるのでボーイを呼びどんなビールか聞く。ボーイは 「聞いてきます」 といって奥に行き、戻ってきて言った言葉が傑作。
「名前は違うけれど中味は皆同じだそうです」
テーブルの8人、ずっこけて笑っちゃいましたよ。その後、私たちのテーブルがビールの話で盛り上がったことは言うまでもない。そして夜遅くまであまりよく知らない人たちと飲み明かす事に。私と男性諸君が頼んだ地ビールはコナビール。味は?ウーーーン忘れた。


※7月1日の夕日の撮影場所。4人の方からお答えが返ってきました。
全員正解。撮影場所は北条市 『道の駅 風和里』 の前の海水浴場。
K・Tさんから『長浜海水浴場』と回答があり私はあわてました。
偶然7月7日付けの愛媛新聞に北条市大浦長浜海水浴場から撮影した写真が載っており、インターネットで調べてみると本当!ふわりの前の海水浴場は長浜海水浴場というらしい。
K・Tさんのおかげであの海水浴場の正式名称がわかりました。
回答いただいた皆さん、ご協力ありがとうございました。
 参考までに
  愛媛の長浜海水浴場
   長浜海水浴場 ・・・愛媛県越智郡吉海町椋名
   長浜海水浴場 ・・・愛媛県北条市大浦
   長浜海水浴場 ・・・愛媛県喜多郡長浜町沖浦


7月7日 (水) 七夕
ここらあたりでは8月に七夕まつりするんだけど・・・
彦星様と織姫様のように私にも一年に一度だけ会う人たちがいる。それはいとこたち。大阪や東京、広島、松山などから集まり総勢25人ぐらいのいとこ会。今年のいとこ会は4月、山口県の湯田温泉。7月2日のつぶやきにもチラッと書いたんだけどこの日ばかりは無礼講でお酒が飲める日。皆そうとうお酒強いし、その上芸達者。無芸な私は飲んでいるよりほか能がないので飲む。いとこ達は芸をしてはこの優秀なカメラマン?の私に向かって 「写真撮って撮って」 とうるさい。おじさん、おばさんは撮らないと言ってあるのにカメラの前でポーズをとるものだからほってもおけずかなりの枚数撮影。その写真はまだ何もせずパソコンの中にある。今日は久しぶりにみんなの顔を思い出したのでボツボツプリントアウトでもしようか。忘れたごろに届く写真もいいものだろう。写真は30年色あせないとプリンターの特長に書いてあった。写真が色あせるごろはほとんどのいとこはこの世とおさらばしていることだろう。“私の愛するいとこ達よ!生きてる間、頑張って私たちの七夕まつりしようね。”

7月6日 (火)
孫からの初メール
2003年6月19日 孫のゆうきくん(4歳9ヶ月)から初メールをもらう。驚いた。どんなにして打ったんだろう。ママに聞くと、アルファベットとひらがなの表を作ってあげたのでそれを見ながら入力したとの事。以下、初メールの全文。ばあちゃんは嬉しくって大きな字ですぐ返事を出しましたよ。

ゆうきです
こんばんわ
ばあちゃんげんきですか
きょうはなんのごはんですうううううううううううううううううううう
きょうはおでかけしたんですか
またね

2004年7月4日 ゆうきくん(5歳10ヶ月)からの久しぶりのメール。
ばあちゃんきょうはなにしたの?
ゆうきはじてんしゃでいっぱいあそんだよ。
おともだちとあそんだよ。
またこんどあそびにいっていい?
ばいばい

ばあちゃんはとてもとても嬉しかったけど返事をするのを忘れていたよ。5日ゆうきくんから電話。「ばあちゃんメール届いた?」「ごめん、ごめん。すぐ返事するからパソコンの前で待ってて。」というようなことで駄目な駄目なばあちゃんです。ゆうきくんゴメンネ!懲りずにメール頂戴ね。
ゆうきくんはマウスの使い方などとても上手でパソコンも自分で開けて大好きなムシキングのカードを見たり、パソコンゲームなど感心するようなことをやっています。こないだ生まれたばかりのようなゆうきくんにばあちゃんは追い抜かれそうです。 「しかし字もろくに読めないのによくパソコンでいろいろなことをすることよ」 と感心しっぱなしのばあちゃんであります。
※パソコンは恐れずさわりまくることが上達の秘訣?

