−発病から現在までの簡単な経過−
昭和62年08月 |
朝起きると手の指が腫れぼったくて握りにくい。子供の頃、しもやけができていたがそのときの腫れぼったさにそれは似ていた。 二階へ上がるとき、脛が痛む。この当時、子供の通っている小学校のPTA代表で自転車競技大会に出場するため毎日猛特訓をしていたから脛が痛むのはその頑張りのせいかと軽く考えていた。 |
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昭和63年03月 |
2歳の姪とつくし採りに行く。手をつなぐと指が痛い。痛さに顔をしかめる私を見て母が『それ、 ひょっとしてリウマチじゃないの?』と言う。エッ?リウマチって老人の病気じゃないの? |
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昭和63年04月 |
妹がある新聞記事を見せてくれる。リウマチ友の会松山支部の広告だった。思い当たる症状のある人はリウマチを疑ってくださいと書いてある。すべて思い当たる症状だった。 友の会へすぐ電話する。 〜「どこの病院がいいですか?」〜当時からリウマチ科のあった日赤松山を勧められる。5月に沖縄旅行を控えていたから、「旅行から帰ってから病院へ行こう」と怖くて不安なことを先延ばしにする。 |
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昭和63年05月 |
旅行から帰り、恐る恐る日赤のリウマチ科を訪ねる。血液検査の結果リウマチと診断される。 この頃から左足指裏の関節が痛み、靴も履きづらく歩くのに不自由する。初診の日から処方されたリウマチ薬のプレドニンと金の注射がよく効き3ヶ月もすると駆け足ができるまでになる。薬の威力に驚く。 足が悪かった当時、主人は「車椅子の生活になってもどこへでも連れて行ってやる」と優しかった。友人も「喜んで車椅子押させていただくわ」と嬉しい言葉。 子供たちも買い物袋は全部下げてくれてありがたかった。バッグまで持ってくれるのには参ったけど…。 それから月1回の病院通いが始まり今に至る。 私39歳の時。 |
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平成08年02月 |
左手の指の腱が2本切れ3月に入院、手術。手の甲の滑膜が悪さをして指の腱がささくれだった糸のように切れやすくなっていたとの事。腱をつなぎ滑膜もきれいに掃除し、変形して飛び出していた手首の骨も削る。N先生の100点の手術のおかげで 指もちゃんと元通りに伸びきる。約1か月の入院生活。 |
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平成12年03月 |
平成11年10月から12月にかけて今度は右手指の腱が次々と切れ始め親指、人差し指を除きぶらぶら状態になる。3月にやっと病室の空きができ入院、手術。前回と同じ手術となる。日赤はリハビリのケアも充実していて順調に快復する。 |
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平成12年12月 |
いつの間にか右手親指の付け根の関節が脱臼し人前で手を出すのが気恥ずかしい状態となる。 |
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平成14年04月 |
薬が変わる。メソトレキセート(免疫抑制剤)1週7・5mgがリウマトレックス(免疫抑制剤)1週6・0mgになる。 服用1ヶ月後より微熱が出はじめ身体が硬直し痛みもでる。寝込む日が続く。 日赤リウマチセンターでリウマチ熱と診断されリウマトレックス(免疫抑制剤)を1週8・0mgに増やす。おかげで元の生活ができるようになる。私が元気で普通の日常生活が送れているのは薬のおかげであると改めて思い知らされる。 |
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平成15年10月 |
初診当初から毎月1回打っていた金の注射シオゾール(抗リウマチ薬)が2ヶ月に1回になる。 この時から通院も2ヶ月に一度となり楽になる。 |
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平成16年01月 |
目に痛みが走り眼科でドライアイと診断される。リウマチセンターの先生はリウマチの合併症のシェーグレン症候群かもわからないという。リウマチ患者の約半数にこの症状があるとの事。 今のところ眼科の目薬がよく効き調子がよい。ドライアイはパソコンの前に座る 時間が最近長いのでそのせいかもわからないと勝手に自己診断。 |
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平成16年01月 |
発病当初から左足指脱臼のため足裏の骨が飛び出しているが最近それがよりひどくなり歩くと足底が痛む。足裏は硬いタコができている。かなり痛むので歩き方が不自然になり腰にまで影響が出てくる。この先出歩くことが無理になるのかな〜〜と一人で考え込み淋しくなる。 |
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平成16年03月 |
足裏の骨はやっぱり飛び出しているが痛みは軽くなり長時間でなければ普通に歩ける。 やれやれである。 今は右手親指関節脱臼のため食事をするときお箸を持つ手が疲れやすく、力が入らない。 少し不自由している。 |
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平成22年10月 |
両足外反母趾がひどくなり歩行に支障をきたすようになり両足手術 退院後、治療薬のプレドニン(ステロイド)を中止して皮下注射エンブレルに替える |
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平成22年12月 |
障害者認定を受ける 両手関節機能3級・両手指機能の著しい障害3級・両下肢すべての指の機能全廃4級 リウマチの特別判定基準により総合判定で障害者2種2級の判定が下りる |
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良くなったり悪くなったりと少しずつ変わるリウマチの症状に一喜一憂の日々。 現在は薬の量が私に比較的あっているのか炎症反応は軽い。 ただ、残念なことに現状維持には至らず、目に見えない速度で少しずつ 進行しているような気がする。 これからもリウマチとは一生の友達として気長く上手に付き合っていかなければと考えている。 平成8年の入院時に知り合ったNさんとは今でもよき友人としてお付き合いが続いており、 リウマチセンターのホームページで知り合ったKさんとはもう2年近くメルトモで、病気のことなど 連絡しあって心強い相談相手になっていただいている リウマチを通じて新しい世界も広がり、何事も自然体で受け止めて、 明るく、前向きに、をモットーに日々生活している |
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