7月5日 (月)
今朝方3時ごろうつすようなすごい雨が降った。
それにしても梅雨はいつ明けるのだろうか。
蒸し暑いし、家がじめじめして不快!
今日はT先生と勉強の日。新しくなったプリンターは直接CDにラベルが印刷できるのでその練習をする。以前にも書いたことがあるがプリンターを破壊してしまい、買い換えたプリンターはすこぶる性能がよい。webページも簡単にプリントできるし、なにぶん8色刷りで色が微妙にきれい。先日もCDラベル12枚をプリントしたが全部気に入った。
昨夜、メロン1個をカットして冷やしておいたものを、大きい器ままテーブルの前へ持ってきて食べ始めた。もうやめよう、もうやめようと思いながらとうとう最後の一切れまでぺロリ!T先生はメロン大好きで1個でも大丈夫と聞いたことがあったが、その話を聞いたときは「信じられない!」なんて思ったが、自分が丸ごと一個食べてしまうとは。
しんじられな〜〜い。自分で驚いている。
    

7月4日 (日)
Messengerと息子
大阪に住む息子とリアルタイムでパソコンで会話ができる私の楽しみの機能の一つがMessenger。お互いがメンバー登録しているのでパソコンがオンラインになっていれば即会話ができる。この機能はパソコンを購入直後から使っていて結構楽しい。
最初ごろ、「だいぶん打ち込む速度が速くなったね」なんてほめられて嬉しかったりして。わからないことを相談すると瞬く間に参考になるHPを何個か紹介してくるし、遠いはずの息子が一番近くにいるような気分にさせてもらえる。母親の私にとっては救いの神Messengerさまさまである。
その彼にメッセ−ジを送ろうとしても『オンラインのメンバーはいません』と5月27日以降連絡が取れない。6月下旬携帯に電話するが留守番サービスにつながるし、自宅も留守電。
数日後やっと息子と連絡がとれた安心感で思わず親心。「なんか食べるものでも送ろうか?」学生時代頻繁に食料品を詰めて宅配で送っていたのを思い出し言ってしまった。相手も私の提案に図に乗って「食品よりもワイシャツとネクタイ送ってほしい」
先週の水曜日映画 『白いカラス』 を見た帰り、taekoちゃんと一緒にいそいそと買いに行きましたよ。真っ白いワイシャツ2枚と、ネクタイ2本と数が悪いから涼しげなトランクスも。taekoちゃんが素敵なネクタイを選び、さっさと仕切ってくれて即宅配。翌々朝息子からメールで「昨晩、届きました。今日早速ワイシャツとネクタイ使います」だって。気に入ってくれたようだ。Messengerがつながらないのは息子は今はよその会社の仕事のためそこにはいないとの事。その仕事も8月には終わるらしいのでまたMessengerで会話ができることだろう。


7月3日 (土)
shizukagozenワインに負ける!
アルコール類は強いと自負していた。
ワインを甘くみていたためとんだしっぺ返しをくらう事に・・・
数年前、ローマでのこと。カンツォーネを楽しみながらの釜焼きピザとワイン食べ放題飲み放題のカジュアルなディナーへ行く。白ワインが大きなピッチャーに入り、目の前にドン。そのテーブル唯一の男性であるマイハズバンドの『チン・チン』という乾杯の音頭で楽しい楽しい食事が始まった。ワインのサービスは男性の仕事で、マイ・ハズバンドが皆に上手にサービスすること、すること。
おいしい焼きたてのピザと豊富なワインをジュースのようにがぶがぶ飲み皆おおはしゃぎで会話が弾む。
ワインのピッチャーもすぐ空になりボーイが次々と持ってくる。
舞台では頭の薄くなったおじさんがそれはそれは素晴らしい声量でオー・ソレ・ミオなどを歌っている。
チップを出すとリクエストにも答えてくれるらしい。
そこで私は1万リラだして、葉山かすみちゃんに言った。「私のためにア・モーレ・ミオを歌ってほしいと頼んできて」と。
かすみちゃんは「オー・マダ〜ム・イエ〜ス!」といって1万リラ持って舞台のおじさんのところへ。彼女は身振り手振りで話している。おじさんがこちらを見た。なんと、かすみちゃんに手を引かれこちらへ来るではないか。
おじさんは私のそばに立って手を取り「マダ〜ム・・・・・」何とかかんとか言っている。とりあえずマダムは「グラッツェ!」と微笑み返す。
おじさんの合図で舞台で演奏が始まり私の耳元でそうとうすばらしい声でア・モーレ・ミオを私だけのために歌いだす。
急に酔いが回ってきた。頭のはげたおじさんがすごくかっこよく見える。頭がボーッ!すっかりマイハズバンドの存在が消えていた。
そこら辺りからどんなにしてお開きになったのかあまり覚えがないのだがショーが終わりふらつく足をハズバンドに支えられながらホテルへ帰る。
着替えもせずベッドにどたっと転がり込み連れ合いに「ウォーター・ウォーター」。冷蔵庫から出してきた水。「何これ!」 余計気分悪〜っ。大嫌いなガス入りの水。ワインに酔いまくり、天井は回り、苦しい苦しい夜とあいなった。天国から地獄に堕ちたなが〜い夜の話である。飲んだワインの量不明。
今でも私はワインに弱い。まあ、日本では海外のようにがぶがぶ飲む機会もないのだろうけどボトル半分くらいまでが適量とわかった。
なにぶん、赤玉ポートワインがワインだと思って育った時代のものには講釈つけて気取って飲むワインは今でもちょっと苦手である。

※文中の葉山かすみちゃんは鹿児島朝日放送のアナウンサー。休暇で私と同じツアーになり、行きの飛行機から私の隣の席で名古屋国際空港で買った天むすを分けて食べあう中に。当時30歳くらいでベテランアナウンサー。日本に帰ってから一度桜島からの全国版中継でかすみちゃんを見た。
 かすみちゃん元気にしてるかな?
※チップに払った1万リラ
イタリアは今はヨーロッパ共通通貨ユーロになっているが当時の通貨はリラだった。旅行当時の1万リラは日本円で800円ぐらい。

7月2日 (金)
 
 「タイのあら煮」の写真の後方の 『え』 というお酒、見たことありますか?
愛媛のお酒の新しい統一ブランド名です。おしゃれでしょう!
お酒の味はともかくとして、テーブルの上で存在感があります。

昔も今も、日本酒のレッテルはセンスがいい。
私が子どもの頃住んでいた家の近くに酒工場(造り酒屋とはちがっていた)があり、回収したいろいろな種類の清酒の空き瓶を山のように積み上げていた。その瓶に貼ってあるレッテルが…そのころ私はそう呼んでいたのだが…あまりにきれいなのでこっそり頂きに行く。(ようするに泥棒していたわけ)
きれいに水ではがして乾かして収集していた。
今でも輸入ビールやワインのきれいなレッテルを見ると捨てるのがもったいなくて取って置こうかどうしようか迷ってしまう。キリがないから思い切って捨てるようにはしているんだけど。

輸入ビールは瓶の大きさ加減がいいし、形がおしゃれなものが多いのでついついビンごと取り置きになったりするが、
ワインはレッテルではなくコルクで我慢している。

余談だがshizukagozenはアルコールが好き。そして強い。
日本酒なら5合くらいまでなら大丈夫と、実験済みである。ビールは実験したことないが今年4月のいとこ会で大瓶4本は軽く開け2次会でうす〜いケチな水割り3杯は飲んだがしらふ。このごろ考える。酔わないお酒はもったいないので飲むのをやめようかな!と。ワインは?この話は長くなるので明日のつぶやきでお話しすることに・・・ 

7月1日 (木)
今月から背景も夏らしくさわやかに模様替えしてみました。
いかがでしょうか?
街なかは夏のセールが始まり、私の家にも案内状がたくさん届きます。
この前まではショッピングが大好きで、おしゃれが大好きで、とってもよくデパートへ足を運んでいた私ですが先日父の日の買い物で高島屋へ行ったのも5ヶ月ぶり。三越なんぞは1年以上ご無沙汰。
これには深〜いわけがあるのです。
第一の理由は買い物より好きになったパソコンですが、
第二の理由は体型。
なにぶん太ってしまって私好みの洋服が身体に合わないのです。
これでは買い物しても楽しくないですよね。
安上がりにはなったのですが淋しくって・・・
その代わりといっては何ですが写真はよく撮りに行きますね